二度とない「次」
コマチ
第1話
仮にもし、私にタイムスリップのような力があるとしたら、間違いなくあの日に戻るだろう。と思えるような日がある。それはさほど遠い昔などではなく、おおよそ半年前の出来事だ。
至極、最近と呼べる日のことである。
六月のことだ。晴れた日だった。梅雨にも関わらず、運よく晴れた日だったんだ。
そしてその六月某日はとある友人の結婚式だった。私もめかし込んだ。六月の花嫁は幸せになれるという話に乗っかった日取りだったが、本当に天気も味方しているような、祝福された日だった。
ウェディング用の教会に向かって、私はパーティー用のヒールをかつかつ鳴らして歩いた。クラッチバッグ片手に、友人の祝福に向かうと思えばなんだか胸が踊った。気持ちよく鼻唄でも歌ってしまいそうな気分だった。
心地よく、穏やかな気分だった時、後ろから声をかけられた。振り向くと、スーツを着た1人の男がいた。よく見れば中学時代の先輩であった。なんとなくの面影がある。
「先輩じゃないですか」
「久しぶりだな」
会うのは十年ぶりになるだろうか。
「先輩も招待状貰ってたんですね」
「ああ、後輩に結婚を先越されるとは思ってなかったけどな」
先輩が追い付くのを待って、二人ならんで歩き出す。先輩は中学時代から背も伸びたようで、今私がヒールを履いてるにも関わらず頭はひとつ上のところにある。なんだか懐かしいような、少し切ないような気分になる。
「俺らが呼ばれたってことは、懐かしいメンツが集まるかもな」
「お祝いじゃなくて同窓会みたいになりそうですね」
先輩は少し楽しそうだ。
私はやっぱり少し切なくて、十年前を思い返していた。
中学の入学式、私は部活紹介で壇上に立つ人の隣、少し緊張した面持ちで部活のボールを持つその人から何となく目が離せなかった。なんて名前なんだろう、と思いながら様々な部活紹介が終わり、私は深くなにも考えないまま、その目が離せなかった人の所属する部活に入部届けを持っていっていた。そしてその人の名前を知り、ひとつ上の学年ということも知り、新入部員として私はそれからの日々を過ごすのだった。
春の新人戦、夏の大会、秋の大会、冬の合宿。三年生の先輩たちは先に学校から卒業していったが、ひとつうえの先輩は季節を二回ずつ過ごすことができた。
そして私は先輩が好きなのだと、一年がたってから気づいたのだ。先輩は人気者で、特別格好いいというわけでもなかったのだが、優しい口ぶりと時々おちゃらける態度でみんなから慕われていた。とにかく優しい人だった。後輩の悩みも親身に聞いてくれ、教師からも授業中は真面目な上に成績も悪くないらしく、いい評価をもらっているような人だった。
しかし、私が先輩に告白をすることはなかった。卒業式も、家に帰ってから、寂しくて少し泣いた。しかし生活圏は一緒のままで、高校の制服を着た先輩と何度か道ですれ違ったり、その時に少しだけしゃべったり、なんてことはあった。でも私が選んだ高校は家から遠く、朝も早ければ夜は遅い生活が始まったことによって、そんな嬉しい出会いも無くなった。
そして、今だ。なにも告げず、今思えば少し甘酸っぱい青春と呼べる日々が懐かしくて、少し胸が苦しい。今も尚好きなのか、と言われると答えは「いいえ」だ。今少し胸が苦しいのは昔を懐古しているからでしかない。それが分からないほど、もう子供ではないのだ。憧憬と古びて完結した恋心があるだけだ。
「おまえ、彼氏とかいんのか」
「え?」
「その、なんつーか、綺麗になったから」
照れ臭そうに笑うとき、片方の眉毛だけが下がる癖も変わってない。
「ありがとうございます。先輩こそ、男前、ですよ。ちなみに彼氏はいません」
「お、おう、ありがとな。てかいねえのかよ、勿体ねえ」
軽口が心地よい。複雑な感情が同居したまま、共に教会へと入る。受け付けで招待状を見せ、署名をして中に入ると、そこには昔馴染みの顔がいくつもあった。先輩と共に挨拶をしながら結婚式の始まりを待つ。
