この世界で僕に友達が出来るまで

 手にいれたナイフを腰に提げて、手を顎に当てる。

 これからどうしよう!


 左右上下見事に森のこの場所から、動くか、動かざるべきか。救助を待つというのも手だけど、そもそもこんな森に入った記憶すら無いのに、僕がここにいることを知っている人がいるとは思えない。つまり望み薄。

 遭難では動かないのが吉と言うけれど、やっぱり状況によると思うんだ。うん。


 決めた、移動しよう!

 いつまでもここにいるより、道中で飲み水とかが確保できそうな方を選ぶ!


 残る問題は……。


「この子をどうするか、だよねぇ」


 気絶したままの子供に目を移す。身を起こすためにどかしたのだけれど、その衝撃では起きなかったようだ。むしろ息をしているか不安になったレベルで動かない。


 ……ここに置いていくのも、気が引けるんだよね。見捨てても後で後悔するのは目に見えてる。

 じゃあ、どうやって連れていこう?

 途中で目を覚まして暴れられたら、きっと逃げられる。いや僕の安全を考えればむしろ逃げてもらっても一向に構わないけれど、最悪の場合、また襲われる。それは避けたいところだ。

 ロープか蔦があれば縛っておけるのだけど、そう都合良く落ちているわけもなく。


 何にせよここは薄暗くていけない。この子がどんな子なのか、男の子なのか女の子なのか、はたまた実はお年を召しているのかさえ分からない。

 まずは明るい場所を探そう。幸い、僅かな光に目は慣れ始めているから、より明るそうな方を目指せば良い。


 僕は子供を背負う。意識のない人を薄暗闇で背負うのに四苦八苦したけれど、興味本意で救助系サイトを梯子した僕なら行ける! よいしょっ!

 ……ああ、やっぱり軽い。何歳なのか知らないけど、抱き上げた感じの大きさと重さが比例していないのだ。触れた感触からして、服の布一枚の下は骨と皮くらいしか無さそうな。そのくらい軽かった。

 何とも言えない軽さに動揺してしまう。けど妙に違和感のあるこの身体に慣れるためにも、僕は足元に気を付けながら森を進む事にした。








 どのくらい歩いただろう。息が乱れる程度には歩いだはずだ。

 やがて見えたのは、開けた広場。そこだけぽっかりと草木がなく、平らな黄色い地面が出ている。中央には、何と言うべきか。深い縦穴の地上部分を、石を組み上げた囲ったような……。

 うん。井戸だよね、これ?

 何で井戸?

 完全に人工物だよね!


 えぇー……人の手が入ってない大自然的な森じゃなかったの、ここ?

 ちょっとがっかりした。


 あ、いやいや、これがあるってことは、利用している人がいるってことじゃん! 助けを呼べるかも!

 滑車は特に錆びてないし、蓋はごく最近開けられた形跡もある。それにかなり綺麗に保たれているから、日常的に使われているのは間違いない!

 そうでなくとも、これで喉の乾きは潤せるよー!


 近くの木陰に子供を降ろし、井戸へ向かう。

 蓋を開けて、バケツを降ろして、ぱしゃん。おぉ、ちゃんと水の音がした! ふあぁ、人ってこんなことで感動出来るんだねぇ~。うんしょ、うん、木製のバケツにはほぼ満杯に水が入っている。それに水そのものの透明度が高い。キンッキンに冷えてるし、これで飲めなかったらおかしいよ!


 手で掬って、飲む。


 ……。

 …………。

 ………………!


 美味しい……っ!


 冷たい水が、渇いた喉を潤す。水そのものは冷たいのに、胸の奥や脳の中心辺りが痺れるような熱に浮かされ、無我夢中に飲み込んだ。

 現代の水道水に感じる独特な臭いもない、これぞ純水! と叫びたくなる水だった。


 自分が思っていたよりも随分と喉が乾いていたらしい。気付けばバケツの半分ほどが無くなっていた。え、このバケツ意外と大きいよ? おトイレ大丈夫、僕???

