スフィア  ~生命の球体~

賢者テラ

短編


 私が物心ついた頃から、それはいたの。

 蛍みたいに光ってね、グルグル私の周りを回る、光の球(たま)。

 幼稚園でも小学校でも、その話を人にしたらね、みんなが私のことバカにするんだ。どうも、私以外の人にはそんなものついていないみたいなんだ。

 生まれた時からそれがいるのが当たり前になっていた私は、誰にもその話ができなくて苦痛だった。

 でも、朝起きた時も、学校でも、友達と遊んでいても。

 お夕食食べていても、お風呂の時もテレビ見てる時も寝る時も。

 遠足の時も遊園地連れて行ってもらった時も、スキーに行った時も修学旅行に行った時も——

 どんな時でも、豆粒ほどの光球は、私から決して離れなかった。 



 生まれてすぐ両親をなくした私は、おじいちゃんとおばあちゃんに育てられた。

 生活がやっとで、私は他の子並の贅沢は望めなかった。

 お小遣いもほとんどなかったし、欲しいものを買ってもらえることもなかった。

 中学になって私は、いじめられるようになった。

 別に悪いことは何もしてないよ。

 てか、いじめなんてもので、いじめられているほうが明らかに悪いケースなんてほとんどないんじゃないかって思う。きっかけなんて、ホント何だっていいんだよね。

 お小遣いなくて、趣味のものとかCDとか何も買えなかったし、何でも安物しか持ってないから、友達のすることや話題についていけず、バカにされた。

 ばい菌扱いされた。私に触った子が、「菌がついた!」なんて言ってね、他の子を追いかけてタッチするの。

 すると次はその子がまた人を追いかけてね……鬼ごっこが続いていくんだ。



 私は、一人の時よく泣いたなぁ。

 学校の屋上に続く階段はね、誰も来ないんだ。

 だからそこは、私にとって絶好の隠れ場所だった。

 階段に座ってね、制服のスカートの生地に顔をうずめてね、膝を抱えて泣くんだ。

 その時も、光の球は私の頭の上をグルグル回っていた。光はいつでも私のお友達だったけどね、しゃべれないみたいだから相談相手にもならない。

 何か特別な力があるわけでもないみたいで、不思議な力を発揮して助けてくれる、なんてこともない。

 私ね、その頃光の球によく文句を言ってたんだ。

「私がいじめられてる時に、あんたが助けてくれたらいいのに」 ってね。

 でも、光に球は蛍みたいに、フワフワと私の周りを漂うだけだった。

 


 ある日、限界が来た。

 私ね、クラスに好きな男の子がいたの。

 でも、その子さえもね、クラス全体の意向に逆らえなくってね、ある日私をいじめるのに参加してきたの。

 分かってたよ。その子が心からそうしたくてしてるんじゃないってことは。

 でもね、やっぱりそう割り切れるほど私は大人じゃなかった。

 体操服と体育館シューズを捨てられ、筆記用具を全部折られ、お弁当をトイレに捨てられ——

 私は、ワンワン泣きながら帰った。

 