結婚式は華やかだった。友人である花嫁と、始めてみる彼女の花婿。みんなが笑顔で祝福する、一言にして言えば素晴らしい挙式であったと思う。私も笑顔で花びらを宙に振り撒いた。終始隣にいた先輩も眩しいぐらいの笑顔だった。
その後の披露宴会場へ向かう道中、当時の部活仲間で集まり、やはりちょっとした同窓会のようになっていた。久々の顔と話すくだらない話は楽しいものだ。
「あいつのお父さんのタキシード、かっこよかったよな」
誰かが言った。
「俺も思った。やっぱそこそこ上背があって体格がいいと映えるよな」
それには私も同意する。
「女はウェディングドレス憧れるだろうけど、俺ら男は燕尾服に憧れたりするよな」
「わかるわかる。身長ないとあれ着れねえもん」
「お父さんがタキシード着てる姿にもうるっとくるよね」
花嫁のお父さんは確か警察官だったと思う。細身ではない身体を包むシックな一張羅はとても素敵だった。静かに花婿を見つめる目が印象的だった。
その腕に手を乗せる花嫁の華奢な白い腕がまた対照的だった。逞しいその腕で大切な娘をこれまで守り抜いて、これからをその先にいる男に引き渡すのだ。父親の心情は女である私には計り知れないけれど。
披露宴会場でそれぞれ割り振られたテーブルについた。またしても先輩は同じテーブルだった。これは仕組まれているのだろうか。いや、偶然だろう。同じテーブルには懐かしい顔しかいないわけで、部活でくくられているんだろう。
披露宴が始まり、花嫁はカクテルドレスに身を包み、さらに華やかな装いになっていた。オレンジ色のドレスがよく似合う。彼女は部活のなかでも常に笑顔で、本当に例えるまでもなく太陽のような。いや、彼女の場合は向日葵だろうか。優しくも力強い、試合に負けそうな時、誰よりも声を出してメンバーを鼓舞していたのはその人だった。
「オレンジのドレスが似合うって、やっぱあいつだなって思う」
隣で先輩が言った。
「はい、私もそう思います」
「あいつの事好きだったやつ多いんだぜ」
知ってるとも。特別かわいいわけでも、綺麗なわけでもない彼女。ひたむきにトレーニングをこなし、仲間を励まし、誰よりも声を出して、練習が終わると愛嬌たっぷりの表情で先輩たちにも、同学年にも、後輩たちにすら可愛がられていた。そして、でも今はどうだろうか。誰が見ても素敵な女性がそこにいる。やはりオレンジのカクテルドレスがこんなにも似合う彼女だ。花婿も幸せそうな笑顔だ。
「女は顔だけじゃねえんだなって、あいつに出会って思ったよ」
「ふふ、そりゃあそうでしょう。女は愛嬌、ですから」
「そう言うお前は愛嬌なかったな」
「余計なお世話ですよ」
言いながら私も笑う。仕方がない、人に笑顔を振り撒くというのは苦手だった。でも楽しいとき、嬉しい時は当たり前だが笑う。
「ま、そんなお前がこんなに綺麗になってるとは思わなかった」
「それさっきも言ってましたけど、そんなに私変わりました?」
「変わったよ。あの頃から綺麗な部類だったけど、大人の女性になった」
「…一個しか変わらない先輩にそう言われるとなんか複雑ですね」
「そこはありがとうって受けとれよ。そういうとこ、変わってねーよな」
仕方なさそうに片眉下げて笑う先輩を見て、私も少し笑った。
「冗談ですよ、ありがとうございます」
花嫁と花婿がチェアに座り、順次料理が運ばれてくる。フレンチのコースのようだ。私は昔から食べることが好きで、今日も結婚式後の披露宴での料理がとても楽しみだったのだ。
「お前、食うことが好きなのは相変わらずなのな」
「そりゃあ、美味しいもの食べてる時って幸せじゃないですか」
少しそこに気づかれて口を尖らせた。
「んな顔すんなよ」
「食いしん坊は変わってませんよーだ」
そう言いながらカトラリーの一番外側からナイフとフォークを持つ。この程度のマナーならわかるし、食べることが好きで通っている私だ。ある程度の食事マナーな身に付けている。お料理は綺麗にいただいて美味しく食べてこそのもの。
「そう言えばさ」
披露宴で花嫁や花婿の職場の人たちの余興を楽しんでる最中、先輩が私に話しかけてきた。
