桜色の封筒
時雨シキ
桜色の封筒
始まりは突然、なんてのはベタな言葉だと笑っていた俺だったが、今の俺を見たらこう思うだろう。笑ってる場合じゃない。
今日、つい今さっきまで俺はいつも通りの日常を過ごしていた。一限目から数学とかだりぃ、なんてぼそっと言いながら靴箱を開けた……はずだった。
見慣れたスリッパの上に、見慣れない桜色の物が乗っていた。
桜色の何かを手に取る。どうやら封筒らしい。表面はピンクのグラデーションに控えめな桜のイラスト。裏面には桜のシールが封として貼られている。手触りから中身があるのは分かるが、それ以外は特に目立ったものはない。
急いで男子トイレへ行き、個室に鍵をかける。まさか男子トイレの個室を使う日がくるとは思わなかったが、誰にも見られない場所といえばここぐらいだろう。
意を決して封筒を開ける。
「須藤先輩へ
先週から運動会の練習が始まりましたね!先
輩方は厳しいと聞いてたので身構えていたんです
が、やさしくて
すてきな先輩ばかりで安心しました!太鼓をたたく先輩は
きらきらしていて、とてもかっこいいです!
でも、先輩は努力家なので、体を壊されてないか心配で
す。無理しないで下さいね!
白水 美佳」
何だこれは。
日本語としては間違っていないのだろうが、改行が不自然だ。便せんの長さから見ても余裕がある行とギリギリの行がある。
しばらく悩んでいたが、ふと腕時計が視界の片隅に映った。時刻を確認する。朝課外開始五分前。そろそろチャイムが鳴る頃だろう、なんて思ったその瞬間にチャイムが鳴り出した。
便せんを元通りに折りたたみ封筒の中へ。ズボンのポケットに封筒を入れ、早歩きで教室に向かった。
駄目だ、全然集中出来ない。
謎の手紙が妙に心に引っかかるせいで、午前中の授業はすっかり上の空。機械的にノートを取るだけになっていた。
昼休みになるや否や、教室が一気に騒がしくなる。三年生が主体となって動く最後の学校行事と言っても過言じゃないこの運動会、全員が真剣なのだ。
「よっす、太鼓君」
声の主は俺のクラスメートの宮島だ。宮島は白い歯を煌めかせ、手に持った弁当袋をちょっと持ち上げる。「一緒にメシ食おうぜ」というサインだ。
椅子を少し端の方に移動させ、宮島の分のスペースを作る。俺の机を二人で分けて使う形だ。
「お前なぁ、太鼓君はやめろって言っただろ」
ちなみに太鼓君とは俺のことだ。運動会の応援合戦の際に俺が太鼓をやると決まってから、誰かが冗談半分で広めたあだ名だ。
「別にいいじゃん。呼びやすいし」
「俺の名前はだいご。須藤大悟だっての」
「濁点がなくなっただけじゃんかよ。別に良くない?」
「良くない」
そんな普通の話をしていたその時だった。
「ん、何だそのピンク色のやつ」
宮島が端で指した先は俺のズボンのポケット、あの桜色の封筒だった。
一瞬ひやっとしたが、冷静に考えれば減るもんでもない。むしろ宮島にも読んでもらって意見を聞いてみよう。何の気なしに宮島に封筒を渡す。
「朝来たら靴箱に入ってたんだよ」
宮島が封を開ける。
「女子からの手紙ねぇ~。……もしかしてラブレターなんじゃねーの?」
ニヤニヤしながら言うな気持ち悪い。
「羨ましいもんだぜ。ところで、お前この子とはどういう関係なんだ?」
この子というのはおそらく白水のことだろう。
「白水とは中学の生徒会で一緒だった」
「何年生だ」
「一個下。俺が生徒会長の時に二年だった」
俺がそこまで言うと、宮島は「ふーん」と言って唐揚げにかぶりついた。聞きたいことは聞いたのだろう。わかりやすい奴だ。
「その手紙、ちゃんと読んでみろよ」
メシを食い終えたあたりで、宮島は意味深な言葉を残していった。
家に帰って、改めて手紙を読み返す。本当なら学校でやりたかったが、練習が忙しすぎて忘れていた。
「ん?」
違和感があったそれぞれの行の冒頭。よく見ると文章になっているような気がする。試しにノートの隅に書き出してみると
先輩がすきです
世界が停止したかに思われた。手から落ちたシャーペンが机の上でカラカラと音を立てる。
宮島、お前は知っていたのか。
縦読みすると出てきたメッセージ、それは百人中九十九人が告白だと受け取るであろうメッセージだ。おそらくこっちが本当に伝えたいことなんだろう。しかしわざわざ何でこんな手紙をよこしてきたんだ?
