天使と好きと帰る場所

彩世 小夜

 

「帰り道の間、三十分だけでいいんです、恋人のふりをしてくれませんか」

 そう言えば、目の前の彼は戸惑ったように首を傾げた。

「え、えっと……」

 目を泳がせながら、彼が小声でそういったのが聞こえて、私は慌てて付け足した。

「あ、いや、あの、私ずっと、あなたのことが好きだったんです! でも、明日にはもう会えなくなっちゃうので、少しでもお話したくって! 決して怪しいものではありません!」

「す、すき……」

 必死にそう言う。ほんのり頬を染めてますます戸惑ったような顔をする彼に、私は思わずうつむいた。

 放課後と呼ばれるこの時間、私は部活帰りの彼を待ち伏せしていた。要は告白だ。なにがなんでも、私は今日彼に想いを伝えたかった。

 でも、会話って、こんなに上手くいかないものなのか。テレビでよく見る感じで話しかけたつもりなのに、仲良くなるどころか警戒されてしまっている! もしかして、お姉さんがよく読んでいた漫画のセリフを最初にそのまま使ったのがまずかったのだろうか。これってファーストコンタクトとやらから間違えていたのでは? もっとシュミレーションしておけばよかった。

「あー……引っ越すってこと? その、会えなくなるって」

「えええ、は、はい。そんな感じ、です」

 あたふたと返せば、彼はさっきまでより表情を和らげて私をじっと見た。改めて私は自分の格好を見る。制服はしっかり着れているはずだ。お姉さんのお下がりだからサイズはちょっと大きいけど。それ以外は何も問題ないはず。……はず。

 どんどん心配になってきて、ほとんど空っぽなバッグの持ち手をぎゅっと握りしめる。今までにないくらい心がざわざわして、じわ、と涙まで滲んできたような気がした。

「うん……まあ……帰るだけなら……」

「ほっ、本当ですか!!」

 その言葉にぱっと顔を上げた。彼はまだ少し怪しむような目で私を見ているけど、どうやら私は、なんとか一緒に帰るところまではたどり着けたらしい。もうこれだけで死んでしまいそうなほど嬉しいけど、私の目的は”一緒に帰ること”だけじゃない。飛び跳ねそうになるのを堪えて、こほんと咳払いをした。

「じゃあ帰りましょう! せっかくですから下の名前でお呼びしてもいいですか?」

「いいけど、え、じゃあ俺もそうしたほうがいい?」

「是非! 私、春っていいます」

 彼が歩き始めたのに合わせて、私も足を動かす。

 やっと。やっとだ。やっと私は憧れていた彼の隣を歩いている。彼と同じくらいの目線で、同じように世界を見ることができている。デレデレと頬が緩むのを懸命に抑えた。

 少し前を歩く彼は、耳を少し赤くさせたまま、時折ちらちらとこちらを見ている。私がよく見る彼とは違う様子に、思わずきゅ、と目が細まった。

「そういえば、春……さん? って、俺と同じ学年だったっけ? あれ、もしかして先輩でした……?」

「同い年ですよ! なかなか学校に来れてなかったので、ここで会う機会はなかったですけど……」

「だからか、見たことないなぁって思った。病気とか? 引っ越しも療養のためみたいな」

「そ、そうなんです。あんまり良くなりそうじゃなくて、だからしばらく私が落ち着くところにでも行こうかなって。でも、」

「でも?」

 思わず足を止めた私に合わせて、彼も立ち止まってくれる。

「その前に、どうしてもあなたに好きですって言いたくって」

「なっ……」

 自分で言いながら少し照れてしまう。ちょっと頬をかきながら彼を見やれば、顔を真っ赤にして私を見ていた。こんな顔をする彼を私は知らない。きっと今までの私のままじゃ見ることはできなかったのだろう。思いが言葉にできて、きちんと伝わる、という喜びだって、永遠に知ることは出来なかったのだろう。

 本当にこんなに幸せな気持ちになっていいのだろうか。今までだってたくさんいろんなものをもらっていたのに。

 胸のあたりがぎゅっと痛くなるのに知らないふりをして、帰りましょう、と声をかける。

 大丈夫、まだ家まで、帰り道は半分あるから。


――=――=――=――=――=――



「あの、私のわがままに付き合ってくださってありがとうございました」

 校門前で初めて会った春さんは、そう言って深々と頭を下げた。

「いや、俺もありがとう。たくさん話せて楽しかったよ」

「はい! 私も楽しかったです!」

 彼女はそう言って、ぱあっと顔を輝かせた。今までこんな笑顔を向けてくれた女の子なんていないから、嬉しさと恥ずかしさで目をそらしてしまう。

「えっと……それじゃあ失礼しますね、本当にありがとうございました」

「うん、病気、治るといいね。帰ってきたら連絡とかしてよ。またいろいろ話そう」

 春さんはそれを聞いて、嬉しそうに顔をほころばせる。それからもう一度ペコリと頭を下げて、彼女は帰っていった。本当は俺が送るべきなんだろうけど、それは彼女に全力で拒否されてしまった。ちょっと複雑ではあるけど、それよりも人生初の告白の嬉しさがそのもやもやをかき消してしまう。ニヤニヤする口元をどうにもできないまま、玄関を開ける。

