第2話

「うーん!美味しい~!」

「だろう?今日は和食でまとめてみたんだ」


土曜の夜。いつものように夕食を頬張る私の目の前には満足気に笑うシェフ――じゃなかった、幻覚吸血鬼ことジルベールが居座っていた。

私の目の前に“吸血鬼”とかいう強めの幻覚が現れてから約1ヶ月。たいていのことは「まあいいや、幻覚だし」でスルーしつつなんとか元気に過ごしています。お母さん、お父さん、娘はなんとか生きてるよ。

しかし、この食事の美味しさは何なのだろう。最近ではこの幻覚手作り料理のお陰で家に帰るのが楽しみになってきている。というか――これは本当に現実なのだろうか?私は本当に手作り料理とやらを食べているのか?目の前の男の存在が現実かどうかも怪しいのに。

もしかして、私、かすみでも喰っているんだろうか。


「ねえジル、霞って案外美味しいものだね」

「か、霞――?はあ?何言ってるんだヨーコ!しっかりしろ!目の前の料理は全て本物だぞ!ちゃんと昼の間にこの俺が材料買いに行ったんだからな!」

「え、その服で買い物行ったんだ」

「な、なに言ってんだ!滅茶苦茶似合うだろう!?…いや、まて、この社会に溶け込むには些か――いやでもシャレオツだと思ったのに――」


胸元に、なんだかよくわからない犬っぽいのの顔が大きくプリントされた蛍光ピンクのTシャツを着た彼は少し泣きそうな顔をしてブツブツ言っている。


「鏡でも見たら?」

「だーから!映らないんだよ!吸血鬼なの!俺は!!」

「なるほど幻覚か」

「違うっての!いい加減認めろ!」


蛍光ピンク吸血鬼がすごい勢いで食って掛かってきた。

冷たい手で頬を挟まれる。


「いひゃいいひゃい、やめてよ!」

「いいか!ヨーコ!これは現実なんだ!もう観念して逃避行為はやめろ!」


……いい加減、私も認めるべきなんだろうか。


存在を確認するように、冷たい手にそっと触れると僅かに彼の肩が跳ねた。


「――仮に、現実だとして」

「おう。現実だぞ」

「ここ一ヶ月、食事含め大半の家事を引き受けてくださったことには感謝しかないのですが」

「うん」

「何故、ここまでしてくれるんですか?」

「え、いやまあそれは――なんか、庇護欲というか……」


ジルベールは、なにやら口ごもると腕を組んで沈黙してしまった。


ふと、あの夜のことが頭によぎる。そういえば、契約とかどうとか言っていたような気が――


「もしかして対価を求められる流れですか?」

「対価!?ま、まあそうだな!貰えるモンはもらうぞ!」

「うーん、やっぱり、血ですよね。吸血鬼なんだし」

「血!?まあうん、そうだな。吸血鬼だしな。血、だよな、うん」


何をそんなに動揺しているのか。


「じゃあ、腕からどうぞ。首はちょっと怖いので嫌です。予防接種みたいにチクっとお願いします」

「やたらと思い切りが良いなお前は!?ていうか予防接種とやらとはだいぶ質が違うと思うぞ――っておいおい!」


早速腕をまくり上げた私を、ジルは慌てて制止した。


「いや――うん。この俺に感謝しようというお前の殊勝な心意気は買った。買った、が、実は俺はその――吸血はあまり趣味ではない」

「え、吸血鬼なのに?」

「……吸血鬼にも、色々いるんだよ」

「あのとき、『高貴なる俺が君の首筋に牙を突き立てれば契約は成立』云々言ってたよね?」

「だっ……!あ、アレはなあ、吸血鬼伝統の決まり文句みたいなモンでだな……たいていの婦女子はアレをやればウケだろうという安易な計算のもと口走っただけであって、別にお前の血を飲もうとは思っていなかったんだ。ただ単に仮宿が欲しかっただけであって…親父の野郎がいきなり追い出すから――」

「父親に追い出されたからって見ず知らずの女性を脅迫して同棲を迫るなんてマジで最低のドクズですね」

「――全く反論できません。申し訳ありませんでした」


私の口撃がクリティカルヒットしたジルは、申し訳なさそうに縮こまってしまった。


「まあ、今のところ被害はないし――むしろ助かっているので、いいんですけど」

「ああうん、な、ならば良かった」

「いや別に許してないですけどね」

「――うっ、本当にすみません」

「でも、どういうことなんですか?吸血鬼が血を吸わないなんて。私の頭にあったイメージとはちょっとかけ離れているような…」


そう疑問を呈すると、彼は赤い瞳を真っ直ぐこちらへ向けて立ち上がった。


「よくぞ訊いてくれたな、ヨーコ!そうだな――短い期間ではあるが、我々は寝所を共にした仲。お前には特別に聞かせてやろう。俺の崇高な意思を!」

「なんでいきなり偉そうなんですか。ていうか誤解を招く言い方をするな。あと『お前』はやめろ」

「すみませんでしたヨーコさん」


謝罪もそこそこに、コホンと咳払いをすると、彼は語り始めた。


「吸血鬼は血を吸うものだ――という君の見解は正しい。我々は生きとし生けるものの血を体内に摂取せねば生きてゆけぬという厄介な性質を其の身に宿し、この世に生まれ落ちる存在だ。それは祝福というよりも、呪いに近いものだ。ていうか呪いそのものだ!うんざりだよ!」