「分かるかっつーの」
考えても仕方ない。とりあえず寝よう。そして明日宮島にでも聞いてみるか。
「お前も気づいたか」
朝課外が始まる前、手紙の本当の意味を知ったと報告したときの第一声がそれだった。
「まさか本当にラブレターだったとはな」
俺がぼそっと言うと、宮島がによによしながら聞いてきた。
「で、お前返事は書くのか?」
「返事?」
「せっかく後輩の女の子が勇気出して送ってきてくれたんだぜ。返事ぐらい書いてやれよ」
返事、か。確かに送られたものに対してお返しをしないというのも礼儀に反する。
ありがとな宮島。そう言おうとした矢先にチャイムが鳴った。
「あ、太鼓君。どうしたの?」
朝課外が終わった後、ホームルームまでの空き時間。俺は競技長の橋本に声をかけた。
「今日連絡事項とか下級生に伝えに行くか?」
「うん、昼休みに行くよ。それがどうしたの?」
俺はポケットからノートの切れ端を渡した。
「二年の女子のところに行った時、これを白水さんに渡してほしい」
紙を受け取った橋本は、宛名だけ確認すると「了解」と言ってポケットにしまった。でも俺は橋本の口角が上がっていたのを見逃さなかった。
ノートの切れ端にはこう書いた。
「今日終礼が終わったら中庭の像の前に来てください。なるべく早く終わらせます。
須藤」
放課後。ノートの切れ端に書いた通り、俺は中庭の像の前で白水を待っていた。
終礼が終わってからもう少しで十分になる。俺の呼び出しを無視するほど、白水は薄情ではないと思うのだが。
「ごめんなさい先輩。遅くなりました!終礼が長引いちゃって……」
俺を見つけるや否や、スピードを上げて走ってきた。
「それで、話ってなんですか?」
いたずらっぽい笑顔で訊いてくる白水。うん、こういうところは俺が知ってる白水だ。
「これ。読ませてもらった」
そう言いながら、ポケットからあの封筒を取り出す。封筒を見るや否や黙り込む白水。こいつなりに緊張してるのだろうか。ぎゃあぎゃあ言わない方が好都合だ。俺は続ける。
「この手紙、縦読みのほうが本題か?」
数秒の沈黙の後、白水はカクッと力のぬけたように頷く。
「今回お前を呼んだのは、お前の言葉に対する返答を伝えるためだ」
本音を言うなら俺だって手紙で返したかった。しかし俺に言葉選びのセンスなんてあるはずもなく、ルーズリーフに書いては消して、消しては書いて、しまいには紙を破るというコントじみた事態になってしまったのだ。
下手な言葉で傷つけるぐらいなら自分の口で直接伝えたほうがいい。俺なりに考えた結果だった。
傷つけたらごめん。そう前置きして続ける。
「お前の気持ちは嬉しい。でも、わかっていると思うが今は運動会の練習期間だ。これから練習ももっと忙しくなる。それに、運動会が終わったら、俺は受験勉強に全力を注ぎたいと思ってる。俺は不器用だから、勉強と他のことを両立させることはできない。だからお前にかまってやれないと思う」
俺が喋ってる間、白水はずっと黙っていた。一応振ったことになるからな。落ち込むのも無理はない。
「そっか……そう、ですよね……」
風に消えそうな小さな声で白水が言った。
「なんとなくそんな気はしていました。先輩の迷惑になってしまうかなって」
もう一度風が吹き抜ける。
「でもいいです。知っておいてほしかったんです。それだけで十分ですから」
とぼとぼと歩き去っていく白水。その背中はどこか哀愁が漂っていた。
「待て」
冷静を装って呼び止める。そうでもしないと白水は今にも崩れ落ちそうだった。
「まだ話は終わってない」
白水が壊れたロボットのようにぎこちない動きで振り返る。
「さっきも言ったように、受験勉強の間は他のことが手につかなくなる。だから、受験勉強が終わって、それでもまだお前が俺のことが好きなら、もう一度告白してほしい。全部終わって、ほかのことが余裕をもって出来るようになったその日に」
俺の言葉のおかげか、白水の目に光が戻る。歩き去っていく白水の小さなシルエットが、心なしか嬉しそうに見えた。
そして、季節は春。俺はとある大学の構内にいた。通勤列車を思わせるあふれんばかりの人の群れから抜け出し、ようやく新鮮な酸素を吸い込む。今日は合格者発表の日。受験生たちが自分の番号を探す運命の瞬間。人生最大のドラマの会場に俺はいた。
と言っても俺はもう受験生ではない。一年前に無事に桜を咲かせた俺は、この大学の生徒として毎日を過ごしている。じゃあなぜ受験生ではない俺が合格者発表の会場にいるのか。それは俺が今手に持っている、二つの桜色の封筒が知っている。
一つは運動会の練習期間中にもらった、あの縦読みの手紙。そしてもう一つは、俺が卒業生として見に行った運動会で新たにもらったものだ。
「先輩へ
三年生になって先輩が言ってたことがよくわかりました。あの時は迷惑かけてすみませんでした。
でも、私決めました。運動会が終わった後、勉強頑張って先輩と同じ大学に行きます!
だから、私に桜が咲いたとき、質問の答えを聞かせてください。
追伸、縦読みではないのでご安心ください。
それと、もしものときのために連絡先を書いた紙を入れておきます。
白水 美佳」
そういうわけで、俺は白水を探しに来ていた。とはいえこの人混みだ。見つけるのは至難の業だろう。
「ん?」
番号が掲示されている掲示板の前で、見覚えのある人影が見えた。小さな体で一生懸命番号を探しているのは、俺の待ち人白水だ。
どうやら向こうも俺に気付いたらしい。人をかき分け、急いでこっちに向かってくる。
満開の桜のような笑顔だった。
桜色の封筒 時雨シキ @Rain-Seasons
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