猫が誘う平行世界
勇今砂英
平行世界カフェ
「マキ、君は、『ああ、あの時、あの選択をするんじゃなかったな』だとか、『こっちを選んでおけば良かったな』だなんて思ったことはあるかい?」
私の目の前に鎮座したロシアンブルーは青い目を鋭く光らせながらそう言った。
「え、ええ。もちろん。誰にだってあるでしょ、そんなことの一つや二つ。」
私は未だこの状況を飲み込めぬまま目の前の猫の質問に応えた。
「この『平行世界カフェ』ではね、そういった人々の後悔をたった一つだけ、無くしてあげられるんだ。」
「平行世界カフェ…。」
なんだろう、その言葉。そもそも私なんでこんなところで人間大の大きな猫と日本語で会話しているのだろう?伊勢丹に行った帰りにきれいなグレーの猫を見つけて追っかけていたら、いつの間にか森みたいなとこに迷いこんで、道を聞こうと思って入ったのがこの店だったはずなのだけど。ロニーと名乗る猫はキョトンとしている私のそんな疑問をよそに話を続けた。
「なんでもいいんだよ。例えば『朝ごはんにツナを食べるんじゃなくて、チキンにすれば良かったな』とか『あの日友達の誘いを断らずにマタタビパーティーに行けば良かったな』とかね。」
「うーん。私人間だから、マタタビとかは、ちょっと。」
「そうかい?僕猫だからさ、人間の事情はあんまり詳しくなくてね。」
ロシアンブルーはそう言うと自分の手を舐めて毛づくろいを始めた。
「人間がここに来ることはないの?」
「いや、そうでもないよ。たまには来るかな。なんせこの平行世界カフェはありとあらゆる平行宇宙の結節点にあるからね。地球で知能を持った生命が人間の世界もあれば猫の世界も犬の世界も豚やワニやゴリラの世界だってあるのさ。」
「昨日は可愛らしいネズミの男の子が来てね。思わず舌なめずりしちゃった。」
私たちの座る席から離れたカウンターの向こうから、三毛猫のおばさんが口を挟んだ。
「ま、まあそういうこともあってね。それでここに迷い込む人はとてもラッキーだからさ、一つだけそれぞれの後悔を解決してあげようと思ってこういったことをしているんだ。」
「私の後悔を?やり直させてくれるの?」
「うーんとね。正確に言うとやり直すというのとはちょっと違うかな。『違う選択をした世界』に連れてってあげるってことなんだ。」
「違う選択?」
「そう。例えば今朝君がツナを食べたことを後悔したなら、チキンを食べた世界に君を送り返してあげるんだ。そうしたら君は今朝チキンを食べた世界の住人さ。」
「ああ。なるほど。じゃあその後悔した時間に戻してくれるわけではないのね。」
「そう。残念ながら時間は戻らない。この宇宙はね、君がする選択一つでいくつもの世界に枝分かれしてるんだ。全ての事象のすべての可能性の数だけ世界は存在する。だから僕は猫だし君は人間でワニや豚やネズミだってそれぞれの悩みを抱えてるんだ。君の人生だっていくつもの分岐があってそれぞれの数の世界がある。受験や結婚みたいな大きな選択から朝ごはんみたいな些細な選択までね。ただし、君が行くことができるのは君自身がした選択によって生まれた世界に限られる。」
「というと?」
「例えばさ。『親を間違えた。違う親の世界がいい。』て思ったとするじゃない。でもそれは変えようがない。結婚したのは親の選択だからね。親の世界線の選択であって君自身の選択じゃないからダメなんだ。だから朝ごはんも君が選んだものじゃなくてお母さんが出したものだったら、それは変えられないものだね。」
「わかった。私、一個だけ後悔してることがあるの。」
「それは何だい?」
「私、一学期の終業式の日、先輩に告白できなかった。また今度でいいって思ったけど、先輩県外に引っ越しちゃった。だから、先輩に告白した世界に行きたい。」
「そうか。それなら大丈夫。君の選択だからね。それじゃあ席を立ってこっちにおいで。」
ロシアンブルーは立ち上がると私を手招きして店の奥の部屋へと案内した。
そこは白い壁と古びた黒い板張りの部屋で、正面には赤いドアと青いドアが見える。
「君にはこれからこの二つのドアのどちらかをくぐってもらう。赤い方は元の世界に戻るドア。青い方は君が願った選択をした方のドアだよ。つまり『先輩に告白した世界』に通じている。さっきも言ったけど時間は戻らない。君が告白したところで多分先輩は引っ越ししてるけれど、それは大丈夫かい?」
「うん。告白できなかったことだけが心残りだから。だからたとえ引越ししててもいい。それに多分フラれてるだろうからその方が気まずくなくて良いし。」
「なるほどね。一度ここをくぐったら多分二度とこのカフェにたどり着くことはできない。つまり後戻りはできないけれどそれはいいかい?もし少しでも怖くなったなら悪いことは言わないから赤いドアからおかえり。」
「大丈夫よ。私、先輩に告白したかったから。」
「わかった。あ、それとね。もう一つ注意点が。」
「何かしら。」
「バタフライ効果と言ってね。君の選択はもしかしたら世界のほかの部分に大きな影響をもたらすことがあるのさ。アメリカの蝶々がはためいて起きた小さな空気の流れが日本の台風につながる、みたいなね。」
「風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな?」
「まあそんなところだね。それだけ気に留めておいて。それは君自身の選択と関わってないように見えるけど、それがトリガーになってるのさ。」
