異世界で魔女になりました~お散歩してたら英雄に~

PeaXe

エピローグ≠プロローグ

 オーケイ一旦落ち着こう。

 この際首もとで銀色に輝く物の事は置いておこうじゃないか。


 まずは状況整理でもしよう?


 ── 覚えているのは、電車に乗っていたこと。


 双子の妹も一緒にいたはず。

 電車特有の心地よい揺れに、二人してうとうとしていた。


 轟音と、激しい揺れが襲ってくるまでは。


 ああ、そこまでは覚えている。

 けど、反射的にぐっと瞑った目を開けば、そこには見知らぬ緑があった。

 走馬灯とか夢じゃない。

 自然みが強い緑だ。更に言えば苔や雑草なんかの、何とも言えない触り心地の緑。吹いた風は冷たく、草木特有の青臭さや、甘さを含んでいた。

 ゆるゆると目を開いて見えたのは、背の高い樹木に囲まれた森の中。それも、獣道すらない、緑と焦げ茶オンリーである。


 電車を降りたわけではない。線路上を走る電車から投げ出されたとして、住宅街の雑木林に落ちるがせいぜいのはずだ。それなら奥に何かしら人工物が見えるはずだし、そもそも人が通るための道が作られていてもおかしくない。けどそんな道はないし、奥に行けば行くほど暗くて見えないのだ。それはつまり、陽光が差す隙間もないほど木が密集しているということ。


 なら、これは。


「所謂、異世界転移ってやつですか……?」


 出てきた声は震えていて、覚えているものより少し高かった。元々変声期を経ても高いままだったけれど、まるで変声期を知らないような、鈴を転がしたような声。


 薄暗くてよく見えないけれど、それでも色々と身体に違和感がある。

 声然り、服装然り。

 そう、服も直前に着ていたものと違うのだ。着慣れたブレザーではなく、半袖になっていて、何だか脚がスースーするし、何より首や腕にサラサラと何かが当たっているのだ。鬱陶しい感覚に掻き上げれば頭が引っ張られるし、すぐにそれが自分の髪なのだ、と気付いた。


 本格的に何が起こっているのか、と目を白黒させる。

 の、だけれど。


 神様はどうやら、僕には混乱する暇さえ与えてくれないようです。


 ざざざ、と勢いよく草の根を掻き分ける音が耳に届いて、僕の抱く混乱ごと、僕の細い肢体は地面へと叩きつけられた。

 衝撃に息を吐き出す。

 けれど、何事か、と叫ぶことすら、そのときの僕には出来なかった。


 首もとに当てられたナイフが震えている。


 素人目にもそれほど切れ味が良くないことだけは分かる、そんなナイフ。


 そんな事に気付かず、あるいは気にもせずに、目の前の子は押し倒した僕の腹にまたがり、首にナイフを突きつける。

 それしか出来ないのだ。

 彼はどうやら、急にこんな場所へ来てしまった僕より余程混乱し、加えて強く怯えていた。一言も発さず、ただ唸っている。


 彼の髪に混じる、ふわふわの毛を持つ耳。それは明らかに本物で、人工的に作られているようには見えず、繋ぎ目もない。

 金色の目の瞳孔は縦に伸びていて、まるで猫のよう。思えば耳も猫のものに見える。


 ならば彼は、猫の亜人、というところか。


 僕は健全な男子高校生だ。多少のゲームは嗜んでいるし、ラノベだって結構読んだりする。だから、人と獣の中間にいる彼の事も何と無く察しがついた。

 もちろん、現実にこんな子がいるだなんて思わないよ?

 だから、少なくとも、僕は異世界と呼ばれる場所へ来てしまったのだろう事は、自ずと理解した。


 ……ここまで冷静に考えられるのは、おそらく混乱が一周回って落ち着いてしまったからかな?

 薄暗い森の中、ぎりぎり日差しが届いているだけで、彼の姿はほとんど見えない。荒い息遣いだけが届いて、本当に余裕が無いことだけが伝わってくるのだ。自分より興奮している人がいると、逆に落ち着く法則はどこの世界でも同じなんだね。むしろそっちの方がびっくりした。


 さて、ここからどうしよう?

 平和ボケした日本人の僕にも、彼の瞳に殺気がこもっていることくらい分かる。

 今、少しでも身動ぎすれば、切れ味最悪(かもしれない)ナイフが僕の首にめり込むだろう。

 ……絶対痛い。


 最悪の状況だ。草の生い茂る地面からただならぬ冷気を感じるというのに、手には冷や汗がたっぷり滲む。

 混乱はしなくとも、恐怖は変わらずここにあるままだ。煩い心臓を心の中だけで宥め、逸らしそうになる視線を子供に固定し、とにかく動かないように努める。動かないことこそが最善策なんだ、と、自分自身に言い聞かせて。


 続く緊張状態。


 ……は、意外にもすぐに終わった。


 気を張りすぎていたらしい。ふと僕にまたがる子が身体から力を抜いたのだ。

 ナイフは僕の首をややかすめて、そのまま地面へ落ちた。

 と同時に、その子の体重が一気にかかる。


 ……軽い。

 普通気を失った人は、子供でも重いものだ。なのに、その子は軽い。もしや起きているのでは、と思ったほどだ。けど息苦しそうに、けど規則的な呼吸を繰り返すその子は、確かに眠っていた。


 これがこの先、僕とこの世界の明暗を分ける分岐点だなんて、誰が考えただろう?

 僕はそのまま、しばらく放心することとなった。







 僕の名前は皇歩夢すめらぎ あゆむ。世間一般で言う、ただの一般男子高校生だ。

 ちょこっと病弱で、中性的な容姿で、家庭科が得意なだけの。


 学校からの帰り道、ちょっとした寄り道のつもりだったんだよ。

 妹はゲームが大好きだから、最新のゲーム機と最新のソフトが出ればすぐ欲しがるんだ。だからその日は、かなり前から予約していたゲームソフトを受け取りに遠出をして、いつもなら乗らない電車に乗った。

 「帰ったら一緒に遊ぼう」って約束もした。……だから、まさか。


 ── それが破られるなんて、思わなかったんだ。


 痛みの記憶はないけれど、あの揺れでは何にせよケガを負っていない方がおかしいのだ。それが無くて、しかも見知らぬ場所にいて、更には見たことの無い動物の耳が生えた人……あー、獣人でいいや。獣人がいるなんて、異世界しかありえないよね?

 というかそもそも身体がおかしい。体調が悪いのではなく、まるで薄い生地で作ったきぐるみを着ているような。そう、距離感がつかめないのだ。

 ってことは、うん。

 これ、転移じゃない。




 異世界転生だ。




 そこに思い至った僕は、深いため息をついた。自分でも驚くほどなっがいため息を。

 息を吐き出しきったら、押し倒されたままの身体を起こす。


 次の瞬間、パァン! と、乾いた音が辺りに響いた。


 ……うぅ、両頬が痛い!


 でも、いつまでもここに留まっているわけにはいかない。森だから食べ物は何とかなるかなー、なんて思ったけど、よくよく考えれば危険なのだ!

 毒キノコはもちろん、水だって動物の糞尿が混ざっている可能性があるし。そもそもの話、異世界の物が自分の口に合うのか? という実に根本的な部分からして大問題。目利きなんて一般男子高校生に求められる技術じゃないんだ!


 飢え死にも病死もやだよ、僕!!


 目下人と食料を探そうと思います。

 この子の事情も知りたいし、連れていこう。こ、殺されかけたけど、武器を取っちゃえば大丈夫だよね? ね?!




 こうして僕はボロのナイフを手に入れたのだった。


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