エトセトラは終わらない [5]⇨[7,8]
延長戦の鐘は、聞こえなかった。
次の駅へと向かう電車が大きな風と音と共に過ぎ去ってゆき、下車した乗客は足並みを揃えて改札へと向かう。
僕と君も、その中の一人だった。
心臓がうるさい。
僕はいざ局面に立たされると落ち着く、と言うよくわからない自分を理解していた。
普段からは何も考えず自分を俯瞰的に見て卑下とそれに対しての悲哀を繰り返すような僕だが、この時ばかりは違った。
頭がうまく働かない。
冷静なのに、落ち着いているはずなのに、質問に対しての答えが出ない。
勉強は苦手な方じゃない。むしろ得意だ。センター試験では現代文で9割を取れた。
なのに、なのに。
「えー、どっか行きたいとこある?」
つまらない。
心底つまらない返事となった。
世は男性が女性をリードする、と言う風潮というか空気がある。
空気に流されて、空気になって、僕も何も考えずに大気を泳ぎたかった。水族館で見た魚たちのように、囚われた場所でいつも同じことを繰り返す、そんなことをしてみたかった。
生憎、というか僕は空気を読むのが嫌いだ。
本が好きだし、活字も好き。漫画もラノベも読む。
けれど空気なんて読めないじゃないか。
皆空気を読め、空気を読めと言うが一体どこに読む要素があるのか。
誰かと一緒にいないと気が済まないやつ、自分で自分のことが決められないやつ、他人に一々判断を委ねたり相談しないと不安になるやつ。
勝手にすればいい。ただ僕は絶対にそんな人間にはなりたくないし、そうゆうやつがいたらたとえ一度掴んだ手でも、離すと思う。
だから僕は、こんな曖昧で、君からの誘いなんて全然どうとも思ってませんよ、みたいなキザなセリフは吐きたくなかった。
きっと君は幻滅しただろう。あれほど共通することが多いね、僕たち気が合うね、なんて言っていた男がこのザマだ。
やはり空気なんて、読めないじゃないか。
「んー、そうだなー、せっかく都会なんだし、タピオカとか行く?」
しかし君はそんな僕の気持ちの悪い考えからは程遠く、笑顔で行きたいところを言い、朗らかに僕を誘ってきた。
人よりも深く考えるタイプの僕だったが、こうまで予想と反する行動を取られたのに、少し驚きだった。単純に女性への免疫がほとんどない僕なんだから、当たり前のことか。
「出た、映えーじゃん」
最近巷では若者の間で〝インスタグラム〟なるものが流行っている。
写真を上げたり、ストーリーという24時間で消える動画、もしくは写真を投稿したりするアプリだ。
現在進行中で鋭意稼働中のTwitterと何が違うのかと聞かれると、陰キャラの僕にはわからない。
実際、Aに入れさせられてから自分では一度も投稿したことがなかった。全て、Aの自撮りか大学の友達に撮ってもらった僕の他撮りだ。
「うん、行こ。しよ、映えー」
二つ返事、厳密には四つ返事だが、僕らの行き先はこうして決まった。
デートの延長戦が、始まった。
__________________________
僕はタピオカを知っている。
なんたって僕は花の大学生なのだから。
あれが芋のデンプンの塊だと言うことまで知っている。
なんたってテレビでやっていたから。
実はタピオカミルクティー一杯のカロリーはラーメン一杯のカロリーに相当することも知っている。
なんたってTwitterで回ってきたから。Twitterまじ最強。
そんな浅はかな知識だけで作られた僕の頭の中のタピオカは、食感がもちもちしている丸い粒、というなんとも気味の悪いイメージを形作っていた。
地下鉄のホームから地上へ上がり、タピオカの店がある道沿いに出、君の案内のもと道を歩く。
「なんて言うところに行くの?」
「んー、特に決まってない。この辺タピオカ沢山あるし。とりあえず有名なとこ行こっか」
