(7)〈女神のささやき〉


「あのさ、いつになったら弟子として認めてくれるの? いいかげん魔法の勉強をしたいんだけど」


 今回も塔の下で待っていたミハレットに、黒ローブを着たリームは魔法教本を応接テーブルに置きながら言う。

 セリフは初めて会った時から変わってないが、随分とげとげしさが無くなっていた。それを分かっているのかいないのか、ミハレットは屈託のない笑顔だ。


「そうだな、あとリームに足りないのは、師匠の素晴らしさを知らないことだ。師匠がどれだけ素晴らしい魔法士なのか分かれば、きっと『青』じゃなくて宮廷魔法士になりたいと思うんじゃないかな」

「それは、絶っ対にないから」


 リームはきっぱりと即答したが、ミハレットはまるで聞こえなかったかのように塔を出て、城へとむかう。リームもしぶしぶながら後に続いた。


「今日はな、師匠が久しぶりに城の地下魔法陣で儀式魔法をやるらしいんだ。すごいんだぞ。塔の汎用魔法陣の10倍くらいの大きさがあるんだ。うまく使えば、王都全体を魔法の効果内におさめることができるんだそうだ。これは見ておかなきゃ損だろ?」


 身振り手振りを交えて力説しながら歩くミハレットに適当に返事をしつつ、確かにそんなにすごい魔法だったらちょっと見てみたいな、とリームは思った。

 気にくわない腹黒宮廷魔法士だけど、その魔法の技術だけは確かなのだ。『青』も一目置く国有数の宮廷魔法士。今まで小さな魔法は見てきたが、大がかりな魔法は見たことがない。


 いつもの使用人の通路とは違う廊下を進んでいき、だんだん人気の少ない地下へと入って行く。壁や天井の装飾に混ざって刻まれているのは魔法語だろうか。途中数カ所に衛兵が立っていたが、ミハレットの姿を見ると軽く敬礼するだけで、特に何も問いただされなかった。


 廊下の先に大きな扉が見えた。天井まで続く大きな臙脂色の扉には魔法陣が描かれていて、取っ手もドアノブも見あたらない。


 ミハレットは何やら羊皮紙の切れ端のようなものを取り出すと、片手を扉にかざして読み上げた。魔法語だ。――しかし、扉はなんの反応も示さない。


「……あれ? おかしいな……。いつもはこれで開くのに」

「発音が違うんじゃないの?」

「いや、今まで何度も開けてるんだし、合ってるはず……」

 リームはミハレットの持つ羊皮紙を横から覗きこむ。

 

 その時。


 感じるはずのない猛烈な風圧を扉から感じた。

 いや、実際には空気は動いていない。風の圧力に似た何かの力。

 リームとミハレットはその力に押されて、廊下に倒れた。


「わっ!?」

「きゃっ!」


 二人の声をかき消すように、低い轟音が扉の向こうから聞こえた。地響きに城全体がきしむ。

 しかし、それは一瞬で終わった。すぐに扉の向こうはしんと静まりかえり、遠く廊下の上のほう、城の上層階からばたばたと足音や人の騒ぎ声が聞こえてくる。


「なんだ……? 何かあったのか?」

「こ、こういうことって、よくあるの?」

「いや、初めてだ」


 ミハレットは再び羊皮紙の魔法語を読みあげる。扉の魔法陣がほのかな光を宿し、ゆっくりと扉が開いていく。


「開いた!」


 巨大な扉の向こうは、とても大きな半球状の広間だった。教会がひとつ建ってしまいそうなほど天井も高い。窓がなく、暗いはずだが、今はその広間を占める物体のおかげでぼんやりと明るかった。


 大きな魔法陣があると思われる広間の中央。見上げるほどの巨大なそれは、淡い乳白色の結晶のようだった。ちょっとした家くらいの大きさはある。水晶の原石のように柱状の結晶が放射状に並んでいる固まりで、ある一部はほのかに赤く、またある一部は青や緑に、弱い光を包んでいてとても幻想的だ。


「これは……?」

「オレも初めて見る。師匠は……師匠?」


 周囲を見回しながら、ゆっくりと進むミハレット。リームもおそるおそるそれに続く。

 広間に人の気配はなく、ふたりの足音だけが響く。巨大な結晶はただゆっくりと光を明滅させている。


 結晶を一周しても、ラングリーの姿は見あたらない。

 ――とすると、結晶の中? 

 ミハレットとリームはどちらからともなく顔を見合わせて、意を決してそっと結晶に触れようとした。


「お待ちなさい」


 凛とした声が広間の入口のほうから響き、ふたりが振り返る。そこに立っていたのは、黄昏時の東空のような紫色のドレスを身にまとい、つややかにうねる黒髪を腰までおろした美しい女性だった。複数の衛兵と魔法士を従えている。

 優雅さと気品と恐ろしいまでの強さを秘める、クロムベルク王国を守護する黒竜の化身――。


「王妃様!?」

「ファラミアル殿下!」


 立ち尽くすリームとは違い、ミハレットは即座に膝をついて臣下の礼をとった。


「立ちなさい、ミハレット・エフォーク。久しぶりですね、リーム・キーティア」

 王妃は微笑みを浮かべてゆっくりとふたりに近づいてきた。結晶を見上げて言う。


「これについて、何か聞いていますか?」

「いいえ……」

「師匠が……宮廷魔法士ラングリーが儀式魔法を行うらしいとだけ。何をするかは教えてもらっていません」

「そうですか」


 王妃は目を閉じ、そっと右手で結晶に触れた。しばらくして目を開く。アメジストのようなその瞳は、人とは違う、瞳孔の細い竜の瞳。


「……いけない。このままでは……」


 そうつぶやくと、王妃の周囲を黒い電光が弾けはじめた。王妃の姿を包むように広がる闇夜の黒。リームはそれに見覚えがあった。黒の固まりは大きく広がり、巨大な黒竜の姿をとるはずだ。あの夜、月明かりにきらめく竜の鱗、はばたく大きな翼を今でもよく憶えている。


『シルート、ふたりを外へ。サルザンとバチルスも部屋を出なさい』


 耳を介さず聞こえる『声』で、王妃は魔法士と衛兵に命じる。白髪交じりの魔法士はリームとミハレットを広間の外へとうながした。


 いったい何が起こっているのだろう。王妃様が出てくるなんて、思ってもみなかった。あの地響きは城全体に響いたに違いない。

 ラングリーは何をしてしまったというのか。王妃様は何をしようとしているのか。


 ミハレットとリームが広間の外に出ると、扉がゆっくりと閉まろうとしていた。

 淡く光る巨大な結晶と、その横には大きな闇の固まり。竜の姿をもう一度見てみたい気持ちもあって、リームは閉まりゆく扉の隙間からじっと広間の中を凝視していた。


「大丈夫ですよ、ファラさん。あとは私がやりますね」


 その声は広間の奥、結晶のすぐそばから聞こえた。


 王妃のものではない、でもリームには聞き覚えがありすぎる声。


 その声に応じて、闇色の固まりは急速に小さくなっていく。


「ティナ!?」


 その姿を確認することなく、臙脂色の扉はリームの目の前でぴったりと閉まった。

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