後編

 武田が山崎のことを探していたように山崎の方も武田を探していた。二人が顔を会わせたのは新潟県警の刑事部の領域のギリギリ手前のエレベーターホールである。互いに顔を輝かせ、話したいことを譲る形で逆に沈黙となってしまった。山崎が先にどうぞと促すように武田の言葉を引き出した。

「事件現場の雪を採取しましてその雪から青酸カリ及び酢酸、酢酸カリウムが検出されました。青酸化合物は酸と反応することによって毒性のガスが発生するので可能性として死に至る事もあるとは言えそうです。」

武田は科捜研で得た情報を横流しにはせず彼なりにまとめた上で山崎に伝えた。山崎はそれを聞くと頷いた上でその次のステップに向けた話をした。

「被害者の身元が判明して家も判明した。これから幾人かの捜査員を連れて彼女の部屋に行くんだ。お前もそこに付いてきて気になるところを洗いざらい調べてほしいんだ。事件現場を入念に調べていたし何かお前だからこそ見つけられるようなものがあると思うからな。」

武田はその山崎の意見に同意したようで山崎の指示の通り被害者である須藤の家に捜索をしに行くこととなった。

 武田は山崎を筆頭としたその他の捜査員と共に須藤の家へと向かった。須藤の家は古めのアパートで既にその建物自体が築四十年を迎え改築工事が春に控えているのである。須藤はそのアパートの一番手前、管理室や玄関に一番近い部屋を借りていた。

 管理人から鍵を借り、部屋に入ると若い女性にしては質素で地味な見た目だった。それほど仕事で忙しかったのかと武田は想像を働かせた。捜査員たちはそれぞれバラバラに別れて部屋の中を元のままに出来る限り残せるように慎重に捜索した。

 武田は寝室として使われている部屋の押入れを開けて中のものを調べようとした。すると中からは出頭してきた綿貫とその隣に並んだ女性の盗撮と思われる写真が幾枚も貼られていてその女性の顔には何度も針のようなもので刺した形跡が見られる。相当その女性の事を恨んでいたに違いない。押入れの奥の方に視線を移すとそこには写真と共に名前が記載されていて綿貫の隣の女性のところには“江藤真美”と書かれていた。

 武田は山崎を呼びこの事について話をした。写真の状態的に綿貫と江藤は恋愛の関係があると見られ、綿貫は須藤ではなく江藤の方に気があったと思われる。そのため須藤に強く関係解消を求めていたのだろう。山崎は武田の話を聞き、押入れの状況を見た上で本部にいる捜査員に電話を掛けて江藤について調査するように話をした。

 他の捜査員のうちの一人が鏡台の机から須藤の日記を発見した。読んでみるとその日記は日記というより計画書に近くて今後の綿貫との接し方やこういうことを言われたらどう返すべきかといったことが多く書かれていた。その日記を読んで須藤は綿貫にとって嫌な状況を作りたかったらしくどれだけ関係の解消を要求されても耐え江藤との関係を逆に悪化させようという目論見があったことが窺えた。

 また冷蔵庫から事件現場にあったものと同じ米酢が大量に見つかり、部屋内を調べた結果美容のために普段から色々な料理などに入れていたようで持ち歩いてすらいたようだ。つまり事件現場にあった米酢は被害者のものであった可能性が高いだろう。

 その他にも幾つかの事件との関係がありそうなものが見つかったがどれもこれも大きく影響しそうなものはなかった。

 武田と山崎は一度本部に戻って情報の整理を始めた。今浮上している容疑者が綿貫と江藤の二人しかいなく、情報整理によって容疑者が絞れて被疑者となりうる可能性があるからだ。

 二人は綿貫が事情聴取で話していた内容については一度置いて話を進めた。二人の間で一番疑問と思われた点は現場の米酢が被害者のものであったとしてどういった経緯でその米酢が雪に含まれる成分として検出されるに至ったのかという点だった。

 山崎の携帯に電話が掛かってきた。その相手は山崎が須藤の家で江藤について調べるように指示をした捜査員の一人だった。電話の内容は江藤について調べたところ彼女は冶金やきんを主に行う金属加工関連会社の事務員だった。