 夜、海辺に行った。

 その頃私が住んでいたのはね、港の見える海のそばだったから。

 歩いて10分もかからないで着いちゃうんだ。

 冬で寒かったけどね、何のためらいもなくザブザブと海に入っていったの。

 もちろん、死ぬためにね。

 水位が首のところまできて、いよいよ私が潮の流れに身を任せようとした時——

 初めて、光の球体がただ浮かんでいる以外のことをしたの。



 見たことないぐらいまばゆい、強い光を出してね。

 どんなに私が沖の方に行こうとしてもね、不思議なことに何度試しても、結局足が立つくらいのところまで波に押し戻されちゃうんだ。

 腹のたった私はね、こうなったら浅瀬だろうが溺れ死んでやる! って思ってね、海水に顔をつけようとしたんだ。二度と空気を吸わない覚悟で、潜ろうとした。

 その時、ほの暗い海が光った。

「きゃっ」

 私の顔は、水に弾かれてしまった。その後、何度水に顔をつけようとしても、目に見えない力で後へ突き飛ばされた。



 波打ち際で、私は砂まみれになったまま、蒼い月に向かって吼えた。

 とめどない涙が、頬に付いた砂粒を洗う。

「殺してぇぇっ 死なせてよぉぉっ」

 のどが潰れるまで、何度も何度も絶叫した。

 悔しくて、砂地をこぶしで何度も叩いた。しかし大いなる大地には何の影響もない。ただ黙って、私の怒りを受け止めるばかりだった。

 私の瞳の中で、光の球は月と並んで輝いていた。

 何にも言わないけれど、怒っているようでもあり、泣いているようでもあった。



 リストカットも薬物も試した。

 しかし、光のお友達は、私が自ら命を断つことを絶対に許してくれなかった。

 朝だろうが昼だろうが、私を見つめ続けていた。

 眠ることも、まどろむこともなかった。

 ただ、私が自殺しようとする以外のことでは、どんな悲劇が起ころうが決して助けてくれることはなかった。



 何とか生きる強さを得た私は、年齢を重ねるごとに、少しずつではあるけれど生きる希望を見出していった。

 高校生になり、奨学金を得て大学生になり——。

 私のすべてを捧げても惜しくない男性とめぐり合い、恋をした。

 幸せの絶頂である結婚式の日も、光の球は私の頭の上に輝いていた。

 牧師さんが、「健やかなる時も病める時も……」 って言った時ね。

 夫には申し訳なかったけど、まず先に光のお友達のことを頭に浮かべたよ。

 だってさ、文字通り私のうれしいことも悲しいことも、みんな一緒に味わってきた相方なんだもの。



 私は、ある時交通事故に遭った。

 意識は朦朧としていて、助かるまでに起こっていたことを正確には覚えていない。

 とにかく、助かるかどうかはぎりぎりのところだったらしい。手足の骨と肉はぐちゃぐちゃで、仮に助かってもかなり後遺症が残るだろう、との医師の宣告に夫は苦悩した。子どもはまだ一歳児だったから、母がどうだということはまだ理解できる歳ではない。

 手術台の真上は、いやに大きなライトが強く輝いていて、まぶしかった。

 その時ね、薄れ行く意識の中でね、生まれて初めて強く願ったんだ。



 ……私、生きたい。



 おかしいでしょ? 今まで死にたい死にたい、ってばかり思ってきたのにね。

 死の影の谷間にあっても、私のお友達は真上に輝いていた。

 手術台のライトのせいでよくは見えないけど、そこにいることははっきり分かる。

 だって、生まれてからの長い付き合いだもの。

 光の球は、その時今までにないような強烈な光を発したの。

 そりゃあもう、そんなに光っちゃ、燃え尽きちゃうよ? ってなくらいに。

 でもね、皮肉にもそれが冗談じゃ済まなくなったんだ。

 本当に、燃え尽きちゃったみたいなんだ。



 医師は、私が助かったのは奇跡だ、と言った。

 その奇跡と引き換えに、私は長年の友を失った。

 私の周りを回っていたあの光球は、今はもういない。

 私は左足と右の手首から先を全部失った。顔は大丈夫だったが言語障害が残り、どもったようなしゃべり方しかできなくなった。

 それでも、夫は優しかった。

 こんな私でも、「君は君に変わりないじゃないか」と、余計に愛してくれた。

 この時、初めて「生きたい」という思いと「死んでも惜しくない」という思いとが、矛盾せずに共存できるようになった。

 夫と、娘のために、私は生きる。

 母さんがこんなんで、この子はいじめられるかもしれないね。

 色々と苦労するかもしれないね。

 でも、いなくなったあの光が私にしてくれたように——

 我が娘の光でありたい。



 うん、我が娘ながらよく頑張ってるよ。

 私は、32歳の若さで死んでしまった。

 過去の事故の時ね、一応助かったんだけどその時の後遺症というか、遅発性の症状の影響とかでね……あっさりと寿命がきちゃったわけ。

 こればっかりは、今の医学ではどうしようもなかったみたい。

 今年中学に上がった娘は、私の葬式の間中、歯を食いしばって喪主の夫のそばに立っていた。私も卒業した母校の制服を着てね、肩を震わせていたよ。

 今でも、時々思い出すんだ。

 この子と同じ年の頃、私は死にたかった。

 それを思えば、親バカかもしれないけどこの子は強い子。

 きっと迫り来る荒波にも困難にも、立ち向かっていけると、打ち勝っていけると信じているよ——。



 気が付いたら、今度は私が光の球になって娘の周りを回っていた。 

 でも、私の時と違うことがひとつだけ。

 それは、娘が私のこと見えていないみたいだ、ってこと。

 ああ、なるほどね。たまたま私には見えたんだ。

 そういうのがついている人は世の中にたくさんいるのに、見えてないだけなんだな、って分かった。

 ちょっと寂しかったな。でも、私は自分の時を思い出した。泣き言ばっかり言ってたから、さぞかし光の球は気苦労が絶えなかっただろうなぁ。

 今更ながら、ホントゴメンね、なんて思う。

 


 朝も、昼も、夜も

 春も、夏も、秋も、冬も

 


 娘よ、私はあなたの……



 光の、お友達。

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