(6)名前の束縛


 結局、ティナに先日のラングリーとのやりとりの意味を聞いても、リームにはいまひとつ理解できない答えが返ってくるばかりだった。


 ティナの話をまとめると、『青』の対応を頼んだお礼と、今後『青』がラングリーを調査したときの対策のために、『雑貨屋の不思議を背負える何か』を渡したらしい。


 おそらく魔法の呪文や構成をまとめたものだとリームは思うのだが、つまりこの雑貨屋が奇妙な原因はティナが何か魔法を使っているせいで、それと同じ魔法の詳細を書いた巻物をラングリーに渡した……ということなのだろうか。


 しかし、ラングリーの様子が只事ではなかった。いつも状況を面白がっているようなにやにや笑い(とリームには見える)を浮かべているのに、あんなに真剣なまなざしは初めて見た。


 これを渡す意味を分かっているのか、とティナに聞いていた。ティナが思っている以上の意味が、あの巻物――おそらく中に書かれているだろう魔法の詳細にあるのだろうか。ティナは、問題あるとは思わない、と言っていたが……。


「リーム~! そろそろ時間じゃなーい?」


 階段下からティナの呼び声が聞こえてきて、雑貨屋2階の自室にいたリームは、はっと我に返り、はーいと大きく返事をした。


 前回ラングリーの塔へ行ってから、1週間が経っていた。魔法講習の日だ。

 今回はミハレットがいないといいなぁと思いつつ、リームは借りている魔法語教本を抱えて1階に下りた。


「お待たせしました」

「準備はできた? じゃあ、送るわよ。迎えはいつも通り4刻くらいでいいかな?」

「はい。いつもありがとうございます」

「いいのよ。魔法は減るもんじゃないしね」


 あらわれた紫色の光がリームを包み込む。呪文の詠唱無しで魔法を使えるのは、魔法具に事前に呪文を織り込んでおくからだ。ティナが身につけている魔法具は呼び鈴と連動しているイヤリングくらいだから、たぶんとてつもなく複雑な魔法があのイヤリングに込められているのだろう。


 物思いに耽るのは一瞬のこと。リームの目の前が紫色の光でいっぱいになった次の瞬間には、すでに薄れつつある光の向こうにラングリーの塔が見えていた。





「待ってたぞ、リーム! 今日もこのオレが弟子とはなんたるかを教えてやろうっ!!」

 塔の入口を入ってすぐ、リームを出迎えたのは、相変わらずやる気満々のミハレットだった。


 やっぱり、いた……。リームはうんざりしてため息をついた。もしかしたら、初めてここに来たときのようにミハレットが居ない日もあるのかもしれないと、淡い期待も抱いていたが、無駄だったようだ。


 なんとかミハレットと遭わないように日程を調節して魔法を教えてもらえないか、とラングリーにも伝えた。だが、今逃げても問題は先延ばしになるばかりだろう、と言われて、それは確かにその通りだったから納得せざるをえなかった。


 逃げるのではなく、ちゃんと真正面から受けて立つしかないのだ。


 魔法語教本はとりあえず1階の応接室に置いて、ミハレットに連れられるままリームは城内へ向かった。


「宮廷魔法士の弟子たるもの、それなりの知性と気品を兼ね備えてなければならない。まずは形からだ。リームの恰好は魔法士としてふさわしくない」


 意気揚々と語るミハレット。リームは庶民は魔法士にふさわしくないと言われたように感じた。これだから貴族は。皮肉をこめて言う。


「魔法の力の前では、貴族も庶民もないんじゃなかったの?」

「貴族も庶民も関係なく、魔法士らしい格好すれば皆魔法士に見えるだろう? なにより、かっこいいじゃないか!」


 師匠であるラングリーとまったく同じ黒のローブを着て髪型まで似せてしまうミハレットは、全力の笑顔で断言した。

 かっこいいから。ふーん子供っぽいな、と、リームは思う。『青』に憧れる自分のことを棚にあげているとは気がつかない。


 城内を使用人の通用口を中心に歩いてしばらく、ついたのは衣服の繕い等をする針子の仕事場だった。十数人の女性が豪華絢爛なドレスから使用人の服まで様々な衣服に向かってそれぞれ仕事をしている。


 ミハレットが針子の一人と話をすると、その針子は様々な衣服が並ぶ奥から1着の黒いローブを持ってきた。シンプルだが生地も仕立ても良い、庶民ではそうそう手に入れられない位のものだというのは見ただけで分かった。


「とりあえず、それっぽいのを用意してもらった。正式なローブはまた改めて仕立ててもらうといい」

「さあさあ、試着してみましょう。裾や袖なんかは、ちょちょいと直せますからね♪」

 針子が笑顔でカーテンで仕切られた試着場所を指し示す。


「ちょ、ちょっと待って。そんな高そうなローブの代金なんて払えないよっ。言ったでしょ、私はあんたとは違って普通の平民なんだからね!」


 慌てるリームに、ミハレットはさらさらと応える。


「あぁ、問題ない。これの支払いは済ませてある。気になるなら魔法士として稼ぐようになってから返してくれればいい。オレも家の名前で借りている金はそうやって返すつもりだし、雑貨屋で働いた程度では手に入れるまで時間がかかりすぎるだろ。かりにも師匠の弟子を名乗る以上、いつまでもそんな恰好では……」


 雑貨屋で働いた程度? そんな格好?

