第5話 人らしい生き物
無意識に爪を噛んでいた俺を見て、アイリがそっとささやいた。
「ひどい顔をしている」
「人間は、こんな時に笑ったりはしない」
強く言い過ぎた、と後悔した時、アイリは優しく微笑んだ。
「あまり気負わないでほしい。顔が変わったって、私は私。服を変えるようなもの。そんな風に思えない?」
彼女と心中してやろうか。そんなことさえ考えた。
家の中の爆発物をありったけ用意して、家ごと吹き飛ばしてやるんだ。
だがそんなことをすれば、ヒューマノイドへの風当たりはますます強くなるだろう。
人とヒューマノイドが、共存することさえできない世界。そんな世界は望まないし、アイリも喜ばない。
……本当に俺が恐れていることは。
機械らしい見た目になった彼女を、今まで通りに愛せないのではないか、ということだ。
幼いころから家族同然に思っていた彼女のことを、その外見が変わったというだけで見捨ててしまうのならそれは人間らしいふるまいと言えるのだろうか。
いいや、それはきっと、ある意味でとても人間らしい態度なのだろう。
ネットを探せば、そんな例はいくらでも見つかる。
“改修後”の姿に絶望して、ヒューマノイドを捨てた話。
ありふれ過ぎていて、笑い話にさえならない。
美しいものを愛し、醜いものを遠ざける。
そんな単純さが、俺たち人間の本質で、だから俺も、アイリを愛することができた。
人間のような容姿で、人間のように笑うアイリが、とても美しく見えたから。
隣の一家がヒューマノイドを改修した時、俺は改修されたヒューマノイドの顔を見た。
透明な外皮が、そいつの銀色の頭部を包んでいた。
人間の頭蓋骨に似た、しかし見慣れない管やパネルで構成された頭部。
様々な装飾を剥された人間の模造品。それに親しみを感じることが、俺にはできなかった。
日付が変わろうとしている。
もう長い時間、俺が逡巡していたにもかかわらず、椅子に腰かけたままのアイリは、倦んだ様子を少しも見せなかった。
人間離れした忍耐。
機械らしい従順さ。
彼女の改修を、工場に依頼すべきだった。胸を突くような後悔に苛まれて苦しくなった。
だが、見知らぬ誰かに切り裂かれるくらいならせめて俺の手で、という気持ちは、まだ強く残っている。
俺は何度も自分に言い聞かせた。
これはものだ、これはものだ、これはものだ、そうだ、“それ”は人間じゃない。
俺はいよいよはさみを握りしめて、切っ先を“それ”の首元にあてた。
“それ”は目を閉じて、かすかに顎を上げる。
人とヒューマノイドのわかりやすい違いは、呼吸の有無だ。
呼吸のたびに、のどが上下していたら? いや、よく見ろ、上下していないか? アイリは呼吸をしてないか?
震える手で、ゆっくりと表皮に切れ目を入れる。目を見開いているので精いっぱいだ。
アイリは苦しくないのか? 咳き込んだりしないのか?
呻くこともなく、怖がることもなく
祈ることもなく、もがくこともなく
皮膚に傷が開き、どんどん大きくなっていくのに、“それ”は抵抗すらしなかった。
彼女は既に、改修用のプログラムを適用している。
顔を切り裂かれるときに、怯えたりせずに済むプログラム。
そんなプログラム一つで心の安寧を得られる存在が、人間であるはずがない。
俺は、俺はむちゃくちゃに喚きたくなった。
俺も人間でなければよかった。
命令一つで何でもできる、どんな法にも従える、どんな悪事も働ける、そういう存在になってしまいたかった。
長い長い時間をかけて、ようやく俺は“それ”の表皮を剥し終え、ぞんざいに丸めて捨ててしまった。
その夜、人間じみた機械が人らしい容姿を失って、
人間を自称していた生き物が人の心を捨て去った。
人間よりも人間らしく 辛島火文 @karashima-hibun
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