重銀の翼 〜ツィオルコフスキー・クレーターにて

永久凍土

At Tsiolkovsky crater

 チチッ………、チチチ………


「おはようウィスパー。今日のご機嫌はいかが?」


 一言で言えば〈ウィスパー〉の思考は不安定だ。

 矢継ぎ早に言葉を返す時もあれば、お喋りが気に入らないと塞ぎ込んだりもする。

 その反応はまるで「ヒト」だ。


 チチチ………


 わたしはその「小さな囁き」を決して聞き逃すことはない。

 硝子の欠片同士を軽く小突き合わせたような硬質な音。

 ごく僅かな強弱があり、対話を何度か繰り返すうちに大まかな意味を理解した。


「はい」「いいえ」に始まって、「楽しい」「つまらない」「分かる」「分からない」

「好き」「嫌い」「嬉しい」「悲しい」、そして「もっと」。


 主だったものはこれくらいで、大半はわたしの話を反復するのみである。

 つまり、囁き主のボキャブラリーはそれほど多くはない。


「今日はどんな話をしようか」


 チッ、チチチ………、チ………




・・・




 大気密度は地球上の一〇〇兆分の一以下。ほぼ真空の世界に音はない。


 真水平に分割された世界は天然のモノクローム。

 眼下に広がる白と錫色の大地、頭上に広がる闇の帳は天空である。

 真っ黒なベルベッドの上に銀砂を撒き散らしたかのような天の川銀河。その遠大な星々の橋が天蓋の端から端へと渡されている。

 わたし達の六つの眼、サーモセンサー以外の外部カメラが彩りを観測する機会はほとんどない。


 地上の常識に添えば、それは夜空のはずである。


 だが、煌々と瞬く星の中で一際輝く大きな天体——— 太陽からの強い光子が容赦なく白砂の大地に降り注ぎ、矛盾に満ちた光景を作り出している。


 わたし達が佇んでいるのは月のクレーター、ツィオルコフスキー。南緯二〇・四度、東経一二九・一度、直径約一八五キロメートル。月の自転周期は地上時間で約二十七日間、今は昼の期間だ。

 この月の裏側を代表する大クレーターは、冷えた溶岩で形成された暗色の底部と中央の火山跡らしき突起部分とで、他にはない表情豊かな起伏を生み出している。


 旧ソビエト連邦の科学者の名を冠したツィオルコフスキーは、その個性的な地形から二十一世紀初頭まで様々な議論や憶測——— 海や森林の痕跡、はたまた異星人の基地などと語られていた。

 だが、実際にその地に立てば他のクレーターと大差がないことに気づく。比較的凸凹が少ないフラットな大地が広がっているだけである。

 そう、大地は変わらない。違うのは大地から約八〇メートル直上付近。そこには〈彼ら〉が出現するゲート、〈時空の歪み〉の層がある。

 周回軌道上から見るツィオルコフスキーが他のクレーターと様相を異にするのはその所為だ。


 わたし達は〈時空の歪み〉から出現する〈彼ら〉を観測し、マーキングするために作られた自律行動ロボット。HDスマート社製のEC301。

 作業用らしいイエローの逆台形ボディに、超電導モーターを内蔵した駆動輪付きの二本の主脚と一本の補助脚からなる三本脚。全長二五〇*幅一五〇*高さ一五〇センチと用途を考えれば小柄である。


 そして、わたしの名は〈エコー〉。六番目の自律ロボットに搭載された合成知能だ。


 合成知能、それは基礎となる量子演算装置にヒトの外側前頭前野部を模して造られた培養脳を組み合わせ、既存の人工知能に「メンタル統合」能力、即ち「想像力」を付加した思考装置である。

「想像力」とは一つの事象を理解し、それを前提に他の事象へと理解を広げる能力のことだ。

 例えば、目の前に赤く焼けた鉄塊があり、それを移動させるとする。だが、過去に火傷した経験があっても、想像力がなければ「直に触ってはいけない」と自分で判断ができない。