 一瞬言葉につまるほど憤慨し、リームはミハレットを睨みつける。しかし、ミハレットに嘲笑の表情はまったく無い。


 ミハレットに彼の師匠ような性格の黒さはないことは分かった。彼は、純粋に、骨の髄から、貴族なのだ。


「なによ、ばかにしてるの? そんな施しなんていらない!」


 ミハレットの言葉を遮るように言い放つ。

 かつて孤児院にいたときも、貴族が戯れに菓子などを配ることがよくあった。そもそもリームがいたピノ・ドミア神殿の孤児院は、貴族からの寄付でなりたっているようなものなのだが、それでも一部貴族の上から目線の施しを嫌う孤児は、リームを含め少なくなかった。


 そんなリームにミハレットは言い返すかと思いきや、軽く目をひらいたあと、少し視線を落とし静かに言った。

「気に障ったならすまない。一般市民を貶めるつもりは一切ないんだが、信じてもらえないかもしれないな……今までもそういうことはあったんだ」


 打って変わって意気消沈した態度に、リームは少し動揺した。ミハレットは間違いなく庶民を軽んじていたし自分が不快に思うのも当然だし……でも、悪いことを言ってしまったんじゃないかという罪悪感がもやもやしてるのは何故だろう。ミハレットに同情の視線を向ける針子の存在も、居心地の悪さを高める要因だ。


「え、と……」

「いいんだ、オレはもうここで学んでる。ブルダイヌ家のミハレットという名前はオレの一部で、切り離せないんだ。いくら自分で家の名を捨てたと言っても無理なんだ」


 城のどこへ行っても坊ちゃん坊ちゃんと使用人たちから呼ばれるミハレット。それは慕われていることを表わすと同時に、貴族の息子としか見てもらえないことも表わした。

 リームの脳裏にフローラ姫からの手紙の宛名がよぎる。可愛らしい丸文字でリーム・キーティア・ストゥルベル殿と書かれたそれを、自分の本名だと思ったことは無かった、はずだったが――。


「でも師匠が言ってくれた。家名の束縛から逃げ出すことを目的にするのは、無駄なことだ、って。逆に、自分を磨くことを目的にすれば、いつのまにか自分の名が家名を越えることになる。あのブルダイヌ家の六男が魔法士をやってる、じゃなくて、あの魔法士ミハレットがブルダイヌ家の六男だ、って言われるようになる。すごいだろ? さすが師匠っ、魔法だけでなくすべてにおいて知恵深く造詣にとみ他の追随を許さないっ!!」


 何故いつも話がその方向にずれるのか。


 リームにはミハレットの思考回路が分からなかった。

 しかしミハレットの言葉は、リームの心をざわざわと波だたせた。『家名の束縛から逃げ出すことを目的にするのは、無駄なことだ』――まるで自分に言われているようで。


 そんなことはない、私は孤児であり天涯孤独であり、どんな家とも関係がないんだ。そう言い聞かせている自分と、その姿を見ているもう一人の自分と。


 自分の一部はもう気づいている。彼女が目をそらして逃げているだけだということに。


 ――私もその名を受け入れられたなら、真っ直ぐに、魔法士を目指すことだけに、向かうことができるのかな――。


「つまりだな、オレのことが気に入らないのは仕方がないことだ。それとこれとは別のこと。師匠の弟子として恥ずかしくない立派な魔法士見習いになるためには、通らなければならない道なんだ!」

「そっ、そもそもあんたに道とか決められる筋合いないし……」


 ごにょごにょと反論するものの、先程の勢いはすっかり削がれてしまったリーム。


「いいから、まずは着てみろって。ほんとテンションあがるぞ。間違いない」


 結局、押し切られて、ローブを試着することになってしまった。


 つややかな黒色のローブは襟元の形が少しラングリーのものに似ている。ミハレットのもののようにそっくり同じというわけではないが。鏡にうつる自分は、いつもの灰色のワンピース姿よりも随分大人びて見えた。なんだか魔法が使えそうな感じだ。


 リームは口の端があがってしまうのを抑えきれずに、にやにやしている自分の姿を眺めることになった。どうせなら青色のローブにしてくれれば良かったのに、と思ってしまったりして。


「ほら、似合うじゃないか! 言ったとおりだろう」

 試着室から出てきたリームに、ミハレットが声をかける。針子もよくお似合いですよと満面の笑顔だ。


「師匠と同じ黒髪だから、黒いローブが良く似合って羨ましいな」

「べっ、別に同じなんかじゃ……!」


 反射的に反論してしまって、きょとんとしたミハレットの様子から、黒髪がそんなに珍しくないことを思い出して、リームは口をつぐむ。


「と、とりあえず……ありがとう。あとでぜったい稼いで返すから」

「あぁ、そうだな。立派な魔法士になったら返してくれるといい」


 ――迎えに来たティナにどうしたのそのローブと驚かれて、顛末を話したら、ずいぶん仲良くなったねと笑われてしまった。


 別に仲良くなった訳じゃない。でも、だいぶ慣れてきたかな、と思うだけで。あとはさっさと魔法の勉強の続きを始められればいいんだけど。


 黒いローブはリームの自室の壁の目立つところにかけて、魔法の練習をする時だけ身につけることにした。

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