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お題:山羊、鬼、煙突

ヴィクトリア時代

KABOOOOOOOOOOOM!!


 雷光一閃。まるで火山雷のように黒々と立ち昇る煙を引き裂いた。


「あれには避雷針があるのかね」


 シルクハットの紳士が白ひげを撫でて言う。

 腹を重たそうに抱えて背が曲がってしまったようだ。


「煙突ですしあるでしょう」


 なんて牧歌的な会話!


 ヴィクトリア時代の工場建設が農村光景を灰色の煙で塗りつぶしたにも関わらず! 会話だけは牧歌的!


 農地を追い出された労働者たちの喉には煤が詰まって吐き捨てる。


「畜生、牧歌的なんて俺たちの専売特許だったのに!」


 イーストエンドから怨嗟の声が上がった。まるで工場の煙みたいにモクモクと空を包んで、それでロンドンは四六時中曇り空というわけだ。


 そんなバカな話があるか。


 乳房を丸出しにした売春婦が誘惑する横で、ガキどもが追いかけっこをしている。


 こんな街がかつてあったかい?


 シルクハットはこぞって科学だ理性だと抜かすけれど、そんなものドイツじゃとうに否定されたって言うじゃないか。


「否定じゃござんせん。批判しただけでございやす」


 イマニエルくんのお言葉にはシルクハットも聞く耳持たず。


 まあいいや、それじゃあお歌でもヒトツ。


「ロンドン市民が歌を歌う時が来たら、そこにはもうロンドン市民はいないってことサ」


 しょうがないから隅っこの方でアイルランド移民にでも歌ってもらいましょう。


 とんだ都会と来てみれば、しみったれた連中がステッキに殴られて歯車いじってる街だった〜 さん、はい


 この街じゃ金がなけりゃイモの素揚げしか食えないときた〜

 調味料なんて金持ちのためのもの〜


 ……やめだやめだ。


 このままじゃイングランドのメシがみんなマズくなる。


「みなさんお聞きください」


 偉ぶったアゴヒゲ野郎がここでご講釈。


「科学は資本家のものではなく、労働者のものです」


 どだい意味はわからない。いいからウサギ肉でもくれ。


「資本家は生産手段を独占することで労働者から搾取しているのです!」


 とりあえず皿でも投げておけ。ただし木のやつな、割れたらかなわん。

 ドブネズミまで一緒になって帰れ帰れの大合唱。



 いったいいつからこんなになっちまったんだ。


 全部あの煙突がいけない。


 農民たちから土地を奪って、こんな掃き溜めみたいなところに奴隷みたいに流されて、しまいには革命だなんだと声をあげるアゴヒゲ野郎まで現れた。


 こっちは煤のない街で畑耕して収穫祭を年に一回やりたいだけさ。


 毎日毎日歯車いじってはした金もらっても、まるで同じ日を繰り返しているみたいだ。


 道理でロンドンは年中曇り空ってわけだ。


 そんなバカな話があるか。



「いいかい、お父さんはな、村じゃ一番の鉄砲の名手でな……こんなクソみたいな小屋に詰められなければ、今頃お前たちだっていいもん食ってたんだ……いいもん食わせてやれてたんだ……」


 シルクハットの下にはツノが生えてる。奴らは鬼か悪魔さ。

 キリスト様を裏切りもしていないっていうのに、こんな暮らしをさせるなんて。


——労働者というものは勤勉さを失った堕落の象徴のようなものですな。


 かたやワイングラスの蝶ネクタイ。料理はみんなフランス人の料理人にやらせている。ステーキに赤ワインと黒胡椒。


——そのくせ上流階級の苦労というものを知らないから、勝手にこちらが楽していると思い込んで恨む始末。



 何かが狂っちまった。


 あの煙が全部狂わせちまった。


「おい、あの煙突燃えてやがるぜ」


 現実に戻される。見上げた煙突が赤く光った。


「たいへんだ。避雷針があるのではなかったかね?」


「ええ、それに燃えるものなんて……」


 違うぜ、ゴミ野郎どもが。あいつは炎なんかじゃない。




ルカの福音書10章18節

(主は)彼らに言われた「わたしはサタンが雷光のように天から落ちるのを見た」




 すぐに山羊っ面が見えるだろうよ。


 ほれ。3、2、1……

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週刊・三題噺 早瀬 コウ @Kou_Hayase

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