「はい?」
「あの頃、」
先輩はそこまでいって言い淀んだ。
「なんですか」
「いや、やっぱいい、後で話すわ」
「なんなんですか。じゃあ後で聞きますね」
私は首を傾げてまた余興の方へ目を向けた。
披露宴も終わりに差し掛かり、花嫁から両親へ向けての手紙の頃合いになった。緩やかなオルゴールが鳴るなか、花嫁はやはり、あの向日葵のような笑顔で、少し涙を溢しながら読み上げていた。それに釣られて泣きそうになる私だったが、溢れるまでにはならなかった。花嫁の両親はぐずぐずと泣いていた。
花嫁を見守る花婿は、大層優しげな、慈しむような笑みだった。
私にも、いつかそのような人が現れるのだろうか、ふと思う。未だ出会ってないのかもしれないし、既に出会っているのかもしれないが、私自身がドレスを着てあの場に立つ未来は想像がつかない。どんな心であの場に立つのだろうか。幸福に満ち溢れているのか、生まれ育った家を出る寂しさもあるのだろうか、私にはまだわからない。
披露宴が終わり、時刻は17時を回っていた。夕暮れ時だ。場所を変えてまた飲んだりするのか、という話で部活仲間たちは盛り上がっている。私はどうしようかと悩んでいると、先輩が近寄ってきた。
「おまえ、どうすんの」
「どうしようか迷ってるところです。明日も仕事ですし」
「なるほどな。じゃあちょっと俺に付き合ってもらえねえかな」
「え?先輩に?」
「おう」
「いいですけど、先輩こそこのあと呼ばれるんじゃないですか?」
「うまくかわすさ」
先輩はそう言って仲間たちのもとへ戻って一言二言告げると戻ってきた。
「よし、じゃあ行くぞ」
さっさと歩き出すもんだから私も急ぎ足で追いかけた。
先輩は適当なバーに入るとテーブル席に座った。
「よくこんなお店知ってましたね」
「いや、知らん店だ。適当に入った」
「こういうバーって入るの緊張しないんですか」
「結局は酒を飲む場所だろ、気にしないな」
ざっくりとした説明に「はあ」と頷きながら、とりあえずジントニックを頼む。
「ジンはいかがしましょうか」
「何がありますか?」
「大抵のものはありますよ」
「じゃあヘンドリックスで」
「かしこまりました」
先輩はコロナビールを頼んだ。
「お前、飯だけじゃなくて酒も詳しいのか」
「詳しいってほどじゃないですよ。好きな銘柄をちょこちょこ知ってるだけです」
「俺ヘンドリックスなんて聞いたことなかった」
「美味しいですよ。ボンベイなんかもいいですけど」
「あー、あの青い瓶のやつな」
お酒の話をしていると注文したお酒がきた。
「トニックはフィーバーツリーです」
「あ、好きなやつ、ありがとうございます」
先輩のコロナにはライムが刺さっていた。
「…このライムってどうすりゃいいんだ」
「中に落とし込むのが一般的ですかね」
意気揚々とバーに入ったはいいが、あまりお酒には詳しくなさそうだ。
「じゃ、再会を祝して」
「そうですね、乾杯」
「乾杯」
私のロンググラスと先輩のビール瓶がかちんと音をたてて、私はそれを飲んだ。やはり美味しい。
「で、披露宴の途中何を言い淀んでたんです?」
単刀直入に申し上げてみた。先輩は少し噎せながら私を見た。
「おまえ、ほんとそういうとこ可愛くねえ」
文句を言われたが、知ったことではない。
「あー、お前さ、中学の頃、俺の事好きだっただろ」
バレていた。恥ずかしさはあるが、もう十年も前のことだ、こちらは言いよどまなくていい。
「はい、好きでしたよ」
先輩を見つめ返して言いきる。
「なんで告んなかったの」
「なんででしょうね。たぶん臆病だったからです」
あの頃の私は今ほど強くなくて、きっとフラれるのが怖くて言えなかった。
「俺も、さ。おまえの事、少なからず好きだったよ」
それは初耳だ。
「そうだったんですか?」
「そうだったよ。懐かしい」
そう言って先輩はビールを煽る。先輩の言葉に私は戸惑った。でも、全部「好きだった」と過去形なのだ。そう、私と同じ終わった話なのだ。