「吸血鬼も案外大変なんですね」

「うん。…まあ、かつてはそれを誇りに思う連中が軒を連ねていたが、今ではそうでもないんだ。世の中は変わるものでね。最近では種族間の軋轢を少しでも減らそうという潮流が大陸に広がっていてな。その流れに我々も乗っかろうというわけなんだが」

「……吸血鬼って孤高なイメージがあったんですが、そうでもないんですね」

「――種族の存続が危ういんだ。200年前の吸血鬼狩りでだいぶ同族が減ってしまってね」

「それは……」

「え、おいおい、そんな顔をするなよ!もう、昔の話ではあるし、教会の連中も連中だが、過激な伝統派の同族が色々やらかしたのが一因でもあるし……過去のことをアレコレ言ったって俺達にはどうしようもないんだ。とにかく、今俺たちは、一族の存続を賭けて、種族間の融和に着手しようとしている。オーケー?」

「オーケー!」

「立ち直るの早!まあいいや、それでこそヨーコだからな…。で、その種族間の融和にあたって、俺たちの吸血能力はちょっとした障害になっているのが現状だ。だからこの、一族の伝統であり、かつて誇りとまで言われたこの能力について考え直さなければならなくてな――っていうか俺、血ィ嫌い。吸いたくないし生き物に噛み付くとか無理。そういう趣味ない。吸血鬼なのに血が嫌いとか正直どうかと思うけど無理なもんは無理」

「――崇高な理念は理解しましたけど、どう考えても後者のほうが本音ですよね」

「あ、わかる?そうなんだよ!俺は血が苦手なの!伯父上にもしょっちゅう『お前本当に吸血鬼なの?なんなの?もしかして、フルーツコウモリ?』とか散々言われてきたけど嫌いなもんはしょうがないんだよ。おなか壊すし……」

「お腹に来るのはきついですね…」

「ああ、苦痛だった。マジで、苦痛。そんな苦痛から逃れようと、俺はありとあらゆる手段を講じたさ。吸血鬼が何故生物の体液を必要とするのか?体液に含まれている物質のうち、我々の身体に必要なのはなんなのか?研究に研究を重ねまくった結果、俺は一つの結論にたどり着いた――それは(難解で聞き取れない言語)だったのだ!」

「え、今なんて?」

「(難解で聞き取れない言語)――まあ、なんだ、こう…わかりやすく言うと、身体活動に必要なエネルギーの一種だと考えてくれればいいと思う」

「なるほど……」

「で、次に俺は、そのエネルギー摂取を生き血啜る事以外から行う手段を研究した。この世界には、血液パックというやつがあるだろ?アレもまあ良いんだが…色々と手続きが面倒でね。もっと安易に入手できて、かつ安全な品質を保つことができるものを俺は探索した。そしてついに、古代吸血鬼の食生活を解析した結果、彼らはとある果実を摂取していたことが判明したんだ!―――これだ!」


彼が懐から出した写真――いや、動くから動画なのか?を見ると、赤い果実が映っていた。


「……これは、トマト…?いや、りんご?」

「似ているが、どちらも違う。これはセレグミアの実と言うんだ。もう絶滅した種ではあるが、最近やっと俺が栽培に成功した」

「すごいじゃないですか!?」

「そうだろ!そんな俺の執念が実を結んでな、一族の中でも、吸血について見直そうという考えが広まり始めたんだ。まあ――伝統派の連中は相変わらず渋い顔をしているがね。そして遂に!俺の研究実績が一族の長――王にも届いてね。セレグミアの実の更なる品種改良と、安定した生育及び収穫の為の環境研究を仰せつかってね。それで、この世界に来たんだ」

「なんかすごい壮大な計画を聞かされてしまった…御見それしました」

「ハッハッハ!もっと称えるがいいぞ!ついでに吸血鬼の王は俺の父親だ!」

「えっ……そうだったんですか!?そんな高貴なご身分なのに見ず知らずの女性を脅迫して強制同棲してるんですか!?吸血鬼一族、こんな男に未来を託して大丈夫か?」

「カハッ……!お前はさっきから俺の脇腹をえぐるような言葉を吐きまくるな…!だから、アレは形式美なんだってば!それにお前も言ったろ!感謝してるって!」


「感謝されていようがいまいが、不法滞在には変わりないですからねえ」


「まあ、そうだよな…そうなん――って誰だお前!?」


気が付くと、私たちの真横に長い銀色の髪を持った糸目の男が立っていた。


「うわ、管理人さん!?全く気づきませんでしたよ!」

「お久しぶりです曜子さん。だいぶ元気になられたようで僕も嬉しいですよ」

「いやいやいやいや管理人だろうがいきなり不法侵入は駄目だろていうかマジでいつ入ったんだよ……ヨーコ、このアパートまずいんじゃないか?身の安全のために引っ越したほうが……」

