サマーシンドローム

加藤

サマーシンドローム

蝉が鳴いている。


夏もまだ始まったばかりだというのに、お疲れ様です。

僕は部屋の真ん中に体を横たえて、君たちの大合唱を静かに聴いています。

部屋にはクーラーがなく、壊れかけの扇風機がギシギシと嫌な音を立てて回っています。

この暑苦しく不快な部屋の中に、君たちもいるくせに、どうしてそんなにも元気なのですか?


ええ、ええ、生命力が僕と違うのでしょう。そんなに鳴かなくてもわかっていますよ。

僕はすぐに死んでしまいそうですよね。

夏だというのに、こんなに真っ白な肌をして。

夏だというのに、こんなに全身を震わせて。

頭が締め付けられるように痛みます。

もうすぐ、頭が破裂してしまいそうな心地さえします。

水分が足りていない。それが原因でしょう。わかっているのですが、テーブルの上のペットボトルに手が伸びません。

水分が喉を伝うあの感覚。いやに不快ではありませんか。

あのつるりとした感触。喉の中を虫が這っているような。窒息してしまいそうにさえなるのです。

ああ、目眩がしてきました。蝉さんたちは、大丈夫ですか?

ええ、ええ、そうですよね。並大抵のことでは死にませんよね。なにせ、一週間を全力で生きるのですから。


え、明日で一週間?


ははあ、なるほど。それはお疲れ様です。

では、僕は水分を取ることにします。

あなたたちの最後を万全の体制で見送ることにします。


ああ、苦しい。

けれど、悪くないものですね。

前言撤回。夏の水分は良いもののように思えます。甘露のように涼やかに、僕の喉を癒します。



おはようございます。

今日は昨日と打って変わって元気がないですね。

もうすぐ終わるのですか?

あと、10秒?

5秒?


ボトッ。


何も、みんな一斉に死ななくても。





青年は立ち上がって控えめに伸びをした。

空いているドアから、青年の母親が部屋を覗き込む。

「あら、あんた今日出かけるんじゃないの?」

青年は虚ろな目を母親に向けて言った。

「いや、蝉がさ。蝉がうるさくてさ」

呂律の回らない舌でそういうと、部屋を見渡した。

「でも、ね。ほら、死んだけど」

母親は怪訝な顔をして、青年を見たが、その後ため息をついて言った。

「本当ね。ほら、時間間に合わないわよ」

青年は壁の時計を見て頷いた。

「うん。行ってきます」

青年が玄関へ向かうと、母親は部屋の中をもう一度眺める。

「…蝉なんて、いないわよ」




青年は医師と対峙していた。

医師はうんざりしたような顔で青年の顔を一瞥した。

「夏はもう終わりました」

青年は何を言われているのかわからないという顔をして、「え?」と聞き返した。

「夏はもう来ないのです」

青年は呆然として、医師の頰にあるシミをじっと見た。

医師から説明される理屈は、右から左へと流され、ただ、一言だけが頭の中を右往左往していた。

『夏はもう来ない』。


うなだれた青年は、診察室から出て行った。

それを見届けた医師は、疲れた顔を看護師に向けた。

「最近また増えたねー」

「そうですね」

看護師は首を傾げた。

「不思議ですね。季節が一つなくなって。人は夏を渇望して」

医師は唸り声をあげて、眉間にシワを寄せた。

「夏は、命を燃やす季節だからね」

手元のカルテには、病名の欄にサマーシンドロームと書かれている。

「冬は、夏の残火で温まらないといけないのかもしれないね」

診察室の卓上カレンダーは8月のまま、めくられていなかった。



青年は病院から出ると、空を見上げて首を傾げた。

「…あれ?」

雪が降っていた。病的なまでに白い青年の肌と雪の白は、区別がつかない。

「夏なのに、雪…?」

青年は首を横に振って、しばしうつむいた後前を向いた。




僕は青空の入道雲を見ながら、夏の香りを存分に吸い込みました。

何故だかいやに心臓がしんと冷たくなって、自分の脆さを悔しくも思いましたが、それでも夏の美しさを僕は全身に取り込みました。

ずっと夏が続くといいと思います。

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サマーシンドローム 加藤 @katou1024

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