運命の出会いとはこの事か
悶え死にそうです。
空が真っ暗になり、焚き火でもしようか、と薪を集めていたら、意図を理解したティグレスが手伝ってくれました。
さっきまであんなに警戒してたのに、すっかり馴染んでくれたようで嬉しいな♪ ……距離はまだあるけど。
こっちの言葉が伝わるのは幸いだった。湿った枝が混じっていたけど、それは分けておくように頼んだらちゃんと聞いてくれたんだよね。声も出てるし、言葉を話せるっていう認識が無いだけで、教えれば喋る事も出来るかもしれない。それぐらい賢いようだった。
あと、動物の耳やら尻尾やらがあるけど、別に火は平気みたいだ。夜になってかなり冷え込んでから、普通に焚き火に当たりに行ってた。寒くなって耳がへにょん、って落ち込んでたのに、炎に当たってたら次第に立った。表情からしてリラックスしてくれたようだ。でも猫の仕草とは違うようです。身体は人だから、喉も鳴らないのかな……? うわぁ、色々気になるうぅ。
けど、僕はあくまで警戒対象。こっちからは近付かないと決めたのです。
……撫でたい。
ところで、そろそろ限界なんだよねぇ……。
夜になって冷え込んだせいか、その。お腹の辺りが、ね? いや分かってる。行かないといけないよね。さすがに我慢しても意味が無いことを僕は知ってる。実際、ティグレスは夜までに三回は行ってるし。
で、でも、どうすれば良いんだろ。僕、今は女の子だよね? 基本的に変わらないのかな。でもなぁ……。
と、僕が悶々と悩んでいる横で、ティグレスがうろうろし始める。あれ、どうしたんだろ?
「ティグレス?」
「……!」
何を思ったか、ティグレスは僕を手招きする。触らせてくれるのかな? と思ったけど、僕が近付けばその分離れた。どうやらお触り許可ではないようです。がっくり。
って、違う違う。お触りOKじゃないならどこかへ案内しようとしてるんだよね。でもどこへ?
しきりに首を傾げてみるけど、それでわかるわけもなく。僕は大人しく着いていく。
ティグレスは井戸からそれほど離れていない、茂みの中に僕を連れてきた。そこには、少し深めに掘られた穴が。
……うん?
「もしかして、お手洗いに使えと」
「……!」
コクコクと頷くティグレス。その顔は薄暗くても分かるほどキラキラしてた。
……尊い。
撫でられない分、ありがとうという言葉を幾つもかけておく。
彼の耳は嬉しそうに揺れていた。
え、おトイレ?
……うん、まぁ、何とかなるものだね。ずっと我慢してたからどうなることかと思ったけど、膀胱炎は回避できたようだ。ほっ。
落ちていた草を集めて、簡易ベッドを作って寝てみた。前に見たアニメの女の子みたいで、最初は楽しかったんだけど……慣れないことはするものじゃないね。身体のあちこちが痛い。
虫に噛まれた痕とかがないのは気になるけど、起きたら元の世界で夢オチだった! というショックの方が大きくて気にしなかった。直前に見た夢が、妹とドーナツを食べるって内容だったからか、ショック倍増だ。虫食いの件は、そもそも異世界のことなので、常識は一旦捨てる事で対応しておく。今考えても仕方ないもんね。
さて、と。
お腹減った。
くきゅう、と聞こえてくるお腹を押さえて、心配そうにこちらを見てくるティグレスを言葉で宥める。ティグレスもお腹減ってると思うんだけど……何故か鳴らないんだよね。
「今日は食糧、出来れば人を探そうと思います」
「……っ」
馴れない寝床であまりよく眠れていない。僕は目を擦りながら、ティグレスに今日したいことを伝えた。途端に彼は硬直して、猫耳をへんにょりさせる。
僕にも怯えていたくらいだ。他の人に会ったら更に大変なことになりそうだけど、さすがに何日も食べないで済むわけがないはずだ。毒の有無云々はともかく、食べられそうなものすら見当たらないこの状況では、人がいるかもしれないこの場所で、人を探して人のいる場所へ連れていってもらうのが最善なのだ。
……その人の善悪は、この際考慮しない。末路が飢え死にか、それ以外かの違いだ。
これまで何不自由なく暮らしてきた僕にとって、何食か抜いただけの現状さえ辛い。人間という生物は、水があるなら最低でも五日は大丈夫だけど、出来うる限り早く食べ物を見つけたいんだよね。かろうじて生きられるのが五日なだけで、活動限界はもっと短いはずなのだから。
むぅ、その辺の草とか食べられるかな?
