あとがき
「こうして物語は本当に終了した。しかし言葉はつづいている。物語のあとに存在する言葉とは何か? 決まっている、『あとがき』しかない」
佐藤友哉『クリスマス・テロル invisible×inventor』
最後までお読みいただきありがとうございます。
作品の末尾にこのような文章を添えるのは本意ではないのですが、作品の性質が少し特殊なこともあって、いくらか説明の必要を感じたので、こうして落ち穂拾いの場を設けさせていただきました。
あらすじにも書いた通り、この作品は疑似自叙伝という位置づけです。小説とも、エッセイともつかない、微妙な立ち位置です。小説とするなら、現状、唯一の長編小説にして、はじめて完結させたオリジナル小説ということになります。書き手、戸松秋茄子の原点とも言うべき一作です。
この話では、実体験を基にしつつ、あり得たかもしれないもう一つの人生について語っています。話の筋といったら、「わたし」の思想、人格形成の流れがあるだけで、ドラマとしての連続性は薄かったものと思います。
実際に、どこからどこまで現実にあったことで、どこからどこまでがフィクションなのか。
それらをいちいち説明するようなことはしませんし、重要なことだとも思いません。
ただ、あらかじめ「わたし」の語りをフィクションとして相対化する意図も込めて、最初に『地下室の手記』を引用しています。これは、話が進むにつれフィクションの要素が増えていくので、それをあらかじめ弁明しておくための処置でもあります。早い話が、「この物語はフィクションです」ということです。
では、なぜそんな中途半端な形を取ることにしたのか。
「主な参考資料・つい最近終わった自分の青春」
これは佐藤友哉氏の小説『水没ピアノ鏡創士がひきもどす犯罪』ノベルス版の著者コメントです。この作品が発表されたとき、氏は二一才でした。わたしが「砂漠より」を書いたのとそう変わらない年です。「砂漠より」もまた、「つい最近終わった自分の青春」の話でした。
人は誰しも一編は長編小説を書くことができるといいます。
自分の実体験を基にすれば、長編小説を構成するだけの題材を得ることができるということです。
「砂漠より」は言うなれば、その一編きりの長編小説です。自分の人生を基にした、最初にして最後の小説。
尤も、だからといって、長編を書くという目的ありきでこの題材を選んだのか、というとそれも違うのです。
元々、この話は実体験を基にした短編小説として構想していたところ、どうしてもうまくいかず、疑似自叙伝という形に居直ったという経緯があります。居直ったことで、構成を練り込むことを放棄することになり、話がだらだらと長引いてしまったのです。最初から全体のプロットがあったわけではないし、ここまで長くなるとも思っていませんでした。つまり、長編、というのは目的ではなくただの結果です。
結末にしたところで、最初から決まっていたわけではありませんでした。言うまでもなく、この部分はフィクションなので、完全な後付けです。連載を締めくくるにあたって、何かしらの事件が必要だったのです(なので、ところどころ矛盾する記述が残ってたりします。気づき次第、直してたんですが、修正前を読んだ方がいたらごめんなさい)。
尤も、理由はそれだけではありません。
これは作中の事実と一致するのですが、青春時代、わたしは少年犯罪に傾倒していました。ラウ・ル・クルーゼへの憧れも本当です。拡大自殺の願望は常にあり、具体的な犯行計画を思い描くこともありました。
「なぜなのか。まったく解せない。今まで、自分のなかにあった価値観、すべての事柄に対する解釈が、崩れてしまったような心持がする。ただの鬱なのか。あるいは先天的に、私は、否、僕は猟奇の徒であるのか? 僕は、刻一刻と、狂ってきているのか? 否、今の僕には、狂人と健常の溝には何ひとつ意味を持てない。善悪、愛、優しさ、人殺し、狂気、町田町蔵、知、音、何もかも意味が見出せない」
これは、二〇〇五年、同じ大阪の寝屋川市で教員殺傷事件を起こした少年の日記からの引用です。わたしが最も影響を受けた事件のひとつで、時代設定を前倒しにしたのも、この事件に極力近づけるためでした。
「あり得たかもしれないもう一つの人生」とは、そういう意味です。わたしの青春時代と共にあった強迫観念を紙の上で形にしたのが、この「砂漠より」ということになります。「小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います」と書いたのは北村薫氏ですが、この話もそうした「抗議」の一環なのかもしれません。
「人間なんて、十六から二十三までの年がなきゃあいいんだ。でなきゃあ、その年のあいだは眠ってりゃあいいんだ。その年ごろの若いもんは、することと言やあ、娘っ子に赤ん坊を産ませたり、年寄りをいじめたり、盗みを働いたり、喧嘩するぐらいのもんだからな――」
ウィリアム・シェイクスピア『冬物語』(小田島雄志訳)
わたしの青春もロクなものではありませんでした。それは、「砂漠より」の語り手と変わりません。けれど、こうして形にすることで、ようやく憑き物が落ちたというか、あの荒ぶる青春時代に終わりを告げることができたように思います。
「自分が選んだ悪夢に忠実たれと……」
これは、ジェイムズ・エルロイ『ビッグ・ノーウェア』の巻頭で引用されるコンラッド『闇の奥』の一節です。エルロイは前作『ブラック・ダリア』を書くことで幼少期に母親を殺されたという私的な
「砂漠より」もまた、わたしが大人になるために、あるいは書き手として自分以外の誰かの人生を描くために、必要な通過儀礼だったのかもしれません。いまになってそう思います。
最後に、登場人物名の表記についてひとつ。仮名とイニシャルが混在していることに戸惑われた方も多いのではないでしょうか。というか、書いた本人ですらそうでした。全体的に、ネガティブな印象で描かれる人物はイニシャル表記になっている傾向があるのですが、例外もあり、いまひとつ法則性が見えません。ただ、当時の自分になんらかの意図があった可能性もなくもなく、修正せずそのまま掲載しました。あしからず。
砂漠より 戸松秋茄子 @Tomatsu_A_Tick
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