ある日の物語
秋明桜
第1話 鎌倉
すたすたと坂道を登っていくと、急な階段が現れた。
階段を上って、拝観料を払い境内に入った。
美智は仕事が休みの日にひとり鎌倉に散歩に来ていた。
美智は2年半付き合った秀明との関係に悩んでいた。
シングルマザーで思春期の息子がいたため、一緒になりたがっていた秀明とは離れて暮らしていた。
最近、秀明の態度がよそよそしくなってきたので、他に好きな女が出来たのかもしれない、今回ばかりはもうダメかもしれないなと絶望に似た気持ちだった。秀明の心が他の女に移ろっていくのを肌で感じていた。
ただ、まだやり直せるかもしれないと淡い期待も捨て切れないでいた。
小さな境内を抜け本堂に入ると閻魔様がこちらを睨んでいた。
閻魔様の前で懺悔文を3回唱えると今生の罪は全て許されるという。
美智はなぜか前夫のことを思って懺悔した。
前夫とは家庭内別居になり、ずいぶん冷たく当たってしまった。そこにはもう愛は無かったが、冷たくしてしまったことは謝りたかった。自分が傷付いたことに囚われて忘れていたが、前夫も傷付いていたのではないか、と思うようになっていた。
閻魔様の前には、閻魔様も、悪人を裁き地獄に送らなければならない苦しみを日に三回味わっている、と書かれていた。
境内に出ると、水を張った大きな鉢に目が止まった。覗き込むと水面の浮き草の間から二匹の金魚が見えた。
泳ぐでもなく二匹は並んでじっとしていた。
お前たちはずっと一緒にいるんだね
心の中で金魚に話しかけた。
そのとき、美智はふと思った。
きっとこの世で秀明と一緒になることはもう無いのだろう
二人ともあんなに一緒になりたがっていたけれど、私たちは一緒になれなかった
秀明が私じゃない誰かと幸せになれるのなら、それでも良い
認めたくないと逃げていた事実がそこにはあった。美智は胸にこみあげてくるものをこらえて、またすたすたと足早に来た道を戻った。
ある日の物語 秋明桜 @smdyr582
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