 そう、まじまじとバケツの中を見て、僕は、息が詰まった。


 水というものは、目の前にいる者を写す。ということは、この水に写っているのは、間違いなく「僕」のはずで。

 道中何度も鬱陶しいと思っていた長い髪は、肩口まであるストレート。艶々とした漆黒の髪は、さらりと肩からこぼれ落ちた。頭の上でぴょんぴょんと跳ねるアホ毛がかなり特徴的である。

 瞳も髪と同じ色で、顔立ちは前に鏡を見た時と変わらない。うん。何で男の子なんだって学校中から言われた中性的な顔のままだ。


 問題は。


 顔を下に向ければ、控えめながらたしかな双丘が。

 着ている服は全体的にクリーム色。けど膝上丈のスカートや所謂黒のニーハイソックスは、ある衝撃の事実を示唆している。


 ……僕。


「── 女の子になってるぅうう?!」


 顔がひきつる。頬に手を当てて、自分の物とは思えないふにふにとした感触が伝わってくるけど、それでも実感は無い。

 確かに下半身に多大なる違和感はあったけれども! それでも、まさか性別が変わってるなんて思わないじゃないですか!! ここまでまだ確信持てなかったけど、やっぱりこれ異世界転生だよ! さすがについさっきまでと真逆な性別になってたら確信するよ!!!


 膝から崩れ落ち、頭を抱えて悶える。

 女の子。妹と同じ性別だ。双子の妹は僕の分の男らしさを生まれる前に吸い取ったのではないかと疑われるほどの男勝りな性格だった。けど当然ながらその身体は女の子のものだし、それなりに女の子らしさも……えっと……あれ?

 そういえば、僕が異様に女の子っぽいから妹が男勝りすぎる説が、僕達の周りで主流だったような。


 ……案外女の子でもやっていけるかもしれない。


 悟りを開いた僕は、すぅっ、と頭が冷えていく感覚に目を細めた。思えばそもそも転生先が人間ではない可能性だってあったのだ。それが五体満足の人間として転生できたのは、この上なく幸運である。よく見かけたラノベでは、ドラゴンやスライムなんかに転生する話だってあったのだから。そう考えれば、性別の違いくらい気にならなくなった。


「── うぅ」


 後ろから、呻き声が聞こえた。

 後ろにいるのは、僕が背負ってきた子供だ。水と自分の事に精一杯で、気にしてなかったよ。僕ってば、本当に余裕無かったんだね……反省。


 声が聞こえたということは、起きたのかな? 僕は一応、井戸の裏に隠れた。勢いで連れてきちゃったけど、襲われたんだもん。安全策は取っておくべきだよね!

 それから、今正に目を開けたらしい子を、見る。


 灰銀と呼べるような髪色に、濁った金色の瞳。薄汚れた肌は泥や煤がこびりついているようで、シンプルすぎる突貫服もボロボロ。かろうじてズボンは穿いてるけど、靴は無くて足の裏が切れているみたいだった。伸びっぱなしになった髪はざっくばらんに切られていて、頬は痩せこけ、指も骨に皮を着せたように細い。その背は小さく、座っていなくとも幼いことが分かる。うっすらと開かれた口の端にギラつくものが見えて、息を飲んだ。

 もしや、ナイフよりあの小さくとも尖った牙の方が、殺傷能力は高いのではなかろうか。


「えーっと……」

「?!」


 起き抜けで呆然としている子に声をかける。すると、大袈裟に肩を揺らして、その子が僕の方を見た。

 濁った瞳には、光が宿っていなかった。


「えぇ、と。君、名前は?」

「……」

「あー、僕は皇歩夢。呼ぶのに困るから、名前を教えてくれると助かるんだけど」

「…………」

「……えっと、もしもーし」

「………………」


 子供は僕を睨み付けるだけで、それ以上の事はしてこない。襲ってこなかった。

 ただ、警戒心が異様に高い。襲われた側である僕よりも断然高い。

 何でだろう?