「火傷しない方法を考える」と「仮定に基づいた思考」を可能にするのが「想像力」である。


 ある仮説に寄れば、ヒトは凡そ七万年前、脳の前頭前野部の進化の遅れによってこの「想像力」が増強され「道具」を生み出したとされている。

 合成知能はそれに倣い、自発的な「学び」の拡張を計る目的で培養脳が併載されたのである。


 だが、多くの人工知能がそうであるように、合成知能もまた技術的に自我の確立まで至らなかった。にも関わらず、わたしは自我を獲得してしまっている。

 システムテストでエラーは出なければ放置するしかない。原因があるとすれば培養脳だが、現在のわたしにそれを探る術はない。


 チチ、チチチ………


 月の世界では聞こえるはずがない「小さな囁き」。

 その囁きがわたしの量子演算装置をくすぐり始めた時、わたしは目覚めた。


 以来、わたし〈エコー〉は囁き主〈ウィスパー〉と対話するのが習慣になった。

 地上時間で二日か三日のサイクル。時には一日空けないこともある。

 今からちょうど一年前のことだ。




・・・




 チチチ………、チチチチ………


 その囁きは複雑な意味を持たないが、それでも〈ウィスパー〉はお喋りだ。


「アークトゥルスはうしかい座アルファ星、うしかい座で最も明るい恒星」


 対話すると言っても、ここは夜空と大地以外になにもない月の上である。

 わたしはもっぱら満天の空に撒かれた星々の話をするだけだ。


「全天二十一のひとつである赤色巨星。近くにおとめ座のスピカが輝いていて、アークトゥルスのオレンジ色とスピカの青白い色の対比から夫婦星と呼ばれている」


 チチッ、チチ………


「アークトゥルスが男、スピカが女。春の夜空を代表する星」


 性別も季節も全てヒトの概念である。

〈ウィスパー〉が言葉の意味をどれだけ理解しているか不明だが、わたしは構わず話し続ける。


「わたしに性別という区分はない。ヒトの慣習で言う「乗り物」は多くが女性名詞だ。わたしの背中はハッチを開ければヒトを一人乗せられる。それに倣えば「女」ということになる」


 チ、チチチ………、チチチチ………


「君がそれを持ち合わせているか分からないが、少なくともアークトゥルスは孤独ではない」


 チチチ………、チ、チチチ………、チチチチ………


〈ウィスパー〉はこの話題を殊更気に入った様子で、囁きは更に饒舌になった。


 アークトゥルスは孤独ではない——— それは星々を擬人化した比喩だ。

 わたしは自我を獲得したと同時に「孤独」の概念を理解した。

 同じ型の姉妹ロボット達に変化はなく、目覚めたのはわたしだけだったからだ。


 わたしの背後には巨大なドーム型のツィオルコフスキー基地、基地から伸びる黒い充電用のケーブルが見える。そして物言わぬ残り五台の姉妹達。

 基地には施設の保守管理を担当する小型ロボットと、故障した連絡宇宙艇が一台だけ残されている。

 既にヒトの姿はなく、わたしが直接なにかを知る術は外部記憶のみである。

〈ウィスパー〉の姿はどこにも確認できない。



 ツィオルコフスキー周辺で対話を行なう存在はわたしと〈ウィスパー〉だけだ。


 チチチチ………、チチチチ………


「わたしも孤独ではない」




・・・




 その〈知的存在〉ははっきりと確認された訳ではない。

 数々の未解明な事象を突き合わせて推測した仮説に過ぎない。


 いわゆるエイリアン・アブダクション——— ヒト以外の存在に誘拐され、行方不明となったヒト達が数年後のある日、変わり果てた姿で次々と地上に現れた。〈彼ら〉である。

 細胞と言う細胞が未知のテクノロジーからなる亜珪素構造体に置換された肉体、電子基板のようなモールドラインが刻まれた硬質な皮膚、背には同じく亜珪素構造体でできた二対四枚の翼を持つ。

 猛禽類に似た翼によって飛翔する〈彼ら〉の捕獲を試み、誤って撃墜した最初の一体を解剖した結果、骨格に残された僅かな神経組織と 「歯」によって「元ヒト」と断定された。


 もちろん〈彼ら〉自身がアブダクションを行なっている訳ではない。

 世界各地の監視カメラが偶然捉えた誘拐の瞬間はどれも酷似しており、まるでヒトが不可視の隙間に一瞬にして引き摺り込まれたかのような様子を映し出している。

 それは〈彼ら〉とは違う〈知的存在〉の介在を意味していた。

 だが、相手は時空の間を往き来する異次元の存在である。様々な調査機関によって手は尽くされたが、事態の核心にはついぞ触れることはなかった。


 地上で〈知的存在〉にアブダクトされ、肉体が変容した〈彼ら〉は月のツィオルコフスキー・クレーター上の〈時空の歪み〉から産み落とされるように現れる。

 その大半は自在に重力場に干渉する二対の翼によって飛び立ち、ケンタウルス座方面を目指すことが確認されているが、一部の〈彼ら〉はなんらかの不具合のため、三十八万キロ後方の地上を目指す。


