第132話 エピローグ(3)

(1)

 

 見下ろすようにそびえ立つ堅固な石塀を前にヤスミンはたった一人きりで佇んでいた。


 燦々と照りつける明るい陽光の下、石塀及び真正面に設けられた、石塀と同じ高さを誇る鉄門の向こう側は年中ぴりぴりと張り詰めた空気を醸し出しているように、思う。

 この二年、否、三年近く、折を見てはこの場所に足を運んできたが、未だにこの空気の違いに慣れずにいる。


(でも、それも今日でおしまい)


 鉄門の前の衛兵の姿をちらと横目で盗み見て、気づかれない内にささっと視線を戻す。門が開くのを今か今かと待ちわびているだけなのだが、その度に衛兵と目が合ってしまうからだ。

 別に悪いことをしている訳ではないし相手も全く気にしていないのだろうけれど、何となく気まずい。

 それだけ、長いとまではいかなくとも決して短くない時間、ここである人物を待ち続けている。


 もう何度目とも知れない視線を、鉄門へと送りつける。すると、タイミング良く衛兵が門を振り返った。

 ヤスミンの視線を避けた訳ではない。

 ズズズ……と重量物を引きずるような音と共に、門が少しずつ、徐々に開かれていく。緩慢な動きで開いていく扉の内側から人の姿が二人、見えてくる。

 開きが大きくなっていくにつれ、ヤスミンの胸の鼓動も自然と速まっていく。一人は衛兵と同じ軍服を着た男、もう一人の頭二つ分は小柄な体の――


「ロミー!!」


 ロミーの名を大声で叫び、彼女に向かって一目散に駆け出していく。ロミーだけでなく彼女に付き添っていた刑務官、衛兵が驚くのも構わずに。


「……ヤスミン……」

「ロミー、おかえり!!」

「本当に、迎えに来てくれたんだ……」

「あったりまえでしょ!」

 ヤスミンの勢いに気圧され、つぶらな瞳をぱちぱち瞬かせるロミーにニカッと笑いかける。

「よかったな、迎えがあって。家族ですら迎えに来ないどころか、ここに入ってくる大抵のヤツは身内自体いなくて孤独な魔女が多いんだ。だから、お前さんは幸せ者だよ」

「……そ、そうです、よね」

「お前さんが模範囚だったのもあるが、ギュルトナー元帥の恩赦で異例の仮出所できたし、定期的な面会と迎えに来てくれた友達もいる。今度は皆からの信頼を決して裏切るんじゃないぞ」

「……はい!」


 刑務官の言葉に力強く首肯する。

 ほら、もう行けと背中を押され、ヤスミン共々「お世話になりました」と一礼し、二人は歩き出す。


 魔女専用刑務所は、元帥府が建つ丘の裏手側の麓――、各軍用施設と並んで所在していた。

 穏やかな昼下がりの空に、演習場からは射撃訓練を一斉に行う音、士官学校からは校庭を走る候補生達のかけ声と教官が鳴らす警笛の音が重なってこだます。道すがら擦れ違う人々も皆、軍服を着た者ばかり。