「いたいけな女性を脅迫して不法滞在しているお前には言われたくないですね。ていうか家賃払え」

「そうだぞ家賃払え」

「ヨーコまで便乗するな!いいのかよこれで!」

「問題ないですよ。僕のような優秀な管理人は、居住者の危機とあらば、床からにょきっと生えてくるものなんですよ」

「にょきって…にょきって……」

「今まではヨーコさんが精神的な危篤状態でしたし、まぁ無害そうだったので放置してきましたが……ヨーコさんが元気になった今、躊躇する理由がありませんからね。さあ、滞納していた家賃を払え。不法滞在者。でないとお前の身体を焼き払いますよ」

「こ、怖!というかこの気迫……お前もしや、キ――むぐぅ!むごごご」

「余計なことは言わなくてよろしい。黙って家賃払え。このクソ吸血鬼が。このまま息の根止めてさしあげましょうか?」


なにかを言いかけたジルの口を素早く塞ぎ、そのまま片手で彼を床から持ち上げた管理人さんは笑顔のままだ。綺麗な顔の人の怒りって怖いなあ。


「ま、まあ…管理人さん。彼には助けられたのも事実ですし、そのくらいにしてあげてください」


流石にこのままだとジルが死んでしまいそうだったので、管理人を制止すると、彼はいつも通りの人懐っこい笑顔をこちらへ向けた。

「おや、曜子さんはなんとお優しい――!では、ジルベール・ド・ナイトレイ。曜子さんの天女のような心に免じてお前を許してあげましょう。ついでに貴方の部屋も用意しました。曜子さんの隣の角部屋です」


管理人に手を離されて、無残に床へ激突したジルベールは咳き込みながら管理人を睨んでいる。


「…あれ?角部屋って私の部屋ですよね?」

「いいえ。大変申し訳ございませんが、たった今、貴女の部屋は角部屋ではなくなりました」

「いや、角部屋じゃなくなったのは良いんですが――え、そんなことってあるんですか!?」

「ここら辺ではよくあることです。確認してきたらいかがですか?」

「み、見てきます!」


あり得ない事態に、ヨーコは慌てて玄関から飛び出していった。

部屋に残されたのは不穏な雰囲気の男が二人――


「落ち着きましたか?宵闇の王のご子息」

「――ああ、お陰様でな。というか貴様は誰だ。名乗りもしないで俺の名を口に出すなど、さぞ、大層なご身分なんだろうな?なあ、キツネ殿?」

「おお、よくお分かりで。私は、更科さらしな 倫之助りんのすけ――と、名乗っているキツネでございます。呼び名はお好きなように」

「やはりキツネか。おとなしく尾でも振り回していれば可愛げがあるのにな」

「ふふふ。残念ながら、今は尾を持たぬキツネです。昔は9つほどあったのですがね」

「…ふうん。空狐、というやつか――空狐がアパート経営なんぞ、大した世界だな」

「我々にも色々あるのですよ。貴方も大変ですねえ――お父様からお話は聞き及んでおりますよ?『くれぐれもよろしく頼む』とのことです」

「な、父から!?」

「驚きましたか?まあ、入居者の身辺調査は管理人の勤めですので――不法滞在者となれば余計、ね」


なにかを言い返そうと、ジルが口を開きかけたとき、ヨーコが興奮した様子で戻ってきた。


「すごいですよ!本当に部屋が増えてる!」

「でしょう?こんな物件なかなかないですよ。セキュリティも良いほうだと思いますし」

「いや、普通に俺の侵入許してただろ……」

「ついに開き直りましたか……。ちなみに、あの後貴方が本気で彼女に手を出そうとしていたら、特殊セキュリティーモードが全力で発動して貴方は死んでいましたよ。即ち灰になってます」

「ひぇ…コイツおっかな……」

「すごいですね!?そんな極悪セキュリティが発動するアパートなかなかないですよ!あー入居してよかった!」

「でしょう!さすが曜子さんです。見る目がありますね!」

「いやヨーコ、君はもう少し疑問を持とう?な?」

「ジルベールさん。いいですか、この世では細かい事気にしたら負けなんですよ」

「そうだよジル。負けだよ!」

「いやいやいやいや大丈夫かよ!?ダメでしょ!」

「……まあ彼女はこれでも三神の一族ですし。大抵のことでは動じないでしょう。そういう風にできているんですよ」

「は?それってどういう――」


「――ま、ともかく、です」


銀髪の管理人は、大げさに両手を広げて見せた。


「――幽幻アパートへようこそ!我々は、貴方を歓迎いたします!」



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幽幻アパートへようこそ! 星月 香凜 @hoshikarin

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