夕風サイクリング
倉海葉音
(1)
背後の体育館からは、どたどたと、まだ盛んに足音とボールが床を打つ音が聞こえる。
トタン屋根の駐輪場は、風が吹いてぎい、ぎいと微かにきしむ音を立てている。
下町のカラスが、かかあ、かかあと互いに声を絡ませながら頭上を通り過ぎていく。
体育館の白い壁も、トタン屋根も、空も、全てが白桃色に染められる時間。落ち着いた時間の流れが、味わい深い。
サドルに手を置き、チューブ状の鍵を外し、スタンドを蹴り上げると、車輪が小さく前後に動く。学校名の書かれた鞄は前かごに突っ込んで、コートをはためかせながらサドルに跨る。
試しにベルに手を触れる。ちゃりん、という涼しげな音が合図になる。
夕方の校舎裏、アルミ製の車体がゆっくりと動き始めた。
***
裏門を出るとすぐに、その姿を見つけた。
肩の上で切りそろえられた黒い髪。温かそうな小豆色のコート。微風に揺れるスカート。夕焼けにつやと光るローファー。携帯を右手に、少し俯き加減。
自転車のブレーキを軽く握る。お待たせ、がいいだろうか。ごめん、待った? がいいだろうか。
その迷いは、相手が顔を上げた瞬間に不要なものとなった。
「あ、陸」
携帯を鞄にしまい、彼女は小走りにやってきた。小さくて整った顔には、笑みが浮かび、その綺麗な瞳に吸い寄せられそうになる。
「待たせちゃったな、葵」
「ううん。大丈夫」
鞄を受けとり、前かごに入れる。彼女は、荷台にそうっと手を置く。冷たさの度合いを確認して、スカートを気にしながら、荷台に座り込んだ。その瞬間、わずかにバランスを崩しそうになる。
「今、こいつ太ったな、とか思ったでしょ」
「思う訳ないだろ」
じとっとした目を振り切り、前に向き直る。帰途につこうとする生徒たちが、ちらちらとこちらを見ては歩いていく。前を通り過ぎていく車の運転手も、どこか目を細めて見ているような気がする。
その視線が遠ざかっていくと、俺はアスファルトの地面を勢いよく蹴った。二人分の体を前へと運び、安定をもたらす初速を手に入れるためのキック。わあ、という声が後ろから聞こえた。
自転車は、動き始めた。真っ直ぐ、今度は傾くこともなく。
風を切り始める。景色が流れ始める。
俺たちは、一つの流線型となった。
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