 若い娘達が連れだって歩く姿は珍しいようで、擦れ違い様に振り返って二度見する者すらいた。

 とはいえ、ヤスミンは『ギュルトナー元帥副官シュライバー大尉の娘』『護りの魔女』と認識されているため、大抵の者は一言挨拶をしたり恭しく会釈していったが。

 約三年振りに外界に出た上に軍人達からの様々な視線や言葉にロミーは戸惑う一方、金網越しではなく間近でロミーと接せられることでヤスミンは上機嫌だった。


「ああ、お腹空いたー!折角だし、屋敷に戻る前にお茶でもしていこうよ!」

「あ、あの、ヤスミン」

「んー、なにー??」

 ロミーの腕を掴み、薄茶の髪を揺らし軽やかな足取りで先へ先へと急ぐヤスミンの背に声を掛ける。

「色々、ありがと、ね」

「え、なにが??」

 ヤスミンは不思議そうに小首を傾げ、きょとんと見返した。

「よく面会に来てくれたし、こうして迎えに来てくれたし……、これからはアストリッドの家で一緒に暮らすし……」

「うん、楽しみ!あ、悪いけど、家事とか妹の世話とか一緒に手伝ってね、魔の二歳児真っ盛りで大変なのよ!」

「う、うん……、って、あのね」

「大丈夫、ロミーが不安になるようなことには絶対ならないし、させないから」

「ヤスミン……」

「じゃなきゃ、パパを軍籍に戻して元帥閣下の副官に差し出す代わりに、ロミーを含めて二年前に活躍した魔女様方の刑期短縮を、だなんて、アストリッド様が言いださないよ」

「…………」

 それでも、釈然としないと言った体のロミーに、ヤスミンは歩くのを止め、真面目な顔して向き合った。

「もしかして、エヴァ様や他の服役囚への遠慮??」


 う、と、呻くロミーに、やっぱりねぇ、とヤスミンは小さく嘆息する。


 約二年前――、ロミーの発言とその後現れたエヴァよりリヒャルトからの命を受け、ロミー含む魔女の服役囚達も結界強化に一役買っていた。

 その後、協力した服役囚達には刑期短縮、刑罰の軽減、罪状や日頃の態度如何では仮出所等の恩赦を申し渡されたのだが――、何と、協力した服役囚全員揃って恩赦を辞退したのだ。

 その中にはエヴァもいて、イザーク討伐後は再び独房の中へ戻ることを彼女は希望した。


『私の贖罪はあの程度で報いられるものではない……!私の尽力が必要な時だけ出してくれさえすればいい。その代わり……、東の女狐やヘドウィグは出してやれ!!東の女狐は護るべきものが多くいながらも自らの命を張ろうとした……、悪いが、私にはそこまでの覚悟は持ち得なかった、あれは、もう、いい加減許してやるべきではないか??ヘドウィグの罪は私を匿ったことだけだ、長々と塀の中にいさせる程のものでもない!!それと……、ロミーもな!』


 エヴァは自らへの恩赦ではなく、ヘドウィグやリーゼロッテ、ロミーへの恩赦をしきりに訴え続けていた。

 結局、国民からの嘆願もあり、最終的にはエヴァも刑期が短縮されたけれど。



「いいのよ、これからは持て余していた力を誰かのために使えば、それで」

「う、うん……」

「もしかしたら、力を見込んで元帥直々に何か命が下されるかもしれない。最近、また東の隣国ヤンクロットの兵が国境付近で不審な動きを見せているでしょ??また国境守備役の魔女を選出するかも、って話もあるみたいだし。イザーク討伐戦で国軍と魔女の共同戦線にびびっちゃったんだかなんだかで、和睦協定持ち掛けてきた北のエリッカヤだってまだ油断はできないしね。ま、南のペリアーノは御師様が変わらず睨み利かせているから大丈夫だけど」

「…………」


 国境守備役と聞き、顔を強張らせたロミーに「あぁ、まぁ、流石に国境守備役は荷が重いよね……、私ももし命じられたら……、すっごい悩むかなぁ」と苦笑を浮かべた。


「そうだなぁ、別に無理して魔女として生きていかなくてもいいのよ。力を手放したければ、ママみたいに永久に魔力を封じて只人に戻る選択もある。最近じゃ、アストリッド様と出所したヘドウィグ様が魔力を手放したい魔女達のための相談に乗っているわ。意外と相談多いのよ、これが!今すぐ決めなくても、これからどうするかはゆっくり考えればいいの。それより今は」


 一旦放したロミーの手を、もう一度掴む。


「とにかくお腹空いたから、何か食べよう!!」

「ヤスミン……」

「どこのお店にしよっかなー」

「アストリッドに、似てきたよね……」

「へ?!」


 目を丸くした後、え、そうかな、そんなつもりは……、と、もごもご言い訳を始めたヤスミンを見て、ロミーは初めて声を上げて笑ったのだった。






(2)