「あのとき、なんて言っても仕方ないですけど、告白してたらなにか変わってたかもしれないですね」
「ああ、俺もそう思いながら、今日の結婚式見てた」
先輩は目を細めて、なにかを思い返すような面持ちだ。
「先輩は、今彼女いるんですか」
「ああ、いるよ」
先輩は胸元からリングをトップにしたネックレスを引っ張り出した。
「幸せ、なんですね」
「ああ、幸せだよ」
「あの頃の私が、今報われました」
「ははっ、俺もだよ」
そうしてもう一度グラスと瓶をかちりと合わせた。
あの頃の私たちに乾杯、と。
「でも彼女がいるのに今私と飲んでて大丈夫なんですか?」
「疚しいことはなにもないからな。こういう事には理解ある彼女だから」
いい人と付き合ってるようだ。なぜか安心する。
「先輩が幸せでよかった」
「よく言うぜ。お前はどうなんだよ」
「私は、まあ見ての通り彼氏はいませんよ。でも仕事は楽しいですし、それなりに満ち足りた生活してます」
「そりゃ何より。いい人と出会えたらいいな」
「はい」
お互い小さく笑んだ。
バーもそこそこに帰ることにした。
「じゃあ、またな」
「はい。次は先輩の結婚式でお会いしましょう」
「なんだよそのプレッシャー」
「ふふ、楽しみにしてますね」
「ご期待に添えるように努力させていただきますよーっと」
先輩は昔みたいにそうおちゃらけて、手を振って去っていった。
私もバス停に向かって歩き出した。途中、コンビニに寄った。なんだか甘いものが食べたくて。
陳列棚を一通り見て、目に止まったのは昔ながらのチョコレート。板のやつ。
先輩、よくこれを部活帰りのコンビニで買ってた。みんなはサイダーやジュースを買うなか、一人いつも板チョコを手にしていた。甘党というのもそのとき知って、さりげなくバレンタインはその板チョコでトリュフを作ったのも懐かしい思い出だ。
その板チョコを一枚、ミルクティーを一つ手にとってレジで清算した。
レジ袋のなかで目立つ赤いパッケージが安っぽくて、それ以上にあの部活帰りみたいで、嬉しかった。
その二ヶ月後、先輩が亡くなったという知らせを聞いた。
交通事故だった。仕事帰り、飲酒運転をしていた車に轢かれたらしい。
「次は先輩の結婚式で」
その「次」はお葬式だった。彼女らしい綺麗な人が目を真っ赤に泣きはらして立っていた。あのとき花嫁だった友人は、あの日と対照的な真っ黒な喪服を着ていた。私の心はがらんどうで、涙も出なかった。
家に帰り、喪服を脱いだ。今だ信じられない気持ちが大きすぎて、なにも手がつかなかった。
会社には翌日休むと有給をとった。部屋には、あの日からちょこちょこ買った、赤いパッケージのチョコレートがあった。その包装を剥いで、パキリとかじる。その甘ったるいぐらいの甘さが胸に染みた。
翌日は休んだが、そこからまた通常の日々が再開された。そしてそれから更に三ヶ月後のある休みの日、何となく卒業アルバムを開いた。そこには笑顔の学生らしい面持ちの先輩と私がいて、はじめて、涙が出た。
「せん、ぱい…」
あの眩しい笑顔はもういない。憧れて、焦がれて、恋した先輩はもうどこにも、この世界にいない。悲しさが胸を満たした。悲しくて悲しくて悲しくて、寂しかった。
あの日、せめて、「次は先輩の結婚式で」なんて言わなければよかった。その「次」が真っ白で冷たい、息をしていないあなたに会うことになるなんて。
だから私はあの披露宴の帰り、バーに寄った帰りに戻りたい。
先輩に、「じゃあ、またいつか」と言えばよかった。中学時代に戻りたいだなんて言わない。あのとき、あの事故が起きるまで、先輩は幸せだったのだから。言い直したい。でも時間は巻き戻らない。私はその後悔しかない。
それでも無情に日々は過ぎていく。先輩が亡くなって四ヶ月。せめて、先輩が天国で笑顔でいてくれることを、勝手に願うだけだ。
赤いパッケージのチョコレートを、今日も私は買って帰る。
二度とない「次」 コマチ @machimachi
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