最終話 悪役令嬢は主人公(ヒロイン)に溺愛される

 シエルがいなくなって、二ヶ月の時が流れた。

 劇的に生活が変わったりはしていない。シエルがいなくなってもジェフリー達とは相変わらず集まって話をしたし、それまでに覆った私への評価が元に戻る訳でもなかった。

 当たり前になった、騒がしくて平和な日常。本来ゲームの私が、得られないはずだったもの。

 でも、そこにシエルがいない。たったそれだけで――私の心は、ぽっかりと穴が空いたようになるのだった。



「……ふう」


 テラスの手すりにもたれかかり、一人溜息を吐く。楽しげな喧噪とそれを彩る演奏の音が、やけに遠いもののように思えた。

 今日は学園の創立を記念したお祭り『ステラ・ロザリエ』の日。この日だけは身分も何も関係無く、皆でお祭りを楽しむ事になっている。

 いつものメンバーのうちミリアムはマリクの所へ行き、残りの男性陣は女生徒達に引っ張りだこで身動きが取れない。それで私も、こうして一人で過ごしているという訳だ。

 生徒達がいつも以上に浮ついているのには、理由がある。それは『ステラ・ロザリエ』にまつわる一つの言い伝え。

 この日、生徒達全員に渡される薔薇の胸飾り。男子は青、女子は赤のそれを愛する人と交換すると、その二人は永遠の愛で結ばれる――そういう言い伝えである。

 ロマンティックなこの言い伝えからも解るように、この『ステラ・ロザリエ』はゲームのエンディングイベントとなっている。主人公はこの『ステラ・ロザリエ』で、攻略対象と永遠の愛を誓うのだ。

 本来私は、今年の『ステラ・ロザリエ』には参加出来ないはずだった。この頃にはお父様共々破滅し、学園を出ているはずだったからだ。

 けど、私はここにいる。現実が、正史ゲームがけして辿るはずのなかった道を進んだゆえに。

 そしてその代わりに、本来の主役であるシエルは今ここにいないのだ。


「……」


 赤い薔薇の胸飾りを外し、ジッと見つめる。私がこの胸飾りを交換したい相手――そんなの、一人しかいやしない。

 でも、その相手はここにはいない。渡したくても、渡せない。


「貴方は……今頃何をしているのかしら」


 手にした胸飾りに、ぽつりぽつりと語りかける。胸飾りは何も答えないけれど、私はその行為を止められなかった。


「貴方がいたから、私、破滅せずに済んだわ。でも……時々、どうしようもなく寂しくなるの」


 空いている方の手で、胸元をギュッと握り込む。目頭が熱くなって涙が滲んでしまいそうになるのを、私は必死にこらえた。


「早く貴方に会いたい。会って今度こそ、この気持ちを伝えたい。シエル……」

「――呼んだ? カタリナ」


 瞬間。風が吹いたような錯覚を覚えた。

 振り返る。立っていたのは、少し小柄な一人の少年。

 アクアマリンにも似た、明るい青の綺麗な瞳。少しウェーブのかかった、短くも柔らかなハニーブロンド。

 間違えない。間違えるはずがない。髪が短くなったって、男の子の格好になったって、あれは――。


「……シエル……!」

「ふふ、お待たせ」


 今度こそ、目から涙が溢れた。胸がギュッと詰まって、何の言葉も出てこなくなる。


「苦労したよ。今日に間に合うように、父上にも学園長にも無理を言って。でも、今日、こうして君に会えた」

「……本当に、シエル……?」

「うん。本当に、本物」


 そう言うとシエルは、ゆっくりと私に近づいた。そして胸に付けた、青い薔薇の胸飾りを外す。


「返事を聞きに来たよ、カタリナ」


 シエルが胸飾りを差し出す。柔らかな、それでいて頼もしい笑顔を浮かべて。


「僕のお嫁さんに、なってくれますか? カタリナ・パーシバル」

「……!」


 弾かれたように、私はシエルに抱き着いた。シエルは少しよろけながらも、しっかりと私の体を受け止める。


「なるっ……なるわ、シエル……!」

「……カタリナ」

「だから、もうどこにもいかないで……ずっと私と一緒にいて……!」

「もちろん。……カタリナ、好きだよ」

「私も……私も、好きっ……!」


 だんだん、辺りが騒がしくなり始める。皆が、私とシエルに気が付いたらしい。


「カタリナ様が、男の子と抱き合ってる!?」

「でも、カタリナ様、さっきシエルって言ってなかった?」

「そう言えばあいつ、シエルちゃんに似てるような……まさか!?」

「……シエル」


 そんな声を聞きながら、私はそっと目を閉じる。恥ずかしい気持ちよりも、幸せな自分を見せ付けたい気持ちの方が強かった。


「うん、絶対幸せにするね。……僕の愛しい人」


 シエルはそんな私に囁いて。きっとあの、天使の微笑みを浮かべて。


 そっと、私の唇にキスをした。



 聞こえますか、前世の私?

 悪役令嬢だった私は、主人公ヒロインの隠し攻略対象だったようです。






fin

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪役令嬢ですが、乙女ゲームのヒロインの筈の男の娘に好かれて大変です 由希 @yukikairi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