とりあえずも何も有名なところがマイナーなところかもわからない僕には、到底理解しがたいことだった。じゃあなんでどこに行くか、なんで聞いたかって? 人の感情とロジックは必ずしも一致するとは限らないのだよ。
「〝ごんちゃ〟って知ってる? あれ」
そう言って前方を指差す君から視線を外し、指された方向に目を向けると店の外まで伸びる行列が見え、その上には漢字で〝貢茶〟と書かれた看板があった。
「あれでごんちゃって読むの?」
「そ、台湾のお店だから、読み方が違うの。」
なるほど、タピオカって日本に限らず海外でも流行っているのか。
「こっち」と言って先導してくれる君についていくと、店から飛び出た行列は一度途切れ、別の場所にまたもその後続となる列が姿を表す。
大抵が二人組の女性で、ぱっと見でも8組ほどが、後続の列には並んでいた。人混みを嫌い、人波を嫌い、挙げ句の果てには人付き合いも嫌いになった僕からすると、この列に並ぶのは鬼の所業だ。
いや実はそんなこともない。行列って、割り込みがない限りはきちんと整っているしみなお得意の空気を読む、で割り込みなんかも頻繁には起きない。
だから行列は嫌いではなかった。
それに今日は時間を持て余すようなこともないだろう。
「メニューになります、こちらにお並びください」
店員さんがメニューを君に渡し、最後尾に並ぶよう促してくる。
君は「あ、ありがとございます」と目も合わせず両手でメニューを受け取り、列に並ぶ。
そんなところで人見知りだしてて注文とかできんのか? と思ったが、何度かきてる風だし、おそらく大丈夫だろう。
メニューを僕にも見えるように持ち、どれにするか考え始める。
「この前これ飲んだ」
君が指したのはピーチジュース(本当はもっと長い名前)にタピオカを入れたドリンクだった。
「ほう、美味しかった?」
「うん、美味しかったー」
「それは良かった」
「今日はこれにしよっかな」
今度は君が指さしたのはグレープフルーツジュースだった。
「あー美味しそう、僕はどうしよっかな」
「ミルクティーじゃなくていいの?」
「あー僕ミルクティー嫌いなんだよね」
「え、じゃあどうすんの」
「んー」
メニューに視線を落とす。
ミルクティー意外にも色々あるんだな。
紅茶とかほうじ茶ラテとか、なんかスタバみたい。いやスタバもユニバも行ったことないけど。おい誰が陰キャラや。
「あ、これにする」
マンゴージュースなるものがあったので、それにすることに決めた。基本フルーツは全般好きだが、マンゴーとキウイが特に好きだ。時々ドライマンゴーとか買ってきて一人で黙々と食べてる。いやだから誰が陰キャラや。
「おっけ、氷とかタピオカの量は普通でいい?」
「うん、普通で」
君は「おっけー」と言うとちょうど店員さんが注文を聞きにきた。
「ご注文お決まりですか?」
「はい、えっとこの.....」
難なく注文を済ませる君を見て、人見知りはどこに行ったのか、別に人見知りではないのか、といくつかの疑問が頭を巡ったが、まぁ何度か来ているなら納得できる態度だった。いやじゃあなんでさっき店員さんに素っ気ない態度取ったんだよ。それもう嫌いじゃん。
「ありがと、すぐ順番来るかな」
注文を終えた君にお礼を言い、定員さんにもらった注文が書かれた紙を受け取り、まだ続く長い列に目を向け尋ねる。注文は僕の分までしてくれた。店員さんはもちろん女性だったので助かった。ほんとに。
「んー今日は空いてる方だし、10分くらいかな」
「ほー、て、え?! これで空いてる方?!」
「うん、もっと並んでる時とか隣のお店の前まで列伸びてるよ」
アンビリーバボー。前方のおよそ8組だけで軽く十分は待つのにそれ以上があるっていうのか?
