公園

チィ、と呼びつけると猫にしては従順に私に向かって急ぎ早について来る。

まあ、そんな風にするのは十回に一度あればいい方なのでやはり猫はどこまで行っても猫だろう。

チィが死んでから数か月目の某日、即ち今日。私は息を吐けば白く飛んでいく冬の最中、公園に居た。

そこはこの街の駅前にある、一見すると訳の分からない銅像が噴水になる公園だった。どこまでいっても冬の風しか吹かないそんなこの場所に、鳩が冗談すら感じないような顔でたわむれに群れている。なんとなく凝視していると、鳩のどいつだか識別のつきにくいそいつだけが、群れから少し遅れて行動していることに気づいた。なにを思ってか合図もなしに飛び立つ集団に取り残されたそいつはぼんやり歩いている。

チィもそんなところがあったように思う。のんびり屋の猫だった。いつだったか忘れたがチィが洗濯機の中に寝ていたのに気づかず洗濯ものを放り込んだことがある。蓋をしめようとした時に動いた洗濯物の中から、チィが顔を出したので思わず笑ってしまった。危ないなと声をかけて引き上げると、まだ若いチィがニャアと笑い返すように鳴いたのだった。


ベンチにはいつも通り、浮浪者が酒を飲んで笑いも泣きもせず怒っている。

この街の行き場のない、くだらない昼が過ぎていく。

鳩はようやく羽ばたいて、どこかのどいつだかわからない鳩の一部になってしまう。

私も雑踏に紛れてそうやって埋もれていくようにしてみるか、と足の赴くまま歩き始める。

どうやら雪はもうすぐ降るとニュースで言っていたような気がして、空を仰ぐ。白い、曇天。


歩き続けても行き場の見当たらないまま公園に戻ると、もうそれは夕方の訪れた頃だったので、浮浪者の怒った顔すら見当たらなかった。陽ざしの茜色がゴミくずと煙草の吸殻を染めていっても、なんら美しくないのだった。公園の真ん中に何を象徴としているのかわからない銅像が、まもなく水を噴かない時間に差し掛かる。


生活に追われない生活になって数か月が経ったのだ。私はそろそろ鳩のように社会復帰でもしなければならないかな、と、煙草を思い出してしまうほど暇になった身体でその場を後にした。


家の中では肩身の狭いまま、部屋も殆ど寝るに帰るほど草臥れている。

母は適当に小言を続け、父は新聞を広げもせずにソファでうたた寝をしていた。日曜日は過ぎるのが遅い。

ようやく食べ終わり、下げた皿を申し訳程度に洗っても母の小言は続けざまに終わらなさそうなので、鍵を握りしめて外へ避難することにした。


夜だった。コンビニの漏れた明かりすら暖かそうに見える。それほど寒い。

コートが薄くて疲れてきている私はそれでもなんとはなしに公園へ向かった。いるはずもない鳩を求めてか、チィの面影もないこの街で、何かを探しているように公園へたどり着く。


しかしその日、夜更けの、星ひとつだって許しはしないような黒い空と、街灯の強すぎる主張の攻防を繰り返す、変に都会なこの街のこの公園で、私は捨て猫に出会ってしまうことになった。


裸のような猫だ。そう思った。段ボールに捨てられたそいつは震えていた。そりゃあこんな冬の寒い夜だ、震えもする。こじんまりと縮み込んだそいつが、私に気づいてか知らぬままか、か細く鳴いた。それは母親を探していたのかもしれないし死に近づく自分を鼓舞していたのかもしれない。

毛の細いそいつの尻尾は黒かった。他は白いのに、尻尾ばかり別の何かのように黒いのだ。

さすがに、見過ごせない。

かじかむ手が殆ど勝手にその段ボールにのびた。

運命なんて信じたこともないが、私はふと笑ってしまった。なぜなら尻尾だけが黒いそいつが、なにを思ってか、こちらを向いて目を細めたのだ。

それで充分だった。私と、君との出会いは。

チィに似ても似つかない、君との出会い。絶やしたくない。もう二度とあんな想いはしたくない。膝の上で死ぬまで可愛がってやろう。

名前を何にしようか。私のかわいい君。新しい命。


家へ向かうたびに揺れるダンボールの中で、か細く繰り返し鳴く子猫。

チィよりもぼんやりしていそうな、チィよりも従順ではなさそうな。


「ただいま」

言った先で、私は生活をしようと心に決めていたのだった。

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禁煙 七山月子 @ru_1235789

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