復讐者は笑わない

エノコモモ

復讐者は笑わない


磨き上げられた床の上で、ヒールが高らかに音を立てた。それが合図だったかのように皆が皆一斉にこちらを見て、目を見開き頬を染める。照明を反射し丸く大きな瞳は新緑色に煌めき、金の髪は柔らかに流れる。洗練された佇まいに極められた礼儀作法。誰がどう見ても完璧な美少女がそこには居た。


けれど羨望と恋慕の眼差しを一身に受けても尚、彼女はそれに見向きもしない。掛けられる声その全てを無視し、真っ直ぐにある男の元までやって来た。


ドレスの裾を摘まみ深々と頭を下げ、完璧な挨拶を済ませたは完璧な笑顔を浮かべる。


「クリスティと申します」


男がこちらを見てわずかに目を見開く。どこか茶色がかった黒い髪に瞳は深い青。顔の中心を通るきりりとした鼻筋に、見上げるほど高い背。俺にはよく分からんが、きっと世間一般で言うイケメンなんだろう。それを表すように、周りを囲むのは若い女性ばかりだし。


「どうぞ、お見知りおきを」


クリス・ブリンクマン。俺の名前だ。まあ可愛い顔してまるで男性のようなお名前ねなんて驚かれるかもしれないが、当たり前の話だ。俺は正真正銘の男である。


「ああ…俺はフェルディナントだ」


目の前の彼は、どこか気もそぞろになりながらも返事を返してくる。その瞳は俺に釘付けになったままだ。どうやら掴みは上々らしい。


それに心の中でガッツポーズを取りながら、俺は彼に背を向ける。歩き出す俺の中にあるのは、達成感でももちろん彼への思慕でもない。憎しみである。


(呑気に女を侍らせていられるのも今の内だ…)


「俺はお前に、復讐を遂げに来たんだからな…!」


小さく、けれど確かな意志を持って呟きながら、先程挨拶を済ませたフェルディナント・ボースマを睨む。


時は三ヶ月前に遡る。俺の妹が、婚約破棄をされた。


理由は簡単。もっと良い条件の女が手に入りそうだったから。元々女性との噂が絶えない男だった為に婚約にあまり良い気はしていなかったが、奴は最悪だった。元婚約者は破棄はこちら側に過失があると主張し、証拠を捏造してきたのだ。俺の妹は事故物件の烙印を押された上に棄てられた。これを憤らずに何とする。


俺にとって、妹は超可愛いかった。それはもうべらぼうに可愛い。生まれる前に父を亡くした彼女に寂しい思いをさせないよう、俺は父親代わりになった。涎を拭きおしめを替え不器用ながらも髪を結び、授業参観にも三者面談にだって行った。そしてそんな拙い俺の努力を、彼女は受け止めてくれた。普通なら父や兄を嫌厭する思春期でさえも、妹は俺を慕ってくれたのだ。


そんな妹が傷つけられた。たとえシスコンと呼ばれようが気にしない。何だってしてやる。


そんな妹の元婚約者、フェルディナント・ボースマが今回この国の公主が主催するある社交パーティーに参加するとの情報を掴んだ。その会場で復讐せんと、俺は筋肉量を落としハイヒールを履きコルセットで腰を締め付け臨んだわけだ。もちろんチャンスは一度きり。礼儀作法から女性としての振る舞い、佇まいに至るまで全て習得した。幸いにも、男としては有り難くないことに元々俺の顔は童顔で中性的な方だったし、背も高くない。


と言うわけで、今の俺はどこからどう見てもただの美少女だった。






「ローデンビュルフ公主家のご次男、初めて拝見したわあ」

「成人するまではと社交界への進出は控えていらしたけど…あんなに素敵な方だとは思わなかったわね」


浮き足だった様子で駆けて行く足音を扉の向こうに聞きながら、俺は囁く。


「ねえ。一目惚れなの」


俺がいるのは密室。ソファに机、おそらくは屋敷の応接室だろう。そして目の前にはフェルディナントの姿。


お手洗いに行こうとする彼を、腕力を使って無理矢理引きずり込んだのだ。その拍子に彼の高そうな衣装がちょっと破けたが知るものか。


「キスして…?」

「っ…」


胸板に偽物の乳を寄せながらそう言う。フェルディナントも言えば、呆然とこちらを見ていた。


あれは一年前ことである。友人達と行ったバーで俺は初キスを迎えた。妹が婚約したことによるあまりの寂しさで枕を濡らす俺を慰めようと、十年来の親友であるブラムが企画してくれたパーティーだった。殆どやけ酒だった為に俺はべろべろに酔っていたが、初キスの味だけは鮮明に覚えている。良い匂い、ふわふわの髪に厚めの唇。相手は店員さんだった。そんな甘酸っぱくも素敵な青春の思い出となる筈だったのだ。


そう、そこが――オカマバーであったことが分かるまでは。後から元男であると分かってしまった時の精神的ショックと言えば凄まじかった。妹が結婚するとわかった時よりも寝込んだぐらいだ。人よりも少しだけ愛らしい俺の顔が引き起こした災いだったのか何だか知らんが、あの事件は俺の心に、深い傷跡を残した。


