エピローグ


 怖かった。

 ただただ怖かった。

 一人になるのが怖かった。

 一人で、家にいるのが怖かった。

 時間になればあの人が帰ってくる…、ソレがわかっているのなら、そんな恐怖を、この胸に抱く事なんて無い。

 でも、その恐怖を久しぶりに味わった。

 あの人のせいじゃないのに…。

 恐怖は不安を生み、帰ってこない事に、若干の怒りを覚えた。

 そして、そんな怒りを胸に抱く自分を嫌悪した。

 あの人のせいじゃない事は百も承知だ。


---[01]---


 頭ではちゃんと理解している。

 ここに帰ってくる人はあの人だけ…。

 あの人だけなのに…。

 その玄関の扉を、見知らぬ男が開けて入って来るんじゃないかと恐怖する。

 そんな事ないのに…、ある訳ないのに…。

 自分に伸ばされる手を思い出して、体が強張り…、動悸が激しくなる。


 その度に、体を丸くしながら、大丈夫大丈夫…と、自分に言い聞かせた。


 帰って来たあの人は、いつも通りの様子で、ただいま…と言いながら玄関へと入って来た。


---[02]---


 玄関の壁に松葉杖をかけて、手慣れた手つきで、壁の手すりに手を掛けながら、片手で動かぬ右足の靴を脱ぎ、もう片方も脱ぐ。

 私が玄関に着いた頃には、脱ぎ終わって廊下へと足を延ばした所だった。

 いつも通りの元気そうな姿で、私の方を見て、また…ただいま…と微笑みをくれる。

 そのいつも通りの姿に、安堵し、足の力が抜けた。


 詳しい事はわからない。

 学校の卒業制作展に見知らぬ子供を連れていたあの人は、その子をトイレに連れて行って、その後いなくなった。

 カフェの手伝いをしていた私が、外の騒々しさに気付いて、気になって見に行った時には、何も無かった。


---[03]---


 確かに喧嘩みたいな音は聞こえていたけど、そこまでだ。

 他に人が向かってたから、そんなモノすぐ収まるだろう…とも思ってた。

 それでもなかなか喧嘩が続いてたから、様子が気になって、私が見に行った時、カフェから外に出た時、パッ…と騒々しかった音が消えた。

 何も無い、何も聞こえない、廊下には誰もいない。

 まるで、元からそこに人なんていなかったかのように、そこには静けさだけが広まっていた。

 その光景に、ただただ不安だけが沸き上がっていった。

 だって、さっきまでそこで喧嘩があったはずだ。

 直に見た訳じゃない。

 でも、ただならぬ叫び声が聞こえてたはずだ。


---[04]---


 滅多にない事だから、耳にそれらは残ってる

 でも何も無い。

 誰もいない。

 あの人も、その付き添いの人も、子供も、いるであろう卒業制作展を見に来た客も…、誰もいない。

 その瞬間、手伝いなんて頭から消えた。

 不安で、心配で、あの人を探して私は走り出した。

 でも見つからない。

 喧嘩が起きている…と言われて駆けつけた警備員の人も、何もない事に首をかしげていた。

 保健室に行った、いくつもある展示室を見て回った。


---[05]---


 でもいない。

 いない…いない…。

 あの人はいない…。


 そんな…、人が急にいなくなる事なんて…ある訳がない…。

 ある訳ないのに、でもここにはいないんだ…と、その事実は乾いた喉にぬるま湯を流し込むよりも簡単に、飲み込む事ができた。

 そのせいで、不安が爆発した。

 だって、私には何もできないから。


 心ここにあらず…とでも言うかのように、その後は手伝いも手が付かなくなって、このままカフェの手伝いを続けてもしょうがない…と、その日は帰った。


---[06]---


 申し訳ない気持ちはあったけど、どうでもいい…と思う気持ちも同時に胸の中にあって…、バイトも休んで家に帰った。

 もしかしたら…、あの人はもう帰ってるかもしれない…、そんな自分自身である訳ない…と否定できる期待を胸に帰った。

 でも、やっぱり…と落ちていく感情は、さらに暗い世界へと落ちていく。

 家には誰もいなかった。

 まだ日が落ちていない。

 外は明るく、家だって、明かりを付けずとも生活ができる程。

 だから家が暗くたってもしかしたら…と思った。