 純粋に疑問に思って、井戸の裏から出る。途端、子供はビクついた。かなり怯えているみたい。

 うーん。このままだと埒が明かないんだよね。


「そっち行って良い?」

「っ! ……ぅ」


 僕を睨み付けながら、その子はかなり長い間を置いて、緩慢とした動きで頷く。

 お許しが出たので、僕はゆっくり近付いた。これで一気に近付いても怖がらせるだけっぽいもんね。僕よりよほど極限状態のようだから、慎重に行かないと。


 一歩近付く度に怯えるので、子供から一メートルほど離れた位置で、止まる。

 これ以上は無理だ。むしろよくここまで近付けたってくらいだ。


「さっき、僕の上で君が気絶しちゃったから、何とかここまで背負ってきたんだけど」

「……?」


 子供はキョトン、として、首を傾げた。あれ? 覚えてない?


「……このナイフ、君のでしょ」

「……??」


 あ、あれ? 君のじゃないの? まさかの盗品ってオチはないよね? ね?


「あ、っと。僕のことを襲ったの、無意識だった、のかな」

「……??? ……!」


 ひたすら首を傾げていたその子だったけど、次の瞬間、さぁっ、と顔を青ざめさせる。

 ただでさえ悪かった顔色が一気に悪化したものだから、僕は目を見開いてしまった。血の気が引いた人の顔を、初めて間近で見たのだ。

 それは絶望という言葉を、そのまま表情に落とし込んだような。恐怖と怯えが一緒くたになって、その子がガタガタと震え出す。えっ、と思った時には、その子はその場に蹲って、一生懸命身を縮こまらせていた。


 それは、恐ろしいものから身を守っているようで。


 あぁ、そっか。




 この子は。




「── 落ち着いて」


 なるべく優しく声をかける。


「僕は、これ以上君に近付かないから」


 むしろ少しだけ距離を開ける。


「大丈夫。僕は、君を傷付けない」


 言葉を、かける。


 この子が、頭を上げてくれるまで。






 何時間経っただろう。

 空が大分赤みを帯びた頃、漸く僕が危害を加えないのだと理解したのか、泣きすぎて腫れぼったくなったその子はおそるおそる顔を上げた。

 不思議そうに僕を見つめる顔はキョトンとしていた。


 泣いたなら水分補給しないと! 僕は半分入ったままのバケツを手に、元の距離まで近寄る。今度は大丈夫らしい。

 バケツを置いて少し下がる。するとその子はバケツと僕を交互に見つめてきた。これは、飲んで良いのか迷ってるのかな?


「喉、渇いてるでしょ?」

「……(こくん)」

「飲んで良いよ。遠慮しないで!」


 そもそも誰の水か分からないけど、名前が書かれてないし、鍵もかけられてなかったんだから、きっと共用の井戸だよね! というわけで、遠慮しないでお飲み~。

 終始笑顔で言い切ると、おずおずと遠慮がちに、けどホッとしたように、その子はバケツに顔を突っ込んだ。

 ……おぉう。ワイルド。

 動物の、猫とか犬とかの飲み方だ。耳が猫っぽいし、そういう飲み方を誰かに強制でもされたかな。あるいは、異世界あるあるの一つ、亜人は人間より価値が低い的な。


 にしても、水が無くなるのが早い、早い。下手したら僕より水を飲んでない可能性もあったからね……足りなかったらもう一度汲もう。


「ん、……っ、ぷはっ」

「お、飲み終わった?」

「……っ!」


 こくこくと頷く子供は、目をキラキラさせる。あれ、こんなに澄んだ金色だったっけ? 気のせいかな。

 もう少しいるか聞くと、目を逸らしてしまう。ちらちら空になったバケツを見るのはもっと欲しいってことかな。僕はもう一度井戸から水を汲み上げて、その子にあげた。


 それからしばらくは一方的に話しかけていたけれど、どうやら僕の言葉をきちんと理解していているらしい。更に簡単な意思疏通を図れば、すぐにその子の事が次々に分かっていった。

