雨垂れの庭

 いつの間にか膝をついていた。崩れ落ちる音の粒。華やかさが消えて不協和音へと変わろうとした音たち。それを反響しながら、私は空を見上げていた。

 いつの間にか、雨は止んでいた。それどころか、空を十割覆い尽くしていた黒雲は切れて、その隙間から相反するように伸びやかで健やかな青空が望めた。穏やかで、きっと体を温めてくれるような慈愛に満ちた光。救いを求めた私の手が伸びていく。イカロスの翼だと考えても、もし私が消えるとしても。

 きっと、私は救われたかった。

 きっと、私は後悔している。

 青空に伸びた私の手がボロボロと崩れ落ちていくのが視認できた。きっと私は塵になり、風に運ばれ、私が死んだ痕跡なんて残らないはずだ。いつか吹く風に乗って、知らない土地を旅して、知らない場所に旅するのだろう。

 そこで、あなたに出会えたならどれほどの救いになるのだろうか。

 気がつけば腕から肩にかけてが消滅していた。ふと、とある本の一節を思い出して、こぼれ出るように途切れ途切れながら嗚咽が混じる声で、呟いた。

「旅に出よう、テントとシェラフの入ったザックをしょい、ポケットには一箱の煙草と笛を持ち、旅に出よう。

 出発の日は雨がよい、霧のように柔らかい、春の雨の日がよい。萌え出た若葉がしっとりとぬれながら。

 そして富士の山にあるという、原生林の中にゆこう。

 ゆっくりと焦ることなく。」

 私は旅をする。私が死ぬことはきっと普遍的な死であって、決して特異なものでは無かったはずだった。私が詩を読んでいる、その瞬間にも誰かが当たり前のように死んでいく。それは普通のことなのに、私はそのことにひどく心を痛めて、詩を読んでいる。

 人間とはとてもめんどくさい生き物なのだ。自分に関係のない死は何も感じないくせに、それが身内のこととなった病的なまでに心を病む。人間は醜い、平然と息をするように嘘をつき、人の不幸を笑うことができる。自分の喜劇が他人の悲劇の上に成り立っていることを知らずに、ただ悲劇を俯瞰して笑っている。だからこそ、人間は人間たらしめる。

 だからこそ、人間は美しい。人間は、きっとめんどくさいから美しい。きっと、醜いからこそ人間で、醜いからこそ美しい。

 さぁ、旅に出ようか。知らない土地、知らない国に風で運ばれながら人間を愛す旅を始めようか。きっと、醜いものも見えるはずだ、めんどくさい一面も見えるはずだ。だけれおもそれが美しいのだ。私は今から美しいものを見るために旅をする。

 そこで彼に出会えたならばきっと、それは幸運で、最悪で、憂鬱で、もしかするとその出会いは不幸であるかもしれない。

 しかし、幸福でも、最悪でも、憂鬱で、不幸でも呆然としているあなたを見つけるときっとその気持ちも消えてしまう。私たちの出会いは雨だれのプレリュードだった。しとしとと降る雨が心地いいような、しかしどこか交わらないような寂寥を孕んだ出会いだった。だからこそ、あなたと一緒にいられたその場所がとても心地よかった。

 だからこそ、あなたにそう告げたい。あの場所でまた会えたなら、あの場所でまたあなたに出逢えたならどれほど幸福か。

 きっと私は旅をする。旅をして、最終的には戻ってきてずっと待ち続けるだろう。


「また、雨の日に」

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雨垂れの庭 ネギま馬 @negima6531

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