その為に俺は知っている。何せ当事者だ。女だと思ってノリノリでキスした後に男だったと知ると、ショックがでかい。そして女好きを懲らしめるにはぴったりの方法だ。この男とキスをし、実は男であると発表した上で高らかに笑ってやるんだ。これが俺の考えた、復讐だった。


「クリスティ」


ところがフェルディナントは、阻むように俺の手を取った。少しだけ迷うように視線を動かした後、はっきりと口を開いた。


「気持ちは嬉しいが、俺達はまだそのような関係ではない」

「っ…!?」

「もっと自分を、大切にしてくれ」


そう言って俺に背を向けた。扉へと向かって行く。


(な、なんで…)


俺と言えば予想外の事態に慌てる。だってこいつは、生粋の女好きだった筈だ。断られるなんて思ってもみなかった。警戒されたかタイプじゃなかったか、男であることがバレたか。必死で考えを巡らせて、そしてフェルディナントが扉の取っ手に手を掛けた音に我に返る。


(いや、原因を探している場合じゃない!)


「ま、待て!」


咄嗟に腕を掴んで彼を止めた。驚いてこちらを振り返る顔を掴み、その一瞬で覚悟を決める。


「っ…!」


そのまま引き寄せて、唇を重ねた。


唇の温かい感触に大いなる後悔が過ったものの、どうせ一度は男にくれてやったキスだ。一回も二回も変わらない。


「ん…」


やがてゆっくりと唇を離す。見開かれた瞳と目が合った。さあ目的は達成した。仕上げに俺は実は男だぞお前がキスしたのは美少女ではなく男だぞと宣言してやろうとする俺の顔を、大きな手が掴んだ。


「んん!?」


そのまま強い力で引き寄せられ、唇を押し付けられる。けれど先程のキスとは大きな違いがあった。べろんと舌が入ってきたのだ。舌は何度か唇の辺りを行き来した後、呼吸をさせる隙もなく奥に入ってくる。歯列をなぞり舌を絡め取られた。


「ふ、っあ、」


最後に上顎を擦られて、変な声が漏れた。酸欠と混乱で放心状態になる俺の体を、フェルディナントが抱えた。そのまま、近くのソファに引き倒される。布の上にざらんと付け髪が散る音で、意識が戻った。慌てて手を前に翳す。


「ま、待て!」

「君から誘ってきたのに?」


上に被さったフェルディナントの青い目が、熱っぽく揺れる。続いて伸びてきた手は、俺の腰のあたりを触った。


「い、いやちょ、」


頭の中で警鐘がガンガン鳴る。つうと撫でるように指が下半身へと下がっていって、俺は大慌てで声を張り上げた。


「そこは!ちんちんあるからっ!」

「は…?」


手が止まった。フェルディナントがぱちぱちと瞬きをする。黒い睫毛が動く様子を見守っていると、彼は呆然と口を開いた。


「何故、陰茎が…」

「俺が!男だからだ!」


俺の言葉に一瞬悩んだ後、彼はもう一度瞳をぱちぱち瞬かせる。


「そんなまさか…」

「ヒエッ」


混乱のあまりか再び伸びてきた手が、ごそりと触れた。いや何にって、ナニに。急所を握られた事実に変な汗が噴き出す。


「……」

「……」


完全に時が止まった。固まる彼に向かって、俺は無理矢理笑顔を浮かべる。


「おっ、男のちんこ握ってやんの!」


そして俺は男に息子を握られた訳だが、その事実は全力で見ないふりをしてそこから這い出す。


「バーカバーカ!やーい!チン揉み男!」


指を差し思い切り馬鹿にしつつ、扉へと手を掛ける。そのまま廊下に飛び出した。復讐は終えた。もう女装もパーティーも関係ない。靴も脱ぎ捨て髪飾りも取り去り、殆ど裸足でただひたすらに走る。


奴はかなりの衝撃を受けただろう。そして女好きであることを反省するに違いない。何せ男とべろちゅーをかました挙げ句に竿を握ったのだ。俺の心には達成感しかない。それなのにあれ、おかしいな。目から汗が。


こうして俺の心に大いなる傷を残しつつも、復讐は成功を収めたのであった。






そう、成功したと、思っていたのだが。


「入籍のことなんだけど、お兄様に証人をお願いしようかと思って」


俺の自宅。髪を梳きながら話しかけてくるのは、俺の妹であるアンシェラ。俺と同じ金の髪がさらさらと散る。そして一ヶ月前より短くなった髪を揺らし、俺は顔を上げた。


「お、おめでとう…」


先日、俺の妹はもう一度婚約した。俺の親友と。


ブラムは良い奴だ。家は裕福だし本人は優しくて実直。少しばかり横に広めの体型ではあるが、アンシェラの婚約破棄騒動を承知の上で受け入れてくれた。愛する妹が、俺が全幅の信頼を置く男と結婚。寂しさはあったが、とても嬉しかった。