 冶金とは鉱石などの原料から有用な金属を採取、精製、加工して目的に応じた状態にすることで青金と呼ばれる金と銀の合金を作る際にシアン化カリウム溶液を用いる。

 その話を聞いたときに青酸カリの出所が分かったような気がした。まずはその会社に出向いてそういった窃盗が起こっていなかったかを調べることからだ。二人は江藤が働いている金属加工関連会社に向かった。

 その会社は工業団地にある工場のうちの一つだった。工場自体は周りのと比べて比較的新しい方なのだが、年季が入っている。会社としては相当長い間やっているようで本社は東京にあり、新潟にあるのは支店である。支店とは言うものの冶金 を行うのが目的で作られたものである。

 工場の入口を入ると目の前に見えるのはデスクワークをする数人である。武田がすみませんと声をかけるとそこを仕切っていると思われる一人の男性が二人の方へと近づいてきた。

「取り引きなら本社に連絡をしてくれ。そこで始めてここで売ることが出来るんだよ。」

少し顔をムッとさせたような表情を見せ、早く帰ってほしいというニュアンスを存分に言葉に入れて言った。二人は勘違いされているなと言葉の最初の方から分かってはいたが一度落ち着くまで様子を見て山崎が言葉を口から出した。

「我々は取り引きを求めてきたわけではなくて話を聞きに来たんです、それも商品のことではなくここのことで。」

「労働基準監督署の職員の方でしたか、あの時はご迷惑お掛けしました。」

「労基でもないんです、新潟県警の者なんです。」

山崎がそう言うとポケットから警察手帳を取り出し、小さく開けて見せた。それを見た男性は今までの会話がまるでなかったかのようにではこちらへどうぞと工場にしては珍しい来賓室に案内された。

 「では、御伺いしたいのですが冶金でシアン化合物を使うということを伺ったのですが最近盗まれたとかそういったことはありましたか?」

来賓室に着いて早々武田が本題の話を切り出して情報を掴もうとした。

「盗まれた…本当にごく少量ならばなかったとは言えないですね。」

本当ですかと武田が目を輝かせて言うよりも先に山崎が何故それを警察に届けなかったんですか、という説教ぎみた言葉を言った。その山崎の言うことはもっともでシアン化物は少量でも死に至るほど強い毒性を持っているので悪用されると殺しが起きかねない。それほど取り扱いが大変な物質なのである。武田は少し宥めるように言葉をかけたあとで次の質問を聞いた。

「それはいつ頃のことでしょうか。」

「大体今月の十三日のことです。防犯カメラは確認したのですが、盗んだ犯人と見られる人は見受けられませんでした。」

誰が盗んだかまでは分からなかったのだが今月の十三日は事件の前日に当たるのでそのシアン化カリウムが事件に使われた可能性が高い。それだけが掴めただけで既に十分である。

 本部に戻って早々武田は雪中で見つかった欠片について調べ終わったという連絡を科捜研から受け向かった。

 科捜研では雪の成分について説明してくれた男の人がいた。その人は雪の成分についてのときと同様に紙の資料とスイッチがついているモニターがあってモニターを使って説明をしてくれるということらしい。

「これは雪に含まれていた米酢が入っていた瓶の割れた破片たちですね。すべての欠片から雪に含まれていたものと同じ酢の材料が検出されたことからそれが分かります。また割れた原因については強い衝撃が加わったことによって割れたと思われます。」

今回の場合はあまり文同士に隙間を開けず、話を進めていった。それでも言いたい要点は拾えるような話し方で人前で話をすることに長けている人物であると思われた。

「それと興味深い指紋が発見されました。被害者のものの他に指紋の形に沿って青酸カリが付着した指紋が見つかりました。既に出頭してきた綿貫さんのものとは照合してみたのですが一致しませんでした。」

今回見つかったものはとても捜査をする側からすると物的証拠になりやすいもので容疑者が二人しかいない今、あの人しか犯人はいないのである。

 山崎と話をして科捜研の職員の一人を連れて家へと訪問しに行った。それは逮捕をするわけではなく、指紋を採取してそれを破片についていた指紋と照合するのである。それが一致することで初めて逮捕に踏み切れるのだ。

 チャイムを鳴らして本人がドアから出てくると部屋の中が少し見えたのだが散らかっていて須藤の家とは大違いである。山崎が話をして指紋を採取させてもらい、それを破片についていた指紋と照合した。すると一致したのである。

 それを目の前にいる本人に伝えどういうことなのかと話を聞こうとすると膝から崩れて

「私が須藤を