第3話「霞網(かすみあみ)」


 湖岸に戻り、舟を降りた。老いた船頭と同じ形の麦藁帽子を被った、孫娘らしき二十歳過ぎくらいの女の子が手を振っている。

 今宵のねぐらが決まっていない旨を告げると、是非、拙宅にお泊りを——などと、ありがた迷惑な申し出。しかし、文字通り、背に腹は代えられぬ。観光案内所に預けたままの荷が気になったが、差し迫った空腹感から、家の者を取りにやらせますとの言葉を信じて後に従った。

 着いてみると『湖月荘』の看板、すなわち民宿。


 心尽くしの料理で歓待されるわ浴室は立派な岩風呂、しかも温泉だわで、文句のつけようもなく、気がついたら宛がわれた部屋で天蓋付きのベッドに横たわっていた。キャノピーというよりは、天井から吊り下げられた蚊帳かやだが、目眩ましには充分だった。狭まった視界に映るもの、一切がぼんやり朧に見える。

 手足が重く、何もかもが面倒で、荷物も明日の計画も、もっと先のことも、すべてがどうでもいい気分になってきた。それでいて、すぐには眠れない。頭の芯は奇妙に冴えている。

 ふと、極めて遠慮がちに、コツコツと小さな音を立てて扉が叩かれた。捕まったな……と思った。漁師が湖で掬う魚のように、鳥を商う人が、禁じられた霞網かすみあみを張り巡らして待ち受ける獲物のように。



                  *



     ショートショート連作『ひるの旅・その他の旅』Side-A【完】



◆ 縦書きバージョンは私家版『珍味佳肴』(2016年2月刊)および

 Romancer版『珍味佳肴』(無料)でお読みいただけます。

 https://romancer.voyager.co.jp/?p=20414&post_type=epmbooks

◆ 雰囲気画⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/NlcQLBhl

◆ 初出は、いずれも note(2015年)退会済。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

晝の旅・その他の旅◆side-A 深川夏眠 @fukagawanatsumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