(5)迎えにきた店主


 クロムベルク城の調理場は広間のように大きく、何十人もの調理師が働いている。王様や王妃様のお食事はもちろん、定期的に開かれる晩餐会の食事や、大臣や神官、近衛兵、宮廷魔法士など城に住み込みで働いているものたちの食事も作っていた。


 ミハレットは城の中では有名らしい。とても貴族が通らないような通用口を通っていても、使用人たちは会釈をするばかりだ。慣れた様子で調理場に入っていくと、ひとりの体格の良い調理師が声をかけてきた。


「おや、ミハレット坊ちゃん。今日もラングリー様への差し入れですかな?」

「あぁ、そうなんだ。クロッツ菓子はあるかな?」

「それが、あいにく今きらしておりましてねぇ。まぁ材料はありますから、1刻ほどでできあがります。お部屋ででもお待ちいただければ届けさせましょう」

「いや、取りにくるよ。よろしくな」

「……え? 作るんじゃないの?」


 先ほどの掃除のように自分でやるのかとばかり思っていたリームは、ミハレットの後ろでつぶやいた。ミハレットが軽く驚いた様子でふりかえる。


「作る? 自分でか? ……あぁ、そうか。リームは料理もできるのか……なぁ、ドルマー、オレにも作れるかな?」


 どうやらミハレットには、そもそも料理を自分で作るという発想がなかったらしい。聞かれた調理師は困った顔をして、片手で帽子を直しながら言った。

「いやぁ……それほど難しくはないですがね。坊ちゃんに火傷でもされたら、あっしらが怒られますからねぇ」


「じゃあ、私だけやればいいですね。ミハレット坊ちゃんは、お部屋ででもお待ちいただければお届けしますよ?」

 リームがからかう調子で言うと、ミハレットはむっとして首をふった。


「いやっ、オレもやる! 一番弟子として、負けてはいられないっ」

 こうして何人もの調理師に見守られながら、リームとミハレットはクロッツ菓子を作り始めたのだった。





 ミハレットの不器用さは目を見張るものがあった。卵をかき混ぜるだけでこぼしそうになり、粉をふるえば調理台が真っ白になる。

 リンゴを切る時は、どうかそれだけは代わりにやらせてくださいというドルマーに断固として譲らずに挑戦、予想どおり指を切りそうになり、見守る調理師一同が息をのんだ。


「まったく、お嬢ちゃんが変なことを言いださなきゃなぁ……それにしてもお嬢ちゃん見ない顔だけど、新人かい? 随分坊ちゃんと仲が良いように見えるが」


 ミハレットが四苦八苦している間、手際良く生地作りを終わらせていたリームにドルマーが言った。リームは首と手を一緒に振って、全力で否定をする。


「まさか! 仲良くなんてないですよ。今日会ったばかりです。私、宮廷魔法士ラングリーの弟子になりました、リームといいます」

「ほほぉ、そりゃあまた。ラングリー様が新しい弟子をとるとはね。坊ちゃんが弟子になると言いだしたときは、それはもう大変だったさ。ラングリー様は貴族でも容赦しないから、いつ坊ちゃんがやられるかと心配したもんだが、さすがに子供には手を出しづらかったようだねぇ。とうとう折れたのが1年くらい前かな。お嬢ちゃんはいったいどうやって弟子になったんだい?」

「まぁ……なりゆきで」


 ――フローラ姫が自分を引き取りたいなんて言わなければ、ティナともラングリーとも出会うこともなかっただろうし、そうだとしたら『青』のひとりから直々に才能がないと断言された自分が『青』を目指すのは途方もない話だったろう。


 もちろん自分ひとりの力でなんとかしたい気持ちもあった。しかし一度決めたことなのだ。その場の勢いで言ってしまった感はあるとはいえ、今更どんな理由をつけたところで辞めるとなれば『やっぱり無理か』と嘲笑われるのは目に見えている。それだけは本当に絶対に嫌だった。


