上から、下へ

深谷田 壮

第1話

○月×4日

今日は、仕事がないので、親父の生存確認をした。ちゃんと生きていたが、普段の活気がまったくない。明日会いに行くと連絡した。いつもは「帰るな!」と怒鳴るけれど、今日は、「ああ、わかった」としか言わない。名門である明応大学を卒業したエリート銀行マンの親父がこんな雑対応、ボケたのかな。

不動産屋に寄った。えみちゃんの家にも2時間寄った。タバコの臭いが嫌いなので、消臭スプレーを買わないと。


○月×5日

親父の家に行くと、大量のゴミがそこにあった。しかも、ゴミ袋に入っていない。もちろん、嫌な臭いがする。夫婦で暮らしているのに、なんて不潔なんだろう。少し恥ずかしい。

ボケが始まった訳じゃないけど、これはおかしい。清掃業者に、明日来てくれるよう頼んだが、親父が徹底的に拒否した。「末代まで呪われるぞ!」と鬼気迫る表情で言ったが、意味不明なので、普通に呼んだ。これで実家が綺麗になる。

親父に連帯保証人になってもらい、家をやっと手に入れた。えみちゃんに新居の住所を教えた。


○月×6日

業者が来て、親父の家を掃除した。今日は親父でなく、母さんが片付けの邪魔をしてきた。私が母さんを制して、清掃は滞りなく行われた。

新しく買った家に今日は住んでみる。そこにえみちゃんが来る予定だ。今夜は2日ぶりにお楽しみだ。



朝日が昇っている。これが毎日起こる。大した現象ではないのに、毎回感動してしまう。今日は涙が溢れてしまった。やはり、これで見納めと思うとやりきれなくなる。

女の勘はよく当たる、そう言われているが、実際本当だと思う。普段は行わないが、ふと夫の携帯をGPSで探すと、不動産屋を今まさに出て行くところだった。

一時間半かけてそこまで行った。そこの職員に、夫の名前を伝え、彼がこれから契約する家の詳細を教えてもらうよう頼んだが「いくら妻でも個人情報は教えられないですね〜」と下手な言い訳を聞かされた。それでも諦めず、保険証を見せたり、その他色々と奥の手を見せたら、丁寧に教えてくれた。そして、名刺を貰いつつ、このことは旦那には伝えないように、と念を押した。

次の日、夫はお義父さんの家に行った。元気かどうか確認する、そんな用事だが、怪しい。なので、またGPSを使って追跡してみた。そうしたら、お義父さんの家に寄ったついでに昨日の不動産屋に立ち寄ったのだ。とりあえず、昨日の不動産屋の店員に、夫がいつ契約するのか聞くと、ついさっき新居を手に入れたと分かった。私に何の断りもなく。

その新居から夫のGPSが見つかったのでそこに向かった。鍵がかかっていたので、だいぶ前に習得したピッキングを使ってなんとか中に入ると、夫が寝ていた。裸で。知らない女と一緒に。

何があったかは想像出来る。だからこそ、悔しい。

私の計画、ぼんやりとだが確実にあるそれの実行前に、裸で寝息を立てている女を起こした。

「え、あ、あなたは…」

「そう、いつも岩本がお世話になってるらしいけど」夫の、今は私のでもある苗字だ。

「ホ、ホントにすいません!もう、こんなことはしません。なので、許してください!」

「許すわ」

「え、ホントですか…」

「ただし、私が良いと言うまでそこを動かないで。あ、でも、服を着てからで良いわ」そして、女は布団から出て、隣の部屋へ移動した。慌てていたので、身体の後ろが隠れてない。私は、その後ろ姿に歯ぎしりした。

悪いのは私だ、そう念じ続けているが、怒りが直腸からこみ上げてくる。この怒りを燃やし尽くすことは出来ないのだろうか。捨てられ、燃えたゴミの末路みたいに。

ふと床を見ると、手書きの結婚届が置いてあった。夫と、多分女の名前が書いてあった。計画の回りにある霧が、完全に晴れた。そこに躊躇ちゅうちょはなかった。

「着替えました。これからどうすればいいですか?」

「じゃこの男を毛布でぐるぐる巻にして」恵方巻きみたいになった。

「そしたら、次は…」

「ありがと、もう結構よ。そこで立ってて」

私は床にある手書きの結婚届を、す巻きになった夫の上に置いた。そして、夫の鞄を探ると、予想通りライターがあった。その火を結婚届に引火させ、毛布ごと夫を燃やす。もしくは、この一軒家ごと夫を焼死体にする。夫は文字通り叩き起こさないと何時間でも平気で眠れる人なので、起きたときにはもう火の海か、あるいは地獄。

女の方を見ると、どこかに行ったりはしていなかったが、あまりの衝撃で腰が抜けていた。

「…逃げないと死ぬよ」そう声をかけたが、聞く耳を持っていないようだ。なので、なんとか外まで出した。

安全な場所に女を移動させたあとも、「どうして、どうして…」とばかり呟いていた。気味が悪いので、女は置いてきた。

これでいい、そう自分を説得する必要はなかった。上手に説明できないが、優越感と虚無感を同時に感じた。それでも、後悔はなかった。


帰り道、私はお義父さんの家を通って帰った。呼び鈴を押すと、直ぐにお義母さんが出てきた。

「あら、いらっしゃい」その表示は一年前のそれとは別物だった。完全にやつれている。

「体調、大丈夫ですか」

「大丈夫よ」そうは見えない。「そんなことより」お義母さんは続ける。

「こないだうちのバカ息子が来て、勝手に家を掃除しちゃったの」

「それって、そんなに悪いことなんですか?」

「その通り!このままだと一家がおかしくなりそう。今旦那が人間ドッグをしているんだけど、最悪な結果に…」

「そうですか」適当に聞き流した。


悲愴感。どうしてそんな気を感じているのだろう。浮気夫とは別れ、八十代の独身貴族と結婚する約束がある、状況としてはむしろ良いはずなのだ。

それでもなんとか家まで帰ると、大量のゴミがあった。しかも、ゴミ袋に入っていない。もちろん、嫌な臭いがする。

お義父さんの人間ドッグの結果が出たらしい。胃ガンで、おそらくステージは4らしい。

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