「うん。構わない。私、こう見えてポジティブだから。台風の一つや二つへっちゃらよ。」
「そ、そうかい。それじゃあ青いドアの前に立って。」
「思い浮かべるんだ、告白しなかった日のことを。出来るだけ鮮明に思い出して。」
「そして『私は先輩に告白した』と言ってドアをくぐって。」
「私は先輩に告白した。」
扉を開けると見慣れた通い慣れた通学路が見える。
「それじゃあ、さよならだねマキ。幸運を祈るよ。」
「ありがとう、ロニー。さよなら。」
扉を静かに閉めるとそこは下校中によく行った喫茶店だった。多分この扉を再び開けてもあの不思議な平行世界カフェには繋がっていないのだろう。一見何も変わらない世界。台風でもないし。多分何も変わらない世界。本当に私、先輩に告白したのかな。
いや、した。思い出した。私、終業式の日に先輩を東校舎の4階の踊り場まで呼び出して告白した。したじゃん私。あ、これこういうことなんだ。選択した世界の私に今なっていってる!私告白して・・・え、マジ?オーケー?オーケーもらったの?うっひゃー!私やるじゃん!やばいやばい。ええ!マジ?あれ?デートしたの?二回も??おおおおお。
ククク。こらえろ私。まだ街中だ。色々な人が見てる。笑いを堪えて。ああ。素晴らしい。最高じゃない!やった。
ああ、でも、悲しい。涙が出てきた。そうだ、私先々週先輩の引越しを見送ったんだった。そうだよね。またすぐ会いに行くって言ってたけど。
どんどん記憶が流れてくる。先輩に告白した日から今までの新しい記憶。だんだん私の元の記憶がぼやけてきた気がする。こうやって私は告白した世界の人間になっていくんだ。
しばらく歩いた私は街頭の巨大なディスプレイを見た。『隕石衝突まであと3時間。みなさん後悔のない行動を!』と書かれている。隕石?
隕石!そうだ、隕石だ。先々週先輩を見送った次の日にニュースで突然知ったんだ。隕石が地球に落ちてくるって。空を見上げると、もう隕石が太陽より大くなっる。嘘じゃないんだこれ。そういえば、おとといやぶれかぶれに核ミサイルを撃ったけどやっぱり粉々になんなくて地球終了のお知らせ。皆ごめんねオタッシャでって感じの特番テレビでやったんだった。よく働くよねテレビ局の人も。そういや電車今日も走ってたな。すごいなぁ。あ、もしかしてこれがバタフライ効果?台風どころじゃないじゃん地球終了じゃん。
ああ。私さっきまで家で家族と一緒に最後のお昼ご飯食べてたんだ。お母さん、ハンバーグ作ってくれたんだ。お父さんも泣きながら私の小さい頃の話したんだった。記憶がどんどん流れてくる。あの家の子に生まれて良かったな、私。今だって先輩に会うために家を出るのを見送ってくれた。これが多分最後の別れ。でも二人とも笑って見送ってくれた。ありがとう、お父さん、お母さん。
町には未だたくさんの人がいた。夫婦、カップル、子供づれ。変な白い服を着た人たちが車の上で何か叫んでる。警察の人もたくさんいる。あの人たちにだって家族がいるだろうに。
私のスマホにLINEが入った。先輩からだ。
[今駅に着いた。今どこ?]
私に会いにきてくれたんだ、先輩!
私は走って駅に向かった。
東口の出口に先輩は立っていた。先輩は私を見つけると走ってきてくれた。
「マキ!会いたかった。最後に会えて良かった!」
「私もだよ!」
私たちはしばらく何も言わずに見つめあった。
「でも、ごめんね。先輩。私のせいで世界が終わっちゃう。」
「はぁ?お前何言ってんの?隕石お前が呼んだとでも?」
「私が先輩に告白したらそれが巡り巡って隕石呼んじゃったみたい。」
「バカ言うなよ。そんなことあるわけないじゃん。」
「あのね。私、先輩に告白しなかった世界から来たの。それでね。先輩に告白できなかったのがすごく嫌で後悔してたら不思議な所に着いてね。それで猫とお話して…。」
「お前、さっきからなんの話?とにかく落ち着けよ。最後ぐらいゆっくり過ごそうぜ。」
「うん。ごめん。なんでもない。」
「それにさ。お前が告白してくれなかったら俺は向こうの家で家族と隕石落ちてくるの待ってるはずだったんだろ?じゃあお前が告白してくれて良かったじゃん。今お前と二人でいられるんだから。」
「先輩…。」
私は嬉しくてそのまま目を閉じた。先輩の顔が近づくのが体温でわかる。それともこれは隕石の熱?
知らぬ間に隕石は空を覆い尽くすほど大きく赤く輝いてた。閃光に包まれた二人の唇が触れ合う瞬間、どすんというとても大きな音とともに衝撃波が駆け抜けた。
「
目を覚ますと私の部屋だった。どうもベッドから落ちたらしい。なんというベタ展開。夢オチかぁ。
私は身を起こすと制服に着替えて頭を掻きながら階段を降りた。そこにはお父さんとお母さんがいつものようにそこにいた。
「マキ。はやく朝ごはん食べなさい。また遅刻するわよ。しっぽまでボサボサじゃない!」
お母さんはお父さんのお弁当のお魚を焼きながら私を叱った。
「マキ。もう高校生なんだから自己管理はちゃんとしないとな。」
お父さんはマタタビコーヒーを飲みながらタブレットを肉球で弾いてニュースを読んでる。
私はリビングの爪とぎで爪を研いでからツナトーストを口にくわえると大急ぎでドアを飛び出した。
猫が誘う平行世界 勇今砂英 @Imperi
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