「……と、ところで。ティグレスは、この森で食べられるもの、分かる?」
「!」
ぴこん、と耳を立てたティグレスは、キョロキョロと周囲を見渡した。
お、これはもしや。
「……!」
近くの木の側に生えていた草を手にとって、一嗅ぎ。
首を傾げる。
また手にとって、一嗅ぎ。
首を傾げる。
しばらく繰り返して、ぽてぽてと戻ってきた。その手には何だか雑草然とした草が握られ、ティグレス自身はしゅんとうなだれている。
あぁ、分からなかったんだね……。
ありがとう、と伝えると、また耳がぴこん、と動く。
喋ることは出来ないけれど、それ以上にティグレスは分かりやすい子のようだ。
いつか、ありがとうと一緒に撫でられたら良いな。このくらいの子って、誉められると目に見えて喜ぶはずだもん。
それまでは、上がりかけの手を引っ込めよう。
僕はティグレスから受け取った草を両手で握りしめて、出かかった手をごまかした。
あぁ、それにしてもどうしよう。最悪雑草でも良いから食べておこうかなぁ……?
青々としたザ・草の臭いを発する草を、僕はまじまじと見つめる。他に何もない場合の最終手段だ。取っておこ──
「 今すぐ捨てろ 」
──……?
聞こえてきた声に、僕は井戸の方へと視線を向けた。足音も、それ以外も何もなく。
『彼女』は、いつの間にかそこにいた。
顔は見えない。かろうじてくたびれた靴が見える程に長い丈の深緑色のローブを着込み、フードを目深にかぶり、その上黒い薄手の手袋をはめた人だ。声が高いから、多分女性で合ってる、はず。
というか、今捨てろって言った? 何を?? 草を???
「これ、捨てろと言うに」
「え、えっと、この草を、ですか」
「それ以外に何がある! 良いか、それをあと一分握っていたら、肌が爛れて治らなく」
「捨てまっす!!」
ばっさぁ! 手に持っていた草を全てその場にぶちまける。
えっ、これそんな危険なやつなの、ただの雑草っぽいのに?!
というか、人だ?!
「あぁ、もう肌が赤いな……坊主、水を……いやいい。じっとしてな。【聖なる水よ、穢れを落とせ】」
先程まで草を握っていた僕の手を取り、その人は何だか不思議な響きの言葉を唱える。すると、上空からこぽり、音が聞こえた。
見れば、僕の手の真上に、大きな水の球が出来ている。ほんのり青色の光を纏うそれはゆっくりと落ち始め、赤みを帯びた僕の手を濡らしていった。
……えっ。
「んん、これでいいかね。坊主も洗っときな。それで幾らかマシなはずさ」
「えっ、えっ?」
困惑する僕をよそに、その人は手際よく、濡れたままの手に包帯を巻き付けていく。
ティグレスは彼女に指示された通りに、まだ浮かんだままの水に手を伸ばして、パチャパチャと洗っていた。
「あ、の」
「話は後だ。これはあくまで応急処置だからねぇ……うちへ来な、手当てと朝飯ぐらいなら出してやろう」
「行きます」
急展開に頭がついていかなかったけど、最後の方は何故だか即座に反応した。
空腹って、困惑に打ち勝つんだね。
僕が新たな事実を知ってから、僕達はしばらく森の道なき道を歩き、三十分ほどで彼女の家に着いた。案内があったから迷わず早く着いたけど、宛もなくさ迷ったら絶対辿り着けないよ……会えて良かったぁ!
