第2話「湖風(こふう)」


 景勝地のこととて、列車を降りると様々な方角に散る送迎バスや馬車がひしめいていた。ピアニストと歌手の、働き者の夫婦の幽霊が出るホテルに心を惹かれたけれど、観光案内所で訊ねたら、ただいま改装中につき、ディナーショーは開催されないとの答え。

 湖の船着場も遊覧船を乗り降りする客でごった返していたが、人の波に顔を背けるように、離れた場所にポツンと一艘の手漕ぎ舟。大きな船では接岸できない小島へ日焼けした老爺ろうやが連れて行ってくれるという。

 眩しい湖面に心地よい向かい風。麦藁帽子を被った船頭はアルミのやかんを傾けて、ぬるい飲み物を振る舞ってくれた。ほとんど透明な水に近い、それでも、ごく薄く黄色がかった、微かに金属的な酸味を感じさせる、珍しいお茶だった。

「島で、穫れるんで」

 自生しているか、誰かが手塩に掛けているのか、いずれにしろ、昼は湖心から岸へ、夜は岸から湖心へ吹く風が出来栄えに影響するとか。普通、茶は日当たりのいい場所で育つものだが、これに限っては何となく、島の洞窟の中で、ひっそりと、例えば亡者の脆く儚い指で栽培される気がした。

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