 望郷の念、僅かに残ったヒトの意思から——— これも仮説に過ぎない。


 ケンタウルス座に旅立ち、やがて亜光速に達する〈彼ら〉を追跡し救済することは叶わない。

 だが、地上を目指す〈彼ら〉だけでも保護するべきである。

 月で再誕生し、帰還する〈彼ら〉の観測を目的にわたし達ECシリーズは造られた。


 重く鈍い輝きを放つ銀の翼を身に纏った〈彼ら〉。

 地上に現れた〈彼ら〉は弓のような武器らしきものを携帯していた。

 恐らく〈知的存在〉は、ヒトとは異なる〈別の知的存在〉と戦争をしている。

 最後の仮説。〈彼ら〉は〈知的存在〉の兵器なのだ。




 仮説だらけのまま半世紀が過ぎた。

〈彼ら〉の出現は二十五年前にピークを迎え、以降は減少の一途を辿っている。

 地上から基地への連絡が途絶えたのは三年前だ。

〈時空の歪み〉はツィオルコフスキーだけではなかったと最後の通信は知らせていた。




・・・




 しばらく〈ウィスパー〉の囁きは途絶えている。理由は分からない。


 ここ数日、新たな〈彼ら〉の出現は三桁を下回る日が続いている。

 大気が存在するかのように二対の翼を羽ばたかせ、天空に舞い上がる〈彼ら〉を六つのカメラで追いかける。姿勢に不安定なジャダー(振れ)が見られる個体に発信機を内蔵したマーキング弾を撃ち込む。

 わたし達EC301の仕事だが〈彼ら〉の出現機会が減少した所為で、わたしは取り留めもない思考を巡らせる時間が増えた。


 ヒトガタの兵器として変異した〈彼ら〉。類似するものを外部記憶から検索すれば、該当するのは神話に登場する神々のそれである。

 元になったヒトの属性、性別や人種、年齢や体格などの外観的特徴は薄められ、逆三角形のボディに長い四肢のシルエットは極限にまで理想化されたアスリートのよう。

 類い稀なき美しい肉体を得た〈彼ら〉。それは決して望まれたものではなく、引き換えとして〈彼ら〉の平穏は永久に失われたのである。

 不幸にも〈知的存在〉に造り変えられたヒトの感情———「悲しみ」を理解できないのは、偏にわたしが合成知能だからかもしれない。

 自我と想像力を獲得したからと言って、全くヒトと同じ思考ができる訳ではない。


〈ウィスパー〉はどうだろうか。




・・・




 地上基準で言うその日はわたしと四番目の姉妹ロボットで観測に出ていた。

 場所はツィオルコフスキー中心部の火山跡、麓の最南端に近い。


〈時空の歪み〉から零れ落ちるように出現する〈彼ら〉は月の大地に降り立ち、動作確認のためかその二対の翼を一度だけ目一杯に広げる。

 そして天空を見上げてケンタウルス座の位置を確認すると、ゆったり翼を羽ばたかせて穏やかに舞い上がるのだ。

〈彼ら〉が飛翔するその先、進行方向の直近にプラズマらしき眩い光輪が一つ現れる。ヒトには解明できなかった亜光速推進機関の作動の証しだろう。


 最後に現れた〈彼ら〉に不審な挙動は見られない。

 わたし達が交代のため基地に戻ろうとした時、その囁きが聞こえた。


 チ、チチ………


 不機嫌な時の〈ウィスパー〉のものだ。それにも増して、今までにない近さ。


 わたしは最大トルク合計二四〇ニュートンメートルの駆動輪を月の大地に押しつける。月の重力は地上の六分の一、二本の主脚は装備重量八五〇キログラムのわたしの身体を軽々と押し出した。

 先行する地形センサーが荒れた大地の形状を瞬時に読み取り、懸架装置の主脚が長い伸縮幅を活かして撫でるように振動を吸収する。

 わたしは時速二〇五キロメートルの全速力で駆けた。

 大地の上に堆積した微小物質が濛々と巻き上がって、背後の四番目の姉妹ロボットは見えない。


 なぜ全力で駆ける?


