若返り

@HasumiChouji

若返り

 月1回通院しているクリニックに行く為に地下鉄に乗った時、目の前に居る七〇ぐらいの若造から舌打ちをされた。

 どうやら、俺が今座っている優先席を狙っていたらしい。

 気持ちは判るが、俺は、その若造よりも二〇以上は年上だ。

 ……いや、待てよ、俺みたいな「若返り治療」を受けて四〇代の頃の体と健康を取り戻したヤツは、優先席を譲った方が良いのか?

 一定以上の年齢のヤツの大半が若返り治療を受けるような世の中になるまで、ややこしい事態が続きそうだ。いや、そうなったら、そうなったで、別のややこしい事態になるかも知れない。

 特に、俺達「年上は目上」が第2の本能になっている世代にとっては、外見から年齢を推測するのが難しい、ってのはやりにくい事、この上ない。


「結局、親父さんは隠居のままなのか?」

 クリニックの診察室で、ここの先代院長の娘――早い話が今の院長――に、そう聞いた。

「九〇近い老人に患者の診察をさせる訳にはいきませんよ」

「いや、でも、俺と同じで若返り治療受けたんだろ? 」

「体と頭が四〇代と言っても、現役を退いてから二〇年近くなのは同じです。そんな医者に診察して欲しいんですか? 医者としての知識に至っては、三〇年も更新されてないんですよ」

「まぁ、理屈では、そうだけどさ……」

「ウチの親父に診察やらせなんて……そうですね、郡山さんの詳しそうな事で言うなら、今時、ロールシャッハ・テストをやるような精神科医を現場に立たせるようなモノです」

「えっ? ロールシャッハ・テストって、もう古いの?」

「郡山さん……大学の頃の専攻は心理学だって言ってましたよな」

「それが……」

「まさかとは思いますが……ロールシャッハ・テストだけじゃなくて未だにフロイト心理学なんて古代の遺物が正しいとか思ってませんよね?」

「仮に……そうだとしたら……」

「だとしたら、ウチの親父の医学知識の更新は三〇年前で止まってますが、郡山さんの心理学の知識は私が生まれる前で止まってますね」

 これが、親父の方に診察してもらいたい理由だ。……と、思った事が顔に出たらしい。

「私と気が合わないのが嫌なら、郡山さんと気が合いそうな同業に紹介状を書きますが、どうします?」

「いや、そう云う訳じゃないけどさ……」

「で、血糖値も血圧も上がってますよ。ちゃんと薬飲んでます?」

「……時々、飲み忘れる……」

「他にお変りは?」

「無い……いや、無い事は無いけど、その……バイアグラって、処方箋が要るんだっけ?」

「それも血糖値が下がれば解決します」

「あの……若返りで四〇代の体に戻ったんだよね?」

「郡山さんみたいな生活を続けてれば、四〇代どころか二〇代でも、無事じゃ済みませんよ」

「せっかく、女の子にモテると思って若返りしたのに……」

「あのぉ……医者としてじゃなくて、1人の女として、ちょっとキツい事を言わせてもらっていいですか? 外見が四〇代でも、中身が九〇代の男尊女卑が当り前の世代のお爺さんのままなら、若い女の子にモテる訳有りませんよ」

「まぁ、そりゃ正論だけど、言い方ってものが有るだろ」

「同じ事を若い女の子にも言われたんですね?」

「まったく、最近の女の子は……男の誘いを断わるにしても言い方が有るだろ。こっちは年上なんだぞ……。……こんな事をSNSに書くと炎上するだろうけど、ウーマン・リブってヤツも考えものだな」

「ウーマン・リブって何ですか?」

 ……あ、そう言や「ウーマン・リブ」は、こいつが生まれる前……一九六〇年代の言葉だった。今は「フェミニズム」って言うんだっけか?

「じゃ、次の患者さんも居るんで、世間話は、これ位にして……。処方箋は受け付けで受け取って下さい。薬はちゃんと飲んで下さいね。あと、お酒も煙草も食事も量を減らして、少しは運動して下さい。入院したくないならね」


 それから一年弱が経った。

「癌の可能性が高いですね。総合病院に紹介状を書きますので、一刻も早く入院して下さい」

「待て、どう言う事だよ?」

 俺は、このクリニックで、定期的に受けてる血液検査の結果を聞きに来て、こう言われた。

 若返り治療を受けた筈なのに、何故、こんな事になったんだ?

 四〇代の頃の健康も取り戻したんじゃないのか?

「若返ろうと、そうでなかろうと癌になる時はなってしまいます。それに、癌は若い時ほど進行が早くなります。極端な話、若返り治療を受けていない八〇過ぎの人が癌になっても、癌で死ぬより先に老衰で死にますが、一〇代・二〇代で癌になったりしたら、発見が早くても生きるか死ぬかの大騒ぎになります」

「じゃ……じゃあ、俺は……まさか……」

「ええ、もし、癌だった場合、若返りを受けてなかった場合よりも、重篤な事態になりますね。と言うか、若返り治療のせいで、癌の進行速度は二〜三〇代で癌になった場合と同じ位になると考えて下さい。緊急入院です」

「そんな事、若返り治療の時に、ちゃんと説明しろよ‼」

「しまぁ…しぃ〜たぁ〜……よおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ〜……」

 何かがおかしい、と思ったその時、目の前が真っ暗になり……。


 私は、地元の医師会の会合の帰りに、親の代から、ウチのクリニックに通っていた様々な意味での要注意患者である作家の郡山藤政が居る介護施設を訪れていた。

 特注の車椅子に座っている彼の目は虚ろだった。果たして、私の事は認識してくれているだろうか?

「全く……若返ったからって、酒はガブ飲みするわは、煙草は日に二箱以上吸うわ、脂っ濃いモノをドカ食いするわと、無茶苦茶な生活を続ければ、当然、こうなりますよ」

 私は彼のデップリと太った体を見降してそう呟いた。

 彼は若返ってから1年で血糖値がかなりマズい事になった。入院を勧めたが、あれこれ言い訳をして逃げ回り、その更に1年後には、スター・ウォーズのジャバ・ザ・ハットの様な姿と化してしまった。

「だから、ウチに来る度に注意してましたよね。高血圧と糖尿は、脳梗塞や心筋梗塞が起きるリスクが上がる、って」

 癌の方は何とかなったが、よりにもよって、ウチのクリニックに来た時に突然起きた重度のクモ膜下出血のせいで、多分、彼の作家人生は終るだろう。

 いや、ここ二〇年以上、この人は、新作を出してなかったような気もするが。

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