(8)まだまだ不思議な日々は続く
「ご迷惑おかけしてすみません。詳しい話はあとでしますから」
「よろしくお願いしますね、ティナちゃん」
人の姿に戻った王妃が見守る横で、不思議な雑貨屋の店主は無造作に結晶に触れた。
触れた部分を中心に、結晶はさらさらと虹色に光る粉へと変化する。見上げるほど巨大な結晶全体が粉と化すのに、そう時間はかからなかった。
広間の中央、結晶の中心部分には、うずくまる黒色の魔法士。細い銀色の杖をしっかりにぎったまま、ぴくりとも動かない。
「ちょっと、ラングリー? 無事なのは分かってんのよ。自分で欲しいって言ったんだから、責任持って使いこなしなさいよね」
さくさくと虹色の粉を踏みながら、金髪の少女は魔法士に近づく。魔法士はゆっくりと顔をあげた。
「…………!」
少女は歩みを止めた。魔法士は、少女から視線をそらす。
「ティナちゃん。ラングリーはそれは優秀な魔法士です、けれどね――」
普通の人間だということを、忘れてはいけませんよ。
「――はい。そう、ですね……ごめん。私が悪かったわ」
少女の言葉に、魔法士は応えない。虹色に光る粉が広がる魔法陣の間を、重い沈黙が支配する。
目を伏せたまま動かない少女に、王妃は優しい声音で言った。
「あとは任せてくださいな」
「……ほんとすみません。ここは後で片付けに来ますので、一旦帰りますね」
少女はもう一度魔法士を見ると、薄紫色の光につつまれて消えた。
王妃は魔法士に近づく。魔法士はふらつきながらも、ゆっくりと立ち上がった。
「何を見ましたか」
「『彼女』を」
「あなたが未熟なのではありません。未熟だとすればあの子が。そしてそれは罪ではなく、自然で当たり前なこと」
「……えぇ。えぇ、よく分かりました……よーく分かりましたよ、まったく酷い話だ!」
魔法士は顔をあげ、銀の杖を床に打ちつけた。ざくっと虹色の粉に杖がささる。王妃はふっと笑みをこぼした。
「大丈夫そうですね。さすがはラングリーです」
「さすがではないですよ! 王妃様、アレは俺の気が狂って暴走していたらどうするつもりだったんですかね? どうもしないんでしょうね、多少落ち込むくらいでしょうか! 俺も分かっていたつもりでしたけれど……あぁ」
魔法士が片手で顔を覆う。その手は小刻みに震えていた。
「自分が情けない。弟子たちに会わせる顔がないですね……」
「私は貴方がこの国の宮廷魔法士であることを、嬉しく思います」
王妃の言葉に、魔法士は胸に手を当てて深く一礼した。
日はすっかり落ちて、クロムベルク城の中庭は細い三日月の明かりに照らされるばかりだ。
塔の執務室から中庭を見下ろしたあと、リームは自分の机に戻って魔法教本に目を落とした。
ティナは迎えに来ないし、ラングリーも戻ってこない。
地下の広間でいったい何があったのか。自分はどうすればいいのだろう――。
執務室の扉がノックされ、はっとしたリームが立ち上がると、ミハレットが布のかかったカゴを持って入ってきた。
「夕食をもらってきたぞ。師匠は今日は帰らないかもしれないなぁ。まぁ帰らない日はちょくちょくあるが、今日はおかしなことがあったから少し心配だな……」
机にカゴをおいて布をとると、焼きたての丸パンとあぶり肉、蒸してつぶしたイモ、香味オイルであえた生野菜が入っていた。
「迎えにきてないってことは、やっぱり地下魔法陣の間にいたのは、リームのとこの雑貨屋の店主みたいだな」
「うん……確かにティナの声だったと思う」
「あの店主は一体何者なんだ? 王妃様と知り合いのような口ぶりだったし」
パンをかじりながらミハレットが言う。リームも空腹に負けてもそもそと食べ始めた。パンは驚くほどふわっふわで、あぶり肉は焼きたてジューシーだが、いまひとつ美味しさを楽しめる余裕がない。