 入ってすぐに、風呂上がりらしき姉さんが、歩きながらスマホをいじっているのが目に入った。目があった途端、姉さんは引いたような表情で足を止める。

「……何、あんた、そんな気持ち悪い顔して」

「失礼だな姉さん。聞いて驚くなよ、俺告白された。あとただいま」

「はぁ? 夢でも見てんじゃない? おかえり」

 靴を脱ぐ俺に哀れみの視線を向けながら、姉さんは一足先にリビングへ向かう。 

 きっと姉さんは告白されたことないから羨ましいんだ、なんて前向きに考えて、俺もリビングへ向かう。そういやハルってどこかで聞いたことあるなと思ったら、うちの猫と同じ名前なのか。人懐っこくてふわふわの猫。俺と同い年の15歳で、俺に一番懐いてくれていて、家に帰れば真っ先に出迎えてくれて。

 そうかそうか、あの告白はハルのおかげかぁ、と考えたところで、俺はやっと何かがいつもと違うことに気づいた。何が違う? 何がおかしい?

 あぁ、そうだ。

「姉さん」

「うん? 何?」

「姉さん、ハルは、どこ?」

 その日、最初のただいまを、初めてハル以外の相手に言ったのだ。






「それで? ハルちゃん帰ってこないの?」

 頬杖をついたクラスメートがそう聞いてくる。力なく頷けば、そいつはうわ、と顔をしかめた。

「溺愛しすぎだろ。まあわかるよ? ハルちゃんかわいいし。でも猫がしばらく帰ってこないなんて当たり前じゃね」

「やっぱりそうかなぁ……でもハル、どんなに長くても3日で帰ってくるし……もう二週間だぜ? 何かあったんじゃ……まさか他所で飼われて……?」

「重症だな」

 呆れたような笑いを浮かべた彼は、ふと時計を見て腰を上げた。

「じゃあ俺部活行くから。おまえ今日部活休みだよな」

「うん。じゃあまた明日」

「おうよ」

 バッグを肩に引っ掛けて、教室から走り去っていく。その背中をぼんやり眺めて、俺も帰ろうと立ち上がる。と、足音が戻ってきた。数秒ぶりのその顔に、俺は苦笑いを浮かべて声をかける。

「何、忘れ物?」

「あー、そんな感じ? とりあえずスマホ、あれ開いて」

 言われるがまま、スマホを取り出してメッセージアプリを開く。すぐに彼からメッセージが届いた。何処かのサイトのURLのようだ。いくつかURLを送ってすぐ、彼はカバンにスマホを突っ込んだ。

「彼女が猫好きでさ、相談したらいろいろ調べてくれたんだ。サイトとかも教えてくれてて、伝えとこうと思ってたの忘れてた。んじゃ今度こそ」

 早口でそう言うと、また教室から走り去ろうとする。慌ててありがとうと言えば、出る直前にひらひらと手を振ってくれた。

 今度こそ誰もいなくなった教室で、送ってくれたURLからサイトに飛ぶ。

「猫も家出する!」「死期が近づいた猫は姿を消す?」「エンジェルタイムとは」

 安心していいのか心配したほうがいいのかわからないサイト名に、でもきっと、いろんな可能性を考えて調べてくれたのだろうと嬉しくなる。自分以外にもハルを気にしてくれる人がいるのだ。早く帰って姉さんにも見せてみよう。スマホをポケットにしまって、俺は教室を出た。

 靴を履き替え、はや歩きで家まで急ぎながら、ハルのことを考える。今日こそは家に帰ってるかもしれない。今日こそハルにただいまを言えるかもしれない。撫でれば嬉しそうに目を細めるあの顔が見たい。

 あっという間に家に着き、俺は勢いよく玄関のドアを開いた。あの日のように、タオルを肩にかけた姉さんと目が合う。ハルは今日も玄関にいなかった。姉さんがだるそうにおかえり、と言うのが聞こえた。

 はあ、と大きく息を吐きだしていると、姉さんがそうだ、と俺に声をかけた。

「あんた、あたしのスクバにハルの首輪入れた? 朝言おうと思ったんだけど部活でもういなかったから言えなくて……ってどうした? むっちゃ顔色悪いけど」

 それを聞いた俺の頭の中をぐるぐる回るのは、サイトの内容と、数日前に一緒に帰った春さんのこと。

『猫が飼い主に感謝の気持ちを伝える最期の時間をエンジェルタイムと言う』

『死期を感じると回復できる場所を求めて身を隠す』

 あぁ、まさか、そういうことなのか。

 姉さんの心配そうな声が、遠くから聞こえるような気がした。






 きっともう二度と会えないあなたに、これから伝えられないおかえりの代わりに。

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