第380話 やり残したこと
テレビではおなじみの歌番組が始まっている。
女性陣と男性陣に分かれての歌合戦。今年は初出場のグループも多く、真奈が画面にくぎ付けだ。
「……見てて楽しいか?」
「もちろん。次のグループも今回初出場なんだよねー、ほら見て見てー」
みかんを食べながらこたつに入り、真奈はひと時の休憩。
そして俺はおせちに入れる栗きんとんを作るため、ひたすら裏ごししている。
「司君終わったー?」
台所から杏里の声が聞こえてくる。
エプロン姿の杏里はいつ見ても可愛い。ついつい『母さーん』と呼んでみたくなってしまう。
……でも、いつかそんな日が来るんだろか? いや、絶対に──
「来る!」
「来る? えっと、裏ごし終わったって聞いたんだけど?」
おっと、ついつい声が出てしまった。
「おーけー、終わりましたボス」
俺の両腕はもう限界です。
「ありがとっ、助かったよ。そろそろおせちも完成するから、一緒におそばでも準備しようか?」
「お、年越しそばっ。いいね」
テレビの画面をずっと見ている真奈。
台所では俺と杏里、二人の空間。
暖かい家に一緒にいる想いを寄せる人。
子供のころから知っている幼馴染も一緒にいるけど、すごく心が安らぐ。
「司君、おそばになに乗せる? 天ぷら? 油揚げ?」
「エビ天だな。ナルトとねぎも入れようかな」
「私もエビ! 二本!」
真奈が割って入ってくる。こっちに熱い視線を送ってくる真奈の瞳にはエビ天が泳いでいる。
うん、エビ天そばおいしいもんね。その気持ちわかりますよ。
「はいはい、真奈ちゃんはエビ天二本ね」
「やったー! 杏里姉ぇ好きー」
すっかりご機嫌な真奈。おせちの準備もほぼ終わり、杏里と年越しそばを作り始める。
「今年も一年お世話になりました」
ねぎを切りながら杏里に話す。
「いえいえ、こちらこそお世話になりました。来年もよろしくね」
杏里は微笑みながら話す。俺はそんな優しい微笑みを向けてくれる杏里のことが好きで、きっとこれからもずっと好きなんだなって思う。
大きなお鍋に湯を沸かし、そばを入れる準備が終わる。
杏里は細い腕をまくり上げ、そばを鍋に入れ始めた。
「ゆでるよー」
二人で並んでお年越しそばづくり。本当に今年も残すところあとわずか。
やり残したことはないかな……。
「司君、どんぶり三つ持ってきてー」
「かしこまりー」
戸棚からどんぶり三つ回収し台所に。
あ、あった。やり残したこと一つ。これだけは今年中にやっておきたい。
そんなこんなで、そろそろ深夜十二時になりそう。
台所から完成した年越しそばを三つコタツへ移動。
俺の正面にはテレビ。右には真奈、そして左に杏里。
どうしよう、やり残したことが終わっていない。
早くしないと年を越してしまう……。
「真奈ちゃん、そろそろ年が変わるね。今年一年どうだった?」
「んー、去年よりは充実した一年かな。受験は大変だけど、運命の出会いもあったし……」
「来年はテストあるし、一緒に頑張ろうね」
「もちろん! 絶対に合格するんだから!」
「がんばれー、俺も応援してるからなー」
「合格したらここに住むんだから、よろしくね!」
あ、そうだった。忘れてた。受かったらここに住むんだよな。
うーん、杏里と二人きりの時間が無くなる……。
「司君も今年一年、いろいろとありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ……」
ちがう、そうじゃない! 俺は今年中にまだやることが!!
「じゃ、おそば食べようか? いただきます」
「いただきまーす! やった、エビ天二本」
真奈はさっそくエビから食べ始める。
どうしよう、早く何とかしないと年を越してしまう。
「あっ、飲み物廊下の収納に入れっぱなしだった。ちょっととってくるね」
杏里が食べ始める前に席を立つ。
チャンス到来!
「俺も手伝う?」
「いいの? じゃぁお願いしようかな」
杏里と席を立ち、寒い廊下へ移動する。
寒く暗い廊下。そんなところに杏里と二人きり。
今年最後のチャンス、今しかない。
ふっと、背中にぬくもりを感じた。
杏里が背中から抱き着いてきた。
「本当にありがとう。司君と出会えて、今この時を一緒に過ごせることがとても幸せです」
ぎゅっと後ろから杏里に抱き着かれ、俺も杏里の手を握る。
「俺も杏里と出会えて、今この瞬間がすごく幸せだよ。ありがとう…」
振り返り、うす暗い廊下でそっと杏里の唇をふさぐ。
好きです、すごく好きです。俺は杏里のことが大好きで、これからもずっと一緒にいたいです。
それはわがままですか? 勝手な思いですか? この好きっていう気持ちを、どうやって伝えたらいいですか?
「司君、好きだよ。ほかの誰でもない、司君が大好き」
どうやって伝えたらいい? そんなこと考える必要なんてないじゃないか。
「俺も好きだよ。杏里のこと、大好きです。来年も、この先もずっとよろしくな」
言えた。今年やり残したたった一つのこと。
杏里に気持ちを伝える。今までも何回も伝えてきたと思うけど、一年の最後にもう一度伝えたかった。俺は言葉にして素直な気持ちを杏里に伝える。
互いに抱きしめあい、ぬくもりを感じる。
この温かさと、この気持ち。絶対に忘れてはいけない。
暗闇の中やっと目が慣れてきた。うっすらと杏里の表情が見え始める。
モノクロの世界の中、俺にだけ杏里は色づいて見えた。
そして杏里の瞳をずっと見つめる。
「なんか照れちゃうね。ちょっと恥ずかしいかも……」
杏里が小さな声で囁く。
「そんなことないよ、杏里の瞳はとても綺麗だよ」
「司君……」
いい雰囲気だ。このまま時が止まってしまえばいいのに……。
『司兄ぃ! 杏里姉! そろそろいいでしょ! おそば伸びるよ!』
なんだかなー。なんでかなー。どうしてかなー。
真奈の声を聞き微笑む杏里。
その微笑む杏里を見て、俺も微笑む。
「今戻るよー。オレンジでいいのかー」
『オレンジでいい!』
ジュースを手に持ち、こたつに戻る。
「お二人でのお話は終わりましたか?」
ジト目で俺たちを見てくる真奈。
「あぁ、終わった……」
「ほぅほぅ、それで?」
「真奈は明日から部屋に缶詰。年始早々受験対策開始じゃ!」
「えええぇえぇえぇえ! な、なんでそんな事になってるの! 嘘でしょ!」
「嘘だよ、明日はゆっくりして、初詣に行こうね」
早々に嘘だと杏里がばらしてしまう。
「司兄ぃ、最低」
「すまん。ほら、エビの衣だけやるか──」
「とぅっ!!」
「あぁぁぁ! 俺のエビ天全部持っていくなー」
「いただきます!」
「司君、私の半分あげるから」
「そういう問題じゃない! こらっ、真奈! エビ天返せ!」
一人でいた頃は感じなかった。
昔、この下宿にたくさんの人がいたときってこんな感じだったのか?
きっと、その時同じ時間を過ごしていたメンバーは今の俺と同じような気持ちだったのかな……。
家族っていいもんだな……。
彼女と始める同棲生活 ~同じクラスの美少女と一緒に住むことになりました~ 紅狐(べにきつね) @Deep_redfox
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