「ふあっくしょーいぃぃぃぃ!!!!」


 車内どころか走行する車体ごと、一瞬ぐらり傾く程の振動が生じた。

 咄嗟にブレーキを踏み込みそうになったエドガーを通り越し、彼の真後ろ――、リヒャルトとフリーデリーケと共に並んで後部座席にいるアストリッドを振り返って睨みつける。

 当のアストリッドはウォルフィの視線など全く意に介さず、ズズズ……と鼻を啜っては鼻先を指で軽くこすっていた。

 煩い、と叱りつけてやろうとするより先に、フリーデリーケが黙って鞄の中からティッシュペーパーを取り出し、アストリッドへと差し出す。

 ぶぶぶー!と盛大に鼻を噛む音に、最早何も言う気になれず再び前へと向き直った。視界の端でエドガーの肩が小刻みに震えている。


「ゲッペルス中尉」

「はっ……、申し訳ありません」


 以前の彼ならば遠慮なく噴き出していただろうが、彼もまたリヒャルトの副官という立場があるため必死に堪えている。どこぞの礼儀知らずの馬鹿とは違うな、と思い直し、それ以上の注意の言葉は飲み込んだ。

 口煩い舅(あくまで予定)と敬遠されたら後々面倒だ。

 ウォルフィの内心の葛藤などお構いなしに、どこぞの礼儀知らずは「フリーデリーケ夫人、ティッシュありがとうございますー」などと、呑気な口調で礼を述べていた。


「いえ、ご多忙の最中、児童養護施設を共に訪問して下さるのです。礼には及びません」

 薄く微笑むフリーデリーケの表情は、ゆるやかな長い巻毛と相まって以前よりもずっと柔和なものに、どことなくリヒャルトの笑顔と似てきている。

「いやー、もうですねー、夫人には魔女の国家試験の問題作成する時お手伝いしていただいてますしー、足を向けて寝られません!リヒャルト様が頭が上がらないのが、よーく分かります!」

「あんた、今のは不敬罪に相当するぞ」


 やはり堪り兼ねて突っ込むウォルフィの助手席に向けて、アストリッドは、んべ!と舌を突き出す。リヒャルトが噴き出しかけるのを、フリーデリーケが咎めるようにじとりと睨んだ。

 エドガーは一貫して我関せずの姿勢で、無心に安全運転を心がけている。


 元帥府から続く鉄橋を越え、王都で一番有名な大通りを走る車のフロントガラス、サイドミラー越しに映る街の様子。

 反射した陽射しでテカテカと黒光る車に憲兵は敬礼をし、民間の人々は手を振りながら見送っていく。

 窓越しに目が合ったものに小さく敬礼を送り返すウォルフィの後ろで、「あ、そう言えば!」とアストリッドが素っ頓狂に叫んだ。

 途端にウォルフィの眉間に深い皺が寄る。


「リヒャルト様にちょっと許可頂きたいことがありまして」

「何でしょうか」

「今回の国家試験も終わりましたし、ひっさびさにまたマリアの魔法書探しの旅に出たいのです。そこでですね」

「旅費の支給及び、シュライバー大尉の休暇申請、ですね」

「さっすがリヒャルト様!わかってらっしゃるぅー」


 顔の横で揉み手するアストリッドを尻目に、リヒャルトはフリーデリーケに視線で問いかけた。

『……仕方ないですね』とフリーデリーケもまた、諦めたように視線で応える。

 エドガーをもう一人の副官に据えたのはウォルフィの『特殊な事情』を踏まえた上でのことなのだ。


「そういう訳でー、ウォルフィ、近々旅に行きますよー」

「……好きにしろ……」

「ちょ、そこはちゃんと御意って言ってくださいよ!」

「黙れ、無駄に絡んでくるな」


 ご愁傷様です、とさりげなく発したエドガーの慰めに返事の代わりに大きな溜め息を零す。

 きっと、自分はこれからも度々彼女に振り回され続けるのだろう。

 あのオークの巨大樹の森で拾われ、命を救われた時から――、宵闇と樹木と血の臭気が混ざり合う、濃黄色の光の眩さ、光の輝きに浮かび上がった二つの鳶色――、未だに脳裏に焼き付いた光景だ――、決められた定めだったに違いない。


 だが、出会いから約二十九年を経た今。

 アストリッドと共に数奇な運命を辿るのも悪くない、かも、しれない。

 そう感じている自分がいることに、ようやくウォルフィは気付き始めていた。



(了)

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半陰陽の魔女 青月クロエ @seigetsu_chloe

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