「何者も何も……ティナはティナだよ。確かに王妃様と知り合いだけど、それは王妃様と国王様が出会ったときにお手伝いしたからで」
「それって随分昔の話じゃないか。もしかして店主は竜族なのか? 王妃様と同じ?」
「さぁ……でも竜族だろうと人間だろうと同じじゃない? 王妃様だって人間の国王様とご結婚して王子様もいらっしゃるんだから」
「まぁ、そりゃあ、そういう意味では……」
「ティナは、ティナだよ」
リームはもう一度ゆっくり言って、窓から外を眺めた。
「いやあ、すっかり遅くなったなぁ。おう、お前たち、まだ休んでなかったのか」
ノックもなく唐突に執務室へ入ってきたのは、いつも通りの飄々とした笑顔のラングリーだった。
魔法教本を見ながらうつらうつらしていたリームは、一気に眠気が吹っ飛んだ。しかし、動いたのはミハレットのほうが先だった。
「師匠! 師匠師匠師匠ーっ!! 大丈夫だったんですか!」
抱きつかんばかりに突進するミハレットを、ラングリーは慣れた様子でかわす。ミハレットはつんのめったが、こちらも慣れているのか転ばずにもちこたえた。
「はっはっは、俺様を誰だと思っているんだ? あの程度の失敗でへこたれるラングリー様じゃないさ」
やっぱり何か失敗したんだ、と、リームは思いながら、いつもなら見てるだけで腹の立つ笑顔に、どこかほっとする自分に気がついた。
「さて、リーム。ティナ・ライヴァートの迎えがまだのようだが……」
顔は笑顔だが、声が硬い。なんとなくリームはそう思った。
「あ、あの、さっき広間にいたのって、やっぱりティ――」
ラングリーは膝を折り、リームと視線を合わせて、真正面から見つめた。
赤褐色の瞳に映る自分の表情がひどく不安げに見えて、リームは言葉を詰まらせた。
「リーム。なんとなく分かっていると思うが……ティナ・ライヴァートは非常に……なんと言うか、扱いにくい。油断していると酷い目にあう。それでもお前は、雑貨屋に帰りたいか? ミハレットのように城に住み込みで魔法を学べば、『青』になれる日もそう遠くないはずだ」
本気で私を心配している。それが分かる低く落ち着いた声音と、真っ直ぐな視線だった。しかしリームは首をふった。
「ティナが不思議なのは最初から知ってます。それでも雑貨屋で働こうって思ったんです。ティナが私を必要としないんなら仕方ないですけど、たぶんティナは誰かを必要としてるんです」
溶ける鉄鍋、踊るホウキ、とんでもないものが売られている不思議な雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ。
その噂を聞いて、それでも店の扉を叩いたのは自分自身。
そりゃあ最初はちょっと不安にもなったけれど、ティナは明るくて気さくでとても悪い人には思えなかったし、店での暮らしはとても楽しかった。
孤児院から逃げ出して居場所のなかった自分を受け入れてくれたティナを、自分も受け入れたい。自分にできることなら手伝ってあげたい。
人間じゃないかもしれないティナが、人間の街で雑貨屋をやっているのは、人間を必要としているからではないだろうか。
「それが、よりによってお前なんだよな……まったく、運命の女神は性格が悪い」
ラングリーの手が、リームの頬に触れる。それは見た目よりずっと大きくて温かかった。
アメジスト色の光の向こう、汎用魔法陣の部屋の石壁しか見えない景色が水面のように揺らぎ、見慣れた街並みに置き換わる。
時間は深夜。家々の明かりもほとんどなく、星明かりだけが通りを照らす。
「さぁ、俺もティナ・ライヴァートに話があるからな。たぶんまだ起きてるだろう。ほら、明かりがついた」
深夜のリゼラー通りに空間移動の魔法で現われたラングリーとリーム。そのふたりの目の前で、雑貨屋ラヴェル・ヴィアータの店内に明かりが灯る。しかし、出迎えには出てこない。ラングリーとリームは、店の扉をくぐった。
