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 体育祭も順調に進み、残すは男女混合リレーのみとなった。今見ている一年生はそろそろアンカーが走り始めていて、次に走る2年生たちが端のテント近くに整列していた。俺はその中に和さんの姿を探した。けれど、並んでいるはずの彼女はたくさん並んでいる生徒に埋もれて見つけられなかった。

「名取でも探しているのか?」

 横からかかった声に思わずビクリと肩が跳ねた。振り向けば思っていた通り、優が俺の横で同じように2年生たちを見ていた。

「で、見つかったか?」

「全然」

 俺はじっと目を凝らしてみるけれど、和さんの身長が低いのもあるのか、何度もチャレンジしてみても見つけられない。

「俺は見つけた」

「え、どこだ!?」

 俺の慌てように優は苦笑を浮かべ、口元を歪めたまま腕を組んで一言、俺に向かって告げた。

「教えねぇよ」

 一瞬、俺と優との間にピリッとした空気が漂う。珍しく優が俺に意地の悪いことを言ったからだろうか。それとも、俺が安易に教えてくれなんて言ったからだろうか。滅多に流れることのない空気に俺は戸惑った。俺だけが、戸惑っているように見えた。

「彼女一人くらい、自力で探し出して見せろよ」

 挑戦的にも聞こえる言葉を残して、優はくるりと後ろを向き、テントから離れていった。体操服の白い背中に声をかけると、「トイレだよ」とひらひらと手を振って消えていった。残された俺はそろそろ順位が明確になり始めているリレーの方へ視線を戻した。彼女のクラスのはちまきの色も知らないまま。

 現段階で1位のクラスのバトンがアンカーに手渡された。アンカーの男の子の走るフォームは傍目から見ても綺麗で、陸上部所属なのだろうかと安易に思った。そのフォームに見とれている人も多いようだ。

 その男の子に迫る2年生が一人。こちらは黒い髪を一つにまとめ、髪とともに黒髪によく映える紫色のはちまきをした少女だった。かなりあいていた距離をあっという間につめ、接戦になっていた。その少女は、和さんだった。やっと彼女を見つけられたという達成感から、俺は周りが男の子を応援する中で一人、和さんの名前を呼んで応援した。彼女が1位を取ったあと待っていることなど忘れて。ただ、純粋に応援した。応援した結果、彼女のクラスは2位だった。最後の最後で、男の子の方が早かった。

「・・・負けたな」

 いつの間にか帰ってきていた優がボソリと呟いた。俺はその言葉に何も返さなかった。何も、返す言葉が見当たらなかった。

「ほら、並ぼう。閉会式が始まる」

 すべてのアンカーが走り終え、退場していく選手たちの中の和さんからは、入場してきた時のやる気に満ちた雰囲気も、やり遂げた達成感も、何も感じなかった。ただ、下を向いたまま、クラスメイト達に背中を叩かれながら退場する彼女の姿だけが、そこにあった。

「ああ」

 彼女のことを気にしながら、優に催促されて俺は共に列に並び始める。彼女の姿を探したけれど、閉会式が終わるまで見つかることはなかった。

 校長先生のつまらない話を聞いて、クラスの表彰が始まった。俺らのクラスは総合3位。和さんのクラスは何位かわからなかった。2年生の表彰で分かったのは、リレーで1位を取った男の子のクラスは総合も1位を取ったということぐらいだった。

 閉会式が滞りなく終わり、俺ら3年は解散した。これからお疲れ様会と称して打ち上げに行く人、即効帰って寝ようと考える人、部活の方へ顔を出す人と様々だった。その中で俺は一人部室へ向かった。彼女はきっと来ないだろうとは思っていた。けど、俺は待つことにした。彼女にただお疲れ様と言いたくて。クラスにいけばいいのだけど生憎はちまきの色からクラスを判断できなかった。周りに聞くのも忘れていた。今日は部活が休みだ。来ないとは思う。でも下校時間になるまで、ここで待っていようと思った。

 彼女に、最高にかっこよかったと伝えるために。


「部室に行かなくていいのか?」

 自販機に炭酸を買いに行くと、頭を垂れたままの後輩が椅子に座り込んでた。膝の上で手を組み、その手は力が込められているのか、僅かに震えていた。

「あ、七緒先輩…」

 俺に気づいた彼女は頭を僅かに上げ、俺の存在をその目に映した。いつもは活気とやさしさに溢れるその目には、今は疲労と悔しさが色濃く滲んでいた。

「リレー、お疲れさん」

「…ありがとうございます」

 その声にも疲労がにじみ出ている。俺はもう一度自販機に金を入れ、グリーンダカラのボタンを押した。その買ったグリーンダカラを彼女に差し出す。彼女は俺の行動に戸惑っているようだった。

「水分補給。どうせまともにしてないんだろ」

 部活の時彼女が水分補給をしている姿をあまり見たことがなかった。今日はリレーの後に閉会式、そして1、2年は片付けとあったから、一層水分補給する機会はなかっただろう。このままでは熱中症になってしまう。

 そんな俺の意を汲んだのか、それとも先輩がくれたものだから受け取らざるを得なかったのか、彼女は素直に差し出されたペットボトルを取った。蓋を開けて彼女は勢いよくグリーンダカラを飲んだ。飲む際に上下する彼女の白い喉に思わずドキッとした。

「ありがとうございます。おかげで少し気分がよくなりました」

 先ほどよりははきはきとした口調で話す彼女は、先ほどまで気分が悪かったようだ。俺がたまたま彼女を見つけてスポーツドリンクを与えなかったらと考えたら少しゾッとした。

「で、こんな所で座り込んでいていいのか?部室には行かないのか?きっとあいつが待ってるぞ」

 彼女の隣に腰かけ、炭酸を口に含む。炭酸独特の感じが渇いた喉に沁みた。

「…合わせる顔がありませんよ。優勝もできませんでしたし」

 そういう彼女の目は僅かに潤んでいた。満足いく結果も出せず、達哉への告白も失敗した。どこまでも哀れな彼女に同情しつつも、彼女のクラスが今日優勝できなくてどこか安心した自分もいた。彼女があいつに告白できなくて心底安心した。だって、きっと彼女は告白したら今よりもっと傷ついていただろうから。

「お前は頑張ったよ」

 色んな意味で。

 俺は彼女の頭を撫でた。ゆっくりと撫でているとやがて、彼女の体操ズボンに小さなシミができ始めた。ただ静かに、泣き声一つ上げずに彼女はぽろぽろと涙を流していた。ああ、彼女はこうやって泣くのかと思い、達哉が見ることは決してない彼女の姿を自分が見られたことに、少しだけ優越感を覚えた。

 そのまま、彼女が泣き止んで無事帰るまで俺は彼女の頭を撫で続けた。心の中で、後輩を想いきれないダメな先輩でごめんなと始終思いながら、俺はずっと撫で続けた。

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