(3)


 カラスの悠長な声が、空に響き渡る。対岸のずっと先に見える夕陽も、段々低くなってきている。ライトのスイッチを入れてみると、ペダルをこぐ足の負担が増える。


「まだライト要らないんじゃない?」

「いや、警察に見つかったらそろそろ怒られるくらい」

「こんな所にいないでしょ」

「まあ、そうだけどな」

「ふふ、陸らしいね」


 いつもは真面目すぎ、と揶揄されがちだけど、珍しく真正面から褒められた。


「ありがと」

「どういたし」


 照れなのか、省略した返事だった。充分に気持ちを受け取って、スピードを上げた。


 坂を上り始める。下ったということは、その分のエネルギーで上らないといけないということ。脚の負荷は思ったよりもきつい。


 だけど、後ろから不安そうに励ます声がする。腰に回された腕は、そわそわしている。それは、有り余るほどのエネルギーに変わる。脚は、いくらでも回していける。


「っしゃ!」


 一度も足をつかずに坂を上りきった。再び訪れたアスファルトの感触に、ホッとする。すごい、という呟きが後ろから聞こえて、くすくすと笑った。


 左に曲がると、後は直進だ。緩やかな下り斜面に自転車を委ねる。日は、もう落ちかけている。ライトの明度は、少しずつ増してきている。


「これが、黄昏なんだね」


 信号待ち中、彼女が、久々に口を開いた。遠くに見える山の稜線に沿って、赤い残照が広がっている。雲の陰影も、いい味を出している。


「普段、あんまり意識しないよな」

「うん。夕方って、こんなに素敵な時間帯なんだね」


 ぶわっと、頭上の空を何かが通っていく気配がした。見上げると、コウモリが群れを成して飛び交っている。


「あんまり、ロマンチックじゃないね」


 彼女が苦笑する。


「でも、だからこそいいんじゃないか?」

「どういうこと?」

「ごめん、適当」


 何それ、と腹を叩かれながら、灯った青信号に合わせて自転車を動かし始める。でも、なんとなく伝わってくれたと思う。さっきのアイツのセリフに対する俺みたいに。


 お互いの感じたことを、お互いに伝え合うこと。それはとても楽しい時間で、自分の感受性が愛しく思えて、そして、短く思う時間。


 短い時間は、切なさへのカウントダウン。


 そう、終わりのときはやってきてしまう。ブレーキをゆっくりとかけ始めた。後ろの乗客を、不安がらせないように。慎重に、バランスを保って。


 腰回りの感触が消えて、次の瞬間車体が軽くなった。ききっ、とブレーキをかけ切って振り返ると、彼女は自転車から降りて、ぽつんと後ろに立っていた。


「ありがとね」


 彼女が歩み寄ってくる。その目がちらっと捉えるのは、明かりの灯った白い家。そう、ここが彼女の家なのだ。


「どういたし」

「マネしないでよ」


 鞄を差し出すと、彼女は少し名残惜しそうに受け取り、俺をまじまじと見つめながら歩いていく。鉄格子の門をきい、と開け、照れたように口を開く。


「また、明日……ね。陸」


 そして彼女はゆっくりと門を閉める。笑顔で、嬉しそうに、寂しそうに手を振りながら。

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