カウンターに腰掛けているのは、長い金髪をひとつにまとめた少女――不思議な雑貨屋ラヴェル・ヴィアータの店主、ティナ・ライヴァート。ふたりの姿を確認すると、少し目を見開いた。
「思ったより立ち直りが早かったね。しばらく私の顔を見られないんじゃないかと思ってた」
「はっはっは。言ったでしょう。貴方は俺を信用しすぎで見くびりすぎなんですよ」
ラングリーの言葉に、ティナは少し表情を和らげる。しかしまだいつもの明るいティナとは程遠かった。
「今回のことは、ほんと私の失敗だから。ごめんなさい」
「そうでしょうとも。今後気をつけてください。そしてもうひとつ。あれを撤回するようなことはしないでくださいよ。間違いなく俺が貰ったものですからね」
その言葉を一瞬理解できなかったかのようにぽかんとした表情をしたティナは、次の瞬間、立ち上がって身を乗り出した。
「え……まだ使う気なの!? あんなになったのに!?」
「だーかーらー、見くびりすぎって言ってんだろ? 今回はちょっと油断してただけで、次は使いこなしてみせるさ。後悔しても遅いぞ。俺にあれを与えたのは、お前の失敗なんだからな」
一息にそこまで言い切ると、ラングリーはティナにぴしっと人差し指をつきつけた。お得意の俺様笑顔全開で。
ティナは目をぱちぱちさせてラングリーを見たあと、突然腹の底から笑い声をあげた。
「あははははっ! そっか、そーね! なんだ、心配しちゃったじゃない……よかった。そんなに酷い失敗じゃなかった!」
ティナの笑い声を聞いて、硬い表情をしていたリームもやっとつられて微笑んだ。
城の地下で何が起こったのかはぜんぜん分からないけれど、どうやらなんとかなることらしい。ティナが笑ってくれるならきっと大丈夫。
一方、ラングリーは肩をすくめてため息をついた。いろいろと諦めた表情だった。
「いや、そーとー酷い失敗だからな? 本当に以後注意してくださいませよ、ティナ・ライヴァート殿。それじゃあ、リーム。また来週な」
片手をあげて店を出ようとするラングリーに、ティナは何故か驚いたようだった。
「えっ、ちょ……いいの?」
「何がですか」
「その……大事な娘さんを私みたいなのに預けて」
「娘じゃないですっ!!」
おとなしく様子を見守るつもりだったリームは、つい反射的に声をあげてしまって、ふたりの視線に居住まいを正した。
「えっと、ティナ、私は不思議な雑貨屋だって話を聞いていて、それでもここに来たんです。ティナが普通じゃないのはもう十分わかってます。でも、そんなの関係ないです。王妃様だって、竜だけれどすごく素敵な方ですし……。私は、ティナがたとえ人間じゃなくったって、ここで働きます」
「だ、そーだ。不肖の娘だが、よろしく頼むぞ」
「だから娘じゃないってばっ!!」
ほほえましいやりとりをするリームの手を、ティナは膝をついて両手でにぎった。
「ありがとう、リーム。あなたがうちの店に来てくれて良かった」
「私もっ、私もティナの店で働けて良かったです!」
目尻を下げて心底嬉しそうに微笑むティナは、確かに見た目よりも随分年月を感じさせられる雰囲気があった。
でもやっぱり自分を必要としてくれているんだなというのは確かに分かって――リームはティナの手をぎゅっと握りかえした。
― 雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ3 『宮廷魔法士の弟子』 終 ―
雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ 3 ~宮廷魔法士の弟子~ 維夏 @i_na_tsu
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