...おもしれぇじゃねぇか、タピオカ。まさかこちら側だったとはな...。
もちろん声には出さずタピオカに対してライバル意識を取っていた僕だったが、その思考をかき消すように君が話題を投げてきた。
「学校いやだ」
そう、君は家と大学が恐ろしいほど遠いのだ。
具体的な県名は伏せるが、距離的には大体県の中心から隣の県の端っこに行くくらい。時間にして約3時間。一限に出るためには朝4時半に起きないといけないらしい。4時半て、おじいちゃんおばあちゃんがゲートボールのために起きる時間ですよ。
冬なんて太陽すら出ていない。
「いやほんとにすごいと思う。よくそんな距離ちゃんと毎日行ってるよ。一人暮らしは? しないの?」
「えー、家事がめんどくさい。帰ってきてご飯ないとか、それプラス掃除洗濯とか無理」
そんな理由で...? と思う人もいるかもしれないが、まぁ君からしたら朝4時半に起きるよりも家事が嫌なんだろう。嫌の定規は人それぞれだ、嫌に限らず人の価値観にどうこう言うべきではない。
...僕もしてあげるから一人暮らししなよ。
喉元まで出たその言葉を反射的に飲み込んだ。
何を言おうとしているんだ僕は。初対面の女子だぞ? ただでさえ気持ちの悪いルックスと声と性格をしているのにそれを上回る台詞を吐いてみろ?
ギネス載っちゃうよ?
そうこうしてるうちに列は縮み前にいた人の注文が済むと僕らの番になった。
別々の場所でそれぞれ会計と商品の受け取りを済ませ、外に出る。
正直、いざ初めてタピオカを食べるとなると、緊張するし楽しみだ。マンゴージュースは美味しそうだし。
満を辞してストローに口をつけ_________________
「あ、ストップ」
ようとしたところで。
君が僕を制し、携帯を取り出し、操作を始める。
「写真撮ろ」
「_______ _____」
すぐに返事はできなかった。
言葉に詰まった、というか君から出るとは思わなかったセリフが飛び出て、面食らった。
「うん、」
〝う〟を性格に発音できなかった気がする。
〝んん〟みたいになった。焦ってなんてない。
「どう撮ろっかな」
「こうでいっか」と、自分の持っていたドリンクを前に突き出し、携帯を構える。
ほら、と言わんばかりに隣に僕のドリンクが移るのを待っていた。あ、僕らは写真に映らないんですね、いや期待してなんかないです。
しぶしぶドリンクを君の隣に持ち上げ、タピオカが見える角度に調節した。
パシャリっ
シャッターを切る乾いた音がした後、すぐに君は携帯をしまわず、何やらまた操作を始めた。
覗き込むと、件のインスタグラムとかいうやつを触って投稿のために文字を打っていた。
少し、嬉しかった。
____________________________________________
来た道を引き返すように、また歩き出す。
「どう? タピオカ」
君が自分のドリンクにささったストローから口を外し、僕に聞いてくる。
「うん、美味しい。思ってたより」
率直な感想はそれだった。
本当に思ってたよりも美味しい。ちゃんとタピオカとドリンクが喧嘩せず、いい具合にタピオカがドリンクのアクセントになっていた。
「それは良かった」
そういって君はまた自分のドリンクを飲み始める。
しばらく二人とも無言のままドリンクを飲んで歩いていたが、先に沈黙を破ったのは君だった。
「次、どこ行く?」
耳を疑ったが、生憎僕は聴力検査で引っかかったことはなかったし、むしろ耳はいい方だった。
リビングで鳴っているキッチンタイマーを、遠く離れた自室にいても聞こえるくらいで、カップ麺を作っていても遅れずに戻れるのが特技だった。これを特技と言っていいのかどうかは定かではない。
そんなことはどうでもよくて。
「んー、いつもここら辺来たとき何してんの?」
思わず聞き返していた。ドリンクを飲む。タピオカを噛む。もちもちしている。
僕は絵本の続きを読みたがる子供の気持ちがよくわかった。
しかし同時に、物語が永遠に終わらなければいいのに。
そうも思っていた。
君がくれたもの たなえび @dododo_natu
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