 まず、男の子であること。次に十歳は越えていること。あと、彼自身は喋れないこと。

 声は出ているから、おそらく自分が喋れるかもしれない、という思考にならなかったと思われる。人の形をしている上に声が出て、僕の言葉も理解しているなら、喋れると思うんだけどね。はい、なら頷く。いいえ、なら首を横に振る、という動作で何とかなったのは良い傾向だよね♪


 それと、彼には名前がない。


 これには驚いた。ペットなんかにも名前くらい付けるよな、なんて軽く考えていたら、まさかの元から無いパターンだったんだから!

 彼はこれを悲観していないようだけど、名前が無いなんて相当なことだ。彼が彼であることを証明するためのものが無いのだから。


 そんなの、ダメ。


「じゃあ、僕が名前をつけても良いかな」

「?」

「名前があると、呼ぶときに便利だからさ。僕に歩夢っていう名前があるように。どうかな?」


 彼はパチパチと目を瞬かせ、数秒の間キョトンとしていた。けど、僕が言ったことを段々理解したのか、やがて頬が真っ赤になり、取れてしまわないか心配になるほど首を縦に振る。

 まるで犬みたいに、髪と同じ毛並みの細い尻尾を揺らすものだから、僅かに噴き出してしまった。

 か、かわいい……!

 胸がきゅんとするのを感じながら、彼の名前を考える。


 行動がかわいくても、男の子なのだ。かっこいい名前が良いよね!

 レオン、はライオンって意味でかっこいいけど、この子はオレンジ系の色じゃないしなぁ。イメージが違う。でもやっぱり横文字が良いよね。僕は黒髪で日本人顔だから、歩夢でもいいけど。……今の僕が女の子ってことを除けば。

 んー。

 んぅ~……?


 悩んで唸ること数十分。空は暗くなりかけていた。それでもわくわくそわそわしながら、男の子は待ってくれていて。

 け、健気だ……! 数十分前の怯えようはどこへやら、悩む僕に、新しい水を持ってきてくれた。優しさが身に染み渡るよぉ。


 そうしてようやく、思い付いた彼の名前。

 ありきたりかもしれない。もっと良い名前があったかもしれない。けど、その名前は間違いなく僕が考えたもので。


「── ティグレス」


 ラテン語で虎という意味を持つ単語だ。

 色的には、ライオンよりも遠い気がする。けど何故か僕の中でパズルのピースが嵌まるかのような感覚があった。多分だけど、薄汚れた髪が虎の模様に見えたのも関係しているだろう。


 名付けた男の子は、パチパチと目を瞬かせ、次いで口をもにょもにょさせた。うーん、これはどんな反応なのだろうか。

気に入ってくれると良いな。


 そう、考えていると。


 彼は、ふんわりと、微笑んだ。


「……っ、気に入ってくれた、かな」


 僕の問いかけに、こくんと頷く彼── ティグレス。

 頬が僅かに染まっていた。尻尾がゆらゆら揺れているし、嬉しいってことで、いいよね?

 ただ、よく見れば笑顔もぎこちないし、もしかすると今まで笑うことが少なかったのかもしれない。そう考えると、この笑顔は貴重だ!


「じゃあ、これからお友達だね、ティグレス!」

「?」


 また小首を傾げるティグレス。まさか、友達って単語を知らないのだろうか。

 うむむ、前途多難である。


 でも。


 ── いつか、ティグレスの自然な笑顔が見たいなぁ。







 これが、僕がこの世界で、初めて、生きる目標を定めた瞬間だった。

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