梅宮香緒里

第1話

「私、海が好きなんだ」

それが俺の彼女の口癖だった。暇さえあれば海に行きたがったし、旅行先も大体海の近くだった。

「海ってさ、なんでも飲み込んでくれる気がしない?」

夕方の風を背に彼女はそう、笑いながら言った。

「そうか?ただの水じゃねぇか」

俺にはイマイチ彼女の気持ちがわからなかった。いつみても大体同じだし、海難事故とか起きていることを考えると、陸にいるほうが確実に安全だ。

「まぁ、いつかはわかるようになるよ」

そんな俺に彼女は自分の価値観を押し付けることはなく、「いつかは」と言って笑っていた。


「ねー、今度の旅行、どうする?どこ行きたい?」

夏休みの初日、俺と彼女は大学のテストが終わったその足で、俺の家に集まっていた。帰りに旅行代理店でもらってきた旅行のパンフレットを前に、彼女ははずんだ声で言った。広げられたパンフレットはどれも海に関するものばかり。

「そうだな、静かなところがいいな。」

「じゃあこれとかは?」

俺の目の前に、「秘境!青の聖地」と銘打たれたパンフレットが置かれる。表紙にはどこかの海が書かれていた。真っ青な海に、白い船が点々と浮かんでいる。

「これよさそうだな」

「でしょでしょ?!イチオシなの!」

海の話をするときの彼女の顔はとても輝いている。

「値段的にもいい感じだし、これにするか?」

「お、今回は乗り気だな、少年」

「俺はもう少年っていう年頃じゃねえよ。」

「いいじゃん!」

「まぁ、しょうがないか。」

そこで言葉を区切った俺は何気なく時計を見ると、彼女に問いかけた。

「お前、時間大丈夫なのか?」

「あー!やばっ!一回家に帰るね!また明日!」

彼女がバタバタと家を出ていくと、一気に部屋が静になる。机の上に散らかっていたパンフレットを整理していると、ふと無造作に置かれたイルカの形のネックレスに気がつく。彼女の忘れ物だろう。明日渡すか。俺はそう心のなかで決めると、そのネックレスを机の横の小さな木箱に入れた。



その後、そのネックレスが持ち主に返ることはなかった。

夜、その地域一帯を震度7を超える大地震が襲った。俺の家もことごとくやられたものの、なんとか生きていた。だが、彼女の家は一瞬にして崩壊したビルの下敷きになり、一家全員がなくなったのだった。


俺の心のなかに浮かんだのは、あの時引き止めておけばよかったという後悔の念だけだった。

しばらくして、瓦礫の片付けが一段落したころ、俺は彼女の家の跡地を訪れた。本来ならば崩れることのないビルに潰された家に涙が自然と溢れる。

「また来るよ」

その瓦礫の前に、道端で摘んだ小さな花束を置くと俺はその場を去った。


「出港しまーす!」

きれいな蒼の海を回る小さなクルーズ船が、じわじわと動き始める。速度を上げた船の横をイルカが飛んでいく。夏にも関わらず、デッキから顔を出した俺の髪の毛を触る風は涼しかった。

「一旦停泊します。」

かなりの速度で進んでいた船が速度を落とし、真っ青の海の真ん中で泊まった。

俺はカバンの中から、小さな金属の筒を取り出すと、蓋をあける。そのまま俺は海へ向けて、散骨した。

「ご家族ですか?」

船長らしき人が帽子を取りながら歩いてくる。

「いえ、彼女です。この前の地震で亡くなりまして。」

「あれから一年ですか……あれは酷かったですね……」

「はい。」

船長は海に向き直ると、数秒間、敬礼をした。俺もならって敬礼をした。

「失礼します。」

「はい。ありがとうございました。」

船長が去っていくのを見て、再び海に向き直った。

「好きだよ、美波」

俺の声が波に消えた。


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梅宮香緒里 @mmki_ume

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