連理の枝にはなれずとも

仔月

第1話

「遥か昔、戦乱の時代、宋という国の大臣、韓凭と何氏は仲睦まじい夫婦であったそうな。ところが大変、女好きで、大酒吞みの国王、康王は何氏の美しさに見惚れてしまい、彼女を収監してしまったのだそうな。それからというもの、何氏は収監されているときも、夫に手紙を書き綴ったとさ。健気だなぁ。しかし、その手紙は康王の手中に落ちてしまう。なんと、その手紙の内容たるや、何氏の死への決意を示すものであった。かくして、何氏は自らの命を絶つ。そして、韓凭も愛する妻のためにその命を絶ってしまった。何たる悲劇!そのうえ、康王は二人を別々のお墓にいれ、死してもなお、そばにいることができないようにした。しかし、数日後、二つの墓からは木が生え、その枝、葉、根はお互いに絡みついた。そして、その木の上でつがいの鳥は物悲しい声でさえずりましたとさ。おしまい」


「どうだった?『連理の枝』についての言い伝え、ロマンティックだよねぇ。引き離されても、二人の仲までは引き裂けない。ぼくたちもこうありたいよね?夕」

「うーん、そもそも、『比翼連理』という言葉は『夫婦・男女間の情愛の、深く仲睦まじいことのたとえ』でしょ?愛ちゃんもわたしも女性だから、これには当てはまらないんじゃないの?」

「夕は古いなぁ。今や、各々の人格はデータ化され、サーバーにアップロードされており、その人格のパラメータをいじることさえも可能なんだよ。パーソナリティーなるものが曖昧になりつつあるなか、性別云々を気にしてもしょうがないんじゃない?」

「それはそうかもしれないけど……」


そう。私たちの意識は、サーバーにアップロードされたものだ。この肉体は構築されたものであり、生来のそれとは異なる「らしい」。何せ、私はこの空間で生まれたのだから。実際の肉体がどのようなものであるかを語ることはできない。


「とにかく、こうなれたらいいよねって話」

「でも、そうなることは無理じゃないの……?いくら、人格のパラメータをいじることが可能でも、二つの人格のデータを混ぜることなんてできないはずじゃ……」

「いやー、それが可能なんだよね。これがあれば」


そう言い、私はあるものを取り出す。それは他者の人格と自身の人格のパラメータをいじることができる代物、違法アプリケーションだ。


通常、他者の人格のパラメータをいじることはできない。しかし、このアプリケーションを用いれば、それをいじることもできる。専ら、これはそれぞれのパラメータをいじり、何らかの関係(恋人関係だとか)を成立させるために使われることが多いらしい。だが、これを応用すれば、別々の人格のデータを混ぜ合わせることができるかもしれない。


「愛ちゃん!そんなもの、どこで?」

「にひひ、それは秘密。とにかく、試してみよーよ。私、夕と一つになりたいな……?」

「そんなこと言われても……元に戻れなかったら、どうするの……?」

「だいじょぶ、だいじょぶ、いくつかの事例においても、このアプリケーションの作用には可逆性があることが確認されているらしいから」


言葉は無い。流石に早まったかもしれない。でも、夕と一つになりたいという気持ちは本当だ。それを満たすためには、普通の方法では満足できない。私は「本当に一つになっている」という実感が欲しいのだ。


「……いいよ、ちょっとだけね……」

「やったー!夕、ありがとね」


歓喜のあまり、夕に抱き着く。柔らかな身体の感触。心地よい。それでも、夕の心には触れられない。こんなに近くにいるのに、彼女が何を考えているかが分からないことが、たまらなくもどかしい。


「じゃあ、始めようか。緊張しないで、深呼吸、深呼吸」

「分かった……ふぅ……」


軽口をたたきつつも、私はこれまでにないほどの興奮を覚えていた。それもそうだ。やっと、夕と一つになれる。本当の意味で。これまでにも、夕に触れることはあった。柔らかな身体、さらさらとした髪、小さな手、その全てが愛おしい。しかし、どれほど触れても、私は夕の心に触れることはできない。そのもどかしさが解消される。ついに……