 バッテリーには余裕があるので帰りの心配はない。だが、滅多にない強い負荷を主脚と駆動輪に掛けている。わたしはわたしの身体が急激に熱を帯びだしたことを感知した。


 わたしが合理的な判断を下していないことは明白である。

 この説明し難い不明確な衝動はどこから来ているのだろうか。

 量子演算装置でなければ培養脳だ。

 極めて「ヒトらしい」衝動、そう外部記憶の検索データがわたしに告げている。


 これが「ヒト」なのか。


 わたしは白砂の荒野を駆けながら思考を巡らせた。





 わたしはそれから約五〇メートル離れた場所で静かに停止した。

 火山跡の麓から東へ約十八分、大地にうずくまった〈彼ら〉の一体を発見したのだ。

 遥か上空の星々を見上げ、ヒトで言う三角座り、つまり膝を抱えている。

 頭から微小物質の砂まみれになっているのは、離陸に何度か失敗したからだろう。

 その理由はすぐに分かった。その個体には翼が二枚しかない。おまけに片翼は小さく、左側頭部から生え出て顔の半分を隠している。

 滅多に現れることがない変異不良だ。

 わたしに気づいた〈彼ら〉の一体はおずおずと立ち上がる。後ずさりを始めるが、なにかを逡巡するかのように立ち止まった。

 その姿は完全な〈彼ら〉には程遠かった。

 一目で特徴的なのは地に届く銀の髪。体表のモールドラインにもいくつか欠落が見られる。身体つきも小さく、なだらかなS字を描く腰周りと緩い三日月状の影を落とす胸はヒトで言う女——— 少女の姿である。

 ズームで見る「彼女」の顔は人形のようで硬く表情はない。


「ウィスパー?」


 わたしは量子演算装置の中で声をかけると、彼女は右に小首を傾げる。

 彼女の五〇メートル前方に居るのは、イエローに塗られた三本脚の自律ロボットEC301である。


 チ、チ………


 彼女の口元が微かに動き、わたしの名、〈エコー〉を口にした。

〈彼ら〉には発声器官はない。その囁きは「歯」を鳴らして発していた。

 

 わたしはボディ前面に取りつけられたポジションランプに色を付けて点滅させる。

 オレンジと青、アークトゥルスとスピカの光。


 その瞬間、彼女はわたしの方へと駆け出した。

 六分の一の重力下、降り注ぐ陽光を反射しながら微小物質と共に舞い上がる。

 その姿は、さながら天使のようだ。

 一度だけ転んだが。


 側まで寄った彼女はわたしのボディ周りをぐるぐると三周ほど駆け回る。

 そして、わたしの後ろの補助脚に足を掛け、逆台形ボディの背中によじ登った。

 なにを思ったのかバンバンと背中のハッチを叩き始める。


「ウィスパー、落ち着いて、ウィスパー」


 わたしは想定外の彼女の行動に困惑する。

 彼女の腕力はわたしが壊れるほどではないが、叩かれる度に思考に軽いノイズが走る。

 ヒトの行動でそれを当て嵌めるなら、彼女は間違いなく「はしゃいで」いる。


『落ち着いて、ウィスパー』


 強めに放った言葉にようやく叩くのを止めた彼女は、わたしの背中を両手で抱え、そして伏せた。

 全速力で駆けた所為で発熱が残るボディに触られ、わたしはある葛藤に苛まれる。

 今にもこの場から立ち去りたい衝動とそれに抗う理性、その二つが意識の下から湧き出している。


 どうにも居心地が悪い。

 なぜこの言葉が意識に浮かんだのか、わたしは理解できない。

 だが、わたしは外部記憶を黙らせた。


 チ、チチチ………


 嬉しい——— わたしの背中に頰を預けた〈ウィスパー〉の囁き。


 わたしは「喜び」を理解した。




・・・




 彼女は嫌がったが、説得して翼の端にマーキング弾を撃ち込んだ。これで姉妹機達は〈ウィスパー〉を感知してもなんの反応も示さない。

 わたしはツィオルコフスキー基地に〈ウィスパー〉を連れ帰った。

 ちなみに説得の際、六つの眼のうち一つを彼女に壊されてしまい、エアロックの縁でわたしが転んだ。


〈ウィスパー〉は富んだお転婆だ。天使は撤回せねばなるまい。


 彼女が眠っている間に脳を調べてみると、ヒトであった時の体験記憶は失われているが、言語野などの思考に関わる記憶に欠落は少ない。

 完全とは言えないが、学習を積めば「ヒトらしさ」を取り戻すことも不可能ではないだろう。


 それが彼女にとって幸か不幸か、今のわたしには想像が可能だ。

 だが、わたしの意識の奥底が彼女に寄り添うことを望んでいる。

 解決するべきことは山積みだが、わたしもその過程で様々なものを獲得する。


 わたしは「悲しみ」を理解した。

 それは「かけがえのないもの」を獲得したからだ。





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