 そう、別にあいつに頼っているわけじゃないんだ。見返してやるためにも必ず『青』になってやる。そのためには、面倒で意味のない試練も乗り越えなければ……。

 固い決意を胸にしたリームの視線の先では、ミハレットが生地を入れたボウルをひっくり返して中身を床にぶちまけ、悲痛な叫び声をあげていた。




 リンゴを混ぜ込んだ焼き菓子『クロッツ菓子』は、リームの作ったものはそれなりに形になっていたが、ミハレットのものはぼろぼろと崩れて菓子の形をなしていなかった。


「なんでこうなるんだ……? リームと何が違うんだ?」

 中庭の塔に戻る道すがら、ミハレットは自分の作った菓子を見て何度もため息をついた。天然マイペースで猪突猛進なミハレットも、落ち込むときは落ち込むらしい。


「でも、味はそんなに違わなかったし、いいんじゃない?」

 あまりの気の落としように、思わず慰めの言葉をかけてしまうリーム。超絶不器用ながら真剣にお菓子作りに取り組んでいたのを見ていたら、馬鹿にする気にはなれなかった。

 面倒くさいやつですごく嫌な奴だけど、真っ直ぐなんだよなと思う。そこが某腹黒おじさんとは違うところだ。


「いやっ、師匠に食べていただくんだったら、ちゃんとしたものでないと! とりあえず、今日はリームのだけ渡してくれ。次こそはちゃんと作るからな」

 そして、こんなに真っ直ぐ慕う対象がなんでアレなんだろうと、ものすごく不思議だ。やはり魔法の技術がすべてなのだろうか。リームには分からなかった。


 ふと、塔の入口の前に人が立っているのが見えた。金髪を高い位置でひとつにまとめ、動きやすい普段着を着た若い女性――ティナだ。

 リームは、はっと息をのんだ。いつの間にか予定の時間を過ぎていたのだ。どれくらい待たせてしまっただろう。リームは塔に向かって駆けだした。


「ティナ! ごめんなさい。うっかりしてました。待ちましたか?」

 そんなリームを、ティナは笑顔で迎える。


「ううん、全然大丈夫よ。ちょっとラングリーに用事もあったし、問題ないわ。そっちが例のミハレットくん?」

 ラングリーから話を聞いたのだろう、追いついたミハレットを見てティナが言う。ミハレットのほうもリームに聞いた。


「リーム、この人は?」

「私が働いている雑貨屋の店主さんだよ。いつも迎えに来てもらってるの」

「初めまして、ミハレットくん。ティナ・ライヴァートよ」

「初めまして。ミハレット・エフォークだ。どうぞお見知りおきを」


 片手を胸にあてて一礼するミハレットに違和感を抱かないらしいティナは、やはりある程度貴族との付き合いに慣れているようだった。


「リーム、帰る前にラングリーに挨拶していったほうがいいよね?」

「あ、はい。これを届けなきゃいけないですし、あと、魔法語の本も借りて帰りたいです」

「うん。じゃあ行こうか」


 三人は塔を上がり、執務室へとやってきた。ティナがノックをして扉を開ける。

 ラングリーは正面の机に座り、何やら真剣な顔で巻物を見ていた。三人を見ると、ふっといつもの笑顔を見せたが――目が笑っていない、とリームは思った。


「おかえり、リーム、ミハレット。どうだ? 試練は乗り越えられそうか?」

「さすが師匠が選んだだけあって、見込みはあると思います。ですが! まだ正式に認めるわけにはいきません!」


 あれだけやって、まだなの? リームは隣からミハレットを睨みつけたが、ミハレットは気づいていない様子だった。


「クロッツ菓子、作ってきましたよ。ミハレットがいつも差し入れしてるそうですね? どうぞ」

「おお、悪いな。なんだ、リームが自分で作ったのか? これはフローラにやったら大喜びだな。持っていってやらないと」


 リームが渡した袋の中身を確認し、満面の笑みで言うラングリー。その言葉をミハレットは不思議に思ったようだ。

「フローラ様に? フローラ様はそれほどクロッツ菓子がお好きでしたでしょうか」


 いけない、バレる。


 リームは咄嗟に思い、その隠したい事柄を自分がいまだ認めてないことには気がつかず、声をあげた。

「それじゃ、私は帰りますね! 魔法語の本、借りていきます。さぁ、ティナ、帰りましょう」


 横の机にまとめて置いてあった魔法語の本をかかえ、ティナに言う。

 ティナはそんなリームの懸念に気付いたのだろう、仕方がないわねというような笑みを浮かべた。

「またね、ラングリー。ミハレットくん」


 ふたりが部屋を出る直前、ラングリーが口を開いた。


「ティナ・ライヴァート殿。貴方は、これを俺に渡す意味を、本当に分かっているのですか?」


 ラングリーの表情に、いつもの飄々とした笑顔はない。真っ直ぐにティナを見ていた。

 一方のティナは、けろっとした笑みで小首をかしげる。


「意味も何も、あなたが必要だって言ったんじゃない。私は、あなたがそれを持つことに、何か問題があるとは思わない」

「貴方は俺を信用しすぎているのか、見くびりすぎているのか、どちらかですね」

「どちらかだったら何か問題あるの? 私は、そうは思わないってことよ」


 にっこり笑うティナとその隣で目をぱちぱちさせながら様子を見ていたリーム、その周囲に淡い紫色の光が現れ、ふたりを包み込んだ。一瞬で強さを増した光は突然ふっと消え――その後には、すでにふたりの姿はなかった。


「……師匠、あの人は……?」

 ミハレットが茫然と尋ねる。ラングリーは長く息をつき、髪をかきあげた。

「気にするな。知らない方がいいことも、世の中にはある……本当にな」

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