「じゃあ、始めるよ」

「うん……」


アプリケーションを起動する。


あれ、特に変わっていない……?おかしい、アプリケーションを起動したはずだ。それとも、ジャンク品をつかまされたのだろうか……でも、これで良かったかもしれない。愛ちゃんの顔を見ると断ることができなかったけれど、これならば、愛ちゃんを危ない目に合わせなくてすむし いや、おかしい。私は愛だ。だが、私は私のことを愛とは呼ばない。とすると、これは……愛ちゃん?愛ちゃんだよね?ああ、やはり、夕か。なるほど。件のアプリケーションはこのように作用したのか。どういうこと……?それに愛ちゃんの口調がいつもと違うよ……?あー、つまりね。私の思考と夕の思考が混線しているわけ。多分、同調が進行すると、お互いの思考が明晰に理解できるようになるんじゃないかな?うーん、分かるような 分からないような きゃっ。どうしたの?夕、大丈夫?平気……ちょっと、愛ちゃんの感情の強さに驚いてしまっただけで……じんわりと恥ずかしさのようなものが伝わってくる。これは夕の感情?それとも、私の感情?瞬間、巨大な熱を感じた。これは……『愛』?いや、まさか……夕がこれほどに大きなものを抱えているとは思わなかった。しかも、その『愛』は私に向けられたものだ。何となく、恥ずかしさを感じる。もう……愛ちゃんたら、人の恥ずかしいところを見て……にはは、ごめん、ごめん。でも、ありがと。そんなに思ってくれてるだなんて……嬉しいよ。そう、嬉しい。確かに、嬉しい。だが、これは何だ。胸のなかにぽっかりと大きな穴が開いてしまったようにな気がする。いまや、夕と一つになりつつあり、全てが満たされているはずなのに……愛ちゃん、大丈夫……?ああ、うん。だいじょぶ、だいじょぶ。無理しないで。愛ちゃんの感情、分かるから。それもそうだ。私が夕の感情を理解できるように、夕も私の感情を理解できるのだ。多分ね……ここには『断絶』はないの。だって、愛ちゃんの気持ちが私の気持ちのように感じられるから。でもね、『断絶』がないということは、私たちは一つなの。ううん、私たちという言い方も変かもね。ここには「私」しかいなくなる。愛ちゃんは、私と触れ合うとき、もどかしさを覚えていた。でもね、ここには『断絶』がないから、もどかしさを覚えることもない。そもそも、「私」しかいないなら、そういう感情が生まれてこないんじゃないかな……?


衝撃を受けた。瞬間、同調が解除された。


「あれ、愛ちゃん!大丈夫?」

「うーん、どうやら、同調が解除されちゃったみたいだね」


同調が解除されたことに驚きはなかった。夕の言葉を受け、気付かされた。私は、夕の身体に触れても、夕の心に触れられないこと、一つになれないことにもどかしさを感じていた。しかし、このもどかしさこそが『愛』だったのだ。一つになってしまっては、お互いを区別するものはなくなる。夕の言葉を借りるならば、あそこには『断絶』がない。そして、『断絶』がないのだから、あらゆる感情はなめらかに伝わる。そう、あまりになめらかに…… 言い換えれば、それは平坦であるということだ。そして、その平坦さは私たちの『愛』を奪い去る。何故ならば、一つであるならば、『愛』することは必要ないからだ。こんなに簡単なことに気付かなかったなんて……いや、夕のおかげで気付かされた。私だけではこのことに気付くことはできなかった。そう、「私」だけならば……


「愛ちゃん、どうする……?愛ちゃんがやりたいならば、私はもう一度やってもいいけど……?」

夕がこちらを見つめてくる。きっと、不安なのだろう。それでも、彼女は私の意志を確認してくれる。それがたまらなく嬉しい。

「いや……いいよ。ぼくにはこれで十分だから」

夕の手をスッと取る。暖かい。そして、もどかしい。だが、このもどかしさすらも愛おしい。何故ならば、私が「愛」であり、あなたが「夕」であるからこそ、こうして、愛することができるのだから。


わたしたちは連理の枝にはなれない。いや、なりたくない。指先の感覚。世界でもっとも近く、もっとも遠い。これが私たちの距離だ。

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