 思うだけだ、期待はしない。

 案の定、そこには誰もいないんだから…。


 いやだ…。


---[07]---


 一人はいやだ…。

 こんな状態で、一人で居続けるなんていやだ…。


 後から帰ってくる証明が欲しい。

 安心が欲しい。


 そんな心境で足が伸びた先は、あの人の部屋だ。

 整理整頓された部屋、子供の頃は散らかり放題だった部屋が、今では綺麗に片付けられている。

 その部屋のシングルベッドの横に腰を下ろす。

 膝を抱え、早く帰って来てと、願いながら…。


---[08]---


 きっとその願いを口に出したら、その声は震えた事だろう。

 あの人が傍に居てくれたら…、こんな不安を胸に抱えていなかったら…、絶対に出てこない弱音だ。

 不安だ…、いやだよ…、早く帰ってきて…。


 何もする気になれず、そのまま日は傾き、そして沈んでいく。

 日が出ていた時は、まだ温かかった部屋も、沈んでからは一気に気温が落ち始めた。

 今は、部屋の中とはいえ、息を吐けば白い息が出てくるんじゃないか…と思える程だ。

 部屋が真っ暗になっても、そのままずっと何もせずにいた。


---[09]---


 時計も見ないから、どれだけ時間が過ぎたのかはわからない。

 手足が完全に冷え切っているのはわかる。

 体がちょっと震えているのも…。

 それでも動く気になれず、風邪だとか、それ以外の何かしらの病気だとか、そんな事はどうでもよく、ただずっと待ち続ける。

 しん…と静まり返る家の中で、何もしないまま時は過ぎ、ガチャン…と玄関の扉を開ける音が、すごく大きく、目の前で開けられたんじゃないかと思える程に、自分の耳へと響いた。


 誰かが家に入って来た…。


 きっとあの人だろう。


 埋めていた顔を上げ、すぐにでも玄関へと向かおうとした。


---[10]---


 でも体は思うように動かず、1歩1歩進むのにも、大荷物を抱えたかのように足が重い。

 冷え切った体で、心労を重ねて…、体は限界だ。

 きっと今の気持ちを相談したら、考え過ぎだ…なんて言われるだろう…、実際、自分でもなんでこんなに考え込んでいるのか…て思う。

 重い体を引きずって、一階にやってくる。

 明かりが点いている…、やっぱり誰か来たんだ。

 玄関には鍵をかけていた。

 それを開けて入ってくる人なんて…、決まってる。

 考え過ぎなんだ。

 映画やドラマ、アニメやゲームみたいな事、そうそう起きる訳が無い。


---[11]---


 でも、それらが起きる可能性がある事を、知っている…、知っているからこそ、感じる必要のない恐怖が助長されてしまう。


『ただいま。』


 あの人は、壁に付けられた手すりに身体を預けながら、こっちの方を見ていた。

 今の自分は酷い姿だっただろう。

 完全に体温も奪われていて、真っ青になっているかもしれない。

 でもそんな事は関係なかった。

 あの人の胸に、無言で飛び込む。

 身体を振るわせて、ただただそこにあの人がいると実感したいがために、手に力を入れていた。


 そこからはもうほとんど記憶に無い。


---[12]---


 ただただ泣いた。

 涙を流し、鼻水を垂らした。

 気づいた時には、あの人と一緒にベッドの中にいた。

 着替える事も無く、子供のように泣きじゃくる私を抱きながら、あの人は寝息を立てていた。


 こんなに自分を崩してしまったのは久しぶりだ。

 引かれただろうか…、幻滅されただろうか…。

 同居人がこんな奴だとは思わなかった…出ていけ…、と追い出されるだろうか。

 怖い…、もうここしか居場所が無いのに…、ここにいられなくなったら、どうしよう…。

 そうなったら…。


 もうこんな「現実(夢)」、捨てるしか…無いね。




…つづく…


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Gift of Nightmare【EP4】 野良・犬 @kakudog3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