「お兄様、喜んでくださらないの?」


けれど現在、俺の顔には深い影が落ちている。


あの後、アンシェラを陥れたフェルディナント・ボースマは失脚した。何でも婚約した身で別の女性に手を出したことが発覚したらしい。婚約は当然破棄され、地位を追いやられた。そのついでにアンシェラの濡れ衣も晴れ、まさにハッピーエンドと言うやつだ。


問題は、週刊誌の写真の中のフェルディナントは、俺が一切合切知らない男だったことである。


「しかもあの社交パーティーの時は、髪を金に染めてただって…?」


震える俺に、アンシェラはため息をついた。


「あの人には兄様も何度か会ったのに…相変わらず男性の顔、覚えないのね…」

「だって男になんか興味ないし…」


俺の心にはひとつの疑問が落ちる。


「じゃ、じゃあ、あのブルネット男は…誰なんだ…」

「ブルネット?」


少し珍しい茶色がかった黒髪――所謂ブルネットに、フェルディナントと言う名前、周りに侍らせた女達、パーティーの参加者。その情報だけで復讐する対象に違いないと思い込んでしまったが、どうやらあの日俺がキスを迫った相手は、妹の元婚約者ではなかったらしい。


そして同じ条件に当てはまる別の男がいることを、俺は先日知った。


(やっぱり…いや、まさか…)


「お兄様。お客様が来たらしいけど…」


使用人と話していたアンシェラが振り返る。誰だと目線だけで聞くと、彼女は戸惑ったように口を開く。


「それが…」


信じられないものを見たような表情に、俺は察する。ああ、死刑台が迫ってきた。






ローデンビュルフ公国。海にぽつんと浮かぶ島国で、島由来ののどかな自然と穏和な国民性が特徴である。


さて。この国は、名前の通りローデンビュルフ公主家が治める。そして現在元首であらせられるドミニクス公主にはふたりの息子がいる。


そのうちのひとり、フェルディナント・ローデンビュルフ。第二公子。即ち王子様。この方がちょうど、お母上の血を受け継いだブルネットだった。更に言えば放っておいても女性が勝手に群がるようなイケメンであり、そしてあのパーティーの開催者はローデンビュルフ公主家だったわけで、参加していても何らおかしくはなかった。


「……」

「……」


そしてそんな公子様と、俺は向かい合って座っていた。


「クリスティ…いや、クリスか」


びくりと身を震わせる。小さく小さく身を縮こまらせながら、俺は呟いた。


「先日は本当に申し訳ないことを…」


もう分かっただろう。俺が妹の元婚約者と間違えたのは、王子様だった。俺が女装しキスを迫り指を差した挙げ句に、全力でチン揉み男呼ばわりしたのは王子様だったのだ。


「か、勘違いだったんです…」


俺の正体をどこからか探り当てたのだろう。素性を暴き、わざわざご本人が赴く。用件はわかっている。俺を打ち首に処しに来たに違いないのだ。それでも一縷の望みを懸けて釈明を口にする。


黙って聞いていたフェルディナントがふうと息を吐いた。俺をじっと見ながら口を開く。


「初めて君を見た時…何と美しい女性なのかと感銘を受けた」

「は、はあ…」

「そんな君から好きだと言われ、天にも昇る気持ちだったんだ。けれど俺も王族の端くれだ。婚前交渉はどうかと思い、自身を抑えた。それなのに、君からキスをされたせいで…理性が飛んだ」


声が低くなる。気のせいか照明まで暗くなったような気がした。


「君が男だと分かって驚き…そして絶望した」

「す、すみません…」


恨み節を聞かされている俺は、ただひたすらに頭を下げ耳を傾ける。


「だがしかしその後何度か夢に出てきてな…。忘れられないんだ…」


言いながらフェルディナントが視線を下げた。そして机の下にあるであろう俺の下半身を見ながら、言った。


「君のそれを握った時の感触が」

「……は?」


びしりと固まる俺の手を、フェルディナントが掴んだ。熱に浮かされたようにどこか情熱的に先を続ける。


「そうして何度か繰り返し思い出す内に、俺は思ったんだ」


俺には全く理解できていない。けれど何か良くない流れに全力で舵を切っていることだけは理解した。


フェルディナントは静かに頷き、真剣な表情で口を開いた。


「君が男でも全然イケるしむしろそっちの方が良いな、と…」

「ヒッ!」


慌てて手を引っ込めようとしたが、フェルディナントに全力で押さえられておりそれは叶わなかった。ぐぐぐと引っ張り合いをしながら、彼は俺の顔を覗き込む。


「安心してくれ。同性婚の条約は施行された後だし、俺は次男であるから跡継ぎも必要ない。俺の子供を生んでくれなんて無茶は言わない」


いや安心できない。ほんの少しだって安心できない。けれど完全に目覚めたフェルディナントは止まらない。俺の瞳を真っ直ぐに見て、言った。


「まずはお友達から、始めよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

復讐者は笑わない エノコモモ @enoko0303

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