井戸と同じで、森にぽっかり空いたスペースに家はあった。
大きなログハウスだ。煙突は赤いレンガ造りだけど、それ以外は丸太を組み合わせた自然み溢れる家屋である。一部には苔が生え、キノコが生え、蔦が絡まり、と自然のまま放置されていて、どこからか甘い香りが漂ってくる。そんな、おとぎ話に出てきそうなお家だった。
入り口は階段を上った先にある。彼女は鍵を取り出しながらも、僕達と会話が途切れないよう自ら話していた。
今の僕はただ相槌を打つだけの役に回っている。
「あの草はね、魔法が効かない厄介な性質を持つ分、取り扱いの危険度が上位に入る薬草なんだ。煎じれば良い傷薬やら軟膏やらになるんだけどねぇ」
「薬草なんですか」
「そうさ。毒と薬は紙一重。分量と処理法さえ合っていれば薬になるものも、一歩間違えりゃ劇毒になる」
家の中は不思議なにおいがした。香ばしいような、甘いような、美味しそうではないけど何だか懐かしさを覚える、そんなにおい。暖炉には大きな鉄の鍋が置かれ、壁は至るところに乾燥した草や木の実や茸なんかが紐に括られて吊るされている。プランターの花は薔薇に見えた。
家に入ってからも会話をしながら、この家の周りに生えていたという草で作ったという薬を僕の手に塗り込んでくれる。軽い火傷のようなピリッとした痛みがあるけど、ちゃんと手を握ることが出来る程度で症状を抑えられた。
その後に聞いた、もし治療が遅れていたら、という話は忘れたい。
全力で、忘れたい。
……それにしても。
「……魔女の家、みたいだ」
「ん?」
「あ! ごめんなさい!」
つい声が出てしまって、慌てて空いてる方の手で口を押さえる。
この家に来た瞬間から考えてたんだ。朝だし雰囲気は明るいけど、家の外観や中にある物のラインナップは、さっきも言ったおとぎ話に出てきそうな、魔女の家そのものなんだもの!
おとぎ話だと悪者が多いけど、オズの魔法使いみたいに良い魔女もいるのだ。
この人、口調は厳しそうだけど、声自体は柔らかいんだよ。
フードを被ったままの彼女は、包帯を巻きながら首を傾げた。
うぅ、失礼なこと言っちゃったかな?
時と場合によっては、魔女は禁句のはずだ。魔法の無い僕の世界でも、魔女狩りなんて言葉が歴史に残っているのだ。さっきのは明らかに『魔法』だった……こちらには魔法が存在している仮定して、こんな人目を避けるような場所に暮らしている理由を考えると……笑えない。
ちらり、女性の様子を窺う。すると、フードの奥の目が大きく見開かれていた。
次いで、微笑む。
「驚いた── よく分かったねぇ」
「へっ」
「そうだよ、私は魔女。
── 魔女【ガネーシャ】さ」
名乗りながら、彼女、ガネーシャさんはフードを取る。そこには壮年の女性がいた。
緑から白のグラデーションに彩られる髪は、セミロングで緩く纏められている。シミはない、しかしシワがある白い肌。どう見てもお年を召しているのに、濃い緑色の瞳が力強く輝いている。
年を取ってなお隠しきれない美貌に、僕は見とれた。
魔女? この、美しい人が?
ポカンとしていると、ガネーシャさんはにぃ、と笑む。それは悪戯っ子が何か企んでいるような、そんな幼ささえ感じてしまって。
僕は見とれたまま、しばらく硬直してしまった。
これが、僕と、その師匠となる人との出会いだった。
ガネーシャさんがいなければ、僕は生きていなかっただろう。更に言えば、この世界で生きる選択肢を捨てていたかもしれない。
それは確かに、運命の出会いだったんだ。
僕がこの世界を好きになる、そのための一歩を踏み出させてくれた、彼女との──
異世界で魔女になりました~お散歩してたら英雄に~ PeaXe @peaxe-wing
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