(4)
「で、こんな感じで良かったの、お兄ちゃん」
門が閉まりきると、そこにもたれながら葵はじとっとした目で尋ねてきた。
「ああ、ありがとう。いい体験だった」
俺はそんな目線を気にもかけず、財布から三千円を取り出し、彼女に手渡した。ありがとう、とぼそぼそ言って彼女は自分の鞄の中から取り出した財布にしまう。
「こんなんで三千円とかさ、あのさ、言い方悪いけど、チョロすぎだよ?」
「うるせえな、金貸してって言ったのはお前だろ」
金返せ、と手を差し出したら、彼女はごめんごめん、と苦笑する。
事の始まりはこうだ。
妹の葵が、今月ピンチだからお金貸して、と言ってきたのが二日前。今までにも何度かこういうことがあって、毎回ちゃんと返してもらっているからいいのだが、さすがにタダで貸すのは面白くないな、と思っていたところだった。
そこで提案してみた。
「なんでそれがさ、『自転車二人乗りでカップル気分の下校』だった訳なの?」
「いいじゃねえか、全ての高校生の憧れだろ! お前も憧れって前に言ってただろ」
「まあそれはそうだけど」
葵の彼氏は電車通学で、こういうことができないらしい。前に何かのドラマを見ていたときに、いいなあ、と言っていたのを覚えていた。
「それ、彼氏とやってみたいなって意味だよ、当たり前だけど」
「だけど俺は誰かとやってみたかったんだ」
「早く彼女作れ」
もっともな意見だった。その呆れたような言い方に、俺は歯ぎしりしたまま反論できない。
改めて葵の整った顔を見る。なぜ、兄妹なのにこんなに顔が似ていないのか。なぜ、俺はどう頑張っても三枚目にしかなれないのか。顔のパーツのどれかを分けてくれ。
「てかさ、この制服であそこで待機するの、超恥ずかしかったんだけど」
そうそう、葵は別の高校に通っていて、現在一年生だ。今日はわざわざうちの高校へ来てもらっていた。ちなみにうちの高校はそもそも私服可で、制服は一応あるけれど少数派だ。あの格好は特に目立っていたことだろう。
「駆け寄るときもさ、お兄ちゃんの知り合いとかいなかった?」
「いた」
「うわあ、最悪。ちゃんと明日、妹って説明してよね」
「いや、でも、お前もノリノリだったじゃんか。最初から最後まで。あそこまでやれとは言ってないだろ」
「演技だよ。演劇部員ですから。こういう演技するの楽しいよねえ」
葵は一年生にして彼女の学校の演劇部のエースだ。今年観に行った文化祭ではその幅の広い演技に俺も驚かされた。
「じゃあ、腕まで回したのは?」
俺の声から、段々力が抜けてくる。
「うん? ああ、あれはせめてものサービスだよ、お金借りるんだし、お・れ・い」
弾んだ声で言った。全く悪気のない、小悪魔の声。
「クソ、無駄にドキドキさせやがって」
「ええ、ドキドキしてたの。相手私だよ、それヤバいよ」
「ドキドキさせてきたのはお前だろ、チクショー……」
もちろん、俺だって全て演技だというのは理解しての上だった。相手はしかもこの憎たらしい妹だ。気分だけでも浸れれば、というスタンスで行くつもりだった。だけど、あれは、あれはさあ、さすがに反則だろ。というか他にも励まし方とか笑い方とか上目づかいとか色々せこいぞお前! ついドキドキもするだろああもう認めるシスコンだ俺は!!! お前のビジュアルと声質ずるいんだよ本当に!!!
「ああ、クソ、もうひとっ走りしてきてやる」
「暗いから気を付けなよ」
「わかってる!」
すっかり太陽は落ち切って、辺りの道を教えるのは街灯とそれぞれの家からこぼれる団らんの光だけになっていた。自転車の車輪を軽く動かすと、ライトも一瞬明かりを漏らす。
いつの間にか葵はドアの前で、家の鍵を探している。
「あ、お母さんには伝えておくよ。お兄ちゃんはもうちょっとかかるって」
「ああ、頼む」
「自暴自棄になって川に飛び降りたりしないでよ」
「たわけ!」
自分でもよくわからないことを叫んで、つい自転車のベルを鳴らしていた。涼しげな金属音は寒い夜にぴったりだ。……これ、こぎ始めたらめちゃくちゃ寒いだろうな。
「あ、そうだ」
「なんだよ」
ドアに手をかけながら、葵はにこっと笑う。
「でも、今日のお兄ちゃん、悪くなかったよ。ちょっとカッコ良かった」
がちゃっという音がして、ただいまー、と言いながら彼女は家の中に入っていった。
う、
「うおおおおおおおお」
俺は一心不乱に自転車をこぎ始めた。ペダルが軽い。必要以上に軽い。バカみたいな速度で進む自転車は、まるで弾丸。
嬉しいのか恥ずかしいのかさっきまでの余韻なのか、あんな歯の浮くような会話もっとしてみたいなとかあの腕の感じめちゃくちゃいいよなとか、
「うおー、彼女欲しいーー!」
すぐに近所迷惑だと気付いたが、発してしまった声は取り戻せない。どこかの家で早速笑いの種にされていることだろう。それは構わない。
その代わりに思っていた。クソ、葵のやつ、一々なんなんだよお前は!
こんなのなら普通に三千円でも五千円でも渡してやれば、いや、五千円はやらん、とにかく、普通に渡していれば、こんな、こんなみじめな思いをせずとも。
絶対、絶対、
「絶対、クリスマスまでに彼女作ってやるからな!」
こぐ前に感じていた寒さへの杞憂は、すっかり無くなっていた。怒りと決意とその他諸々で、熱すぎるくらいだ。本気で汗をかきそうだ。汗だけじゃなくて、別の液体も目から。
熱すぎる、もとい、暑苦しすぎる弾丸が、この後しばらく秋の夜の住宅街を飛び続けることになる……。
夕風サイクリング 倉海葉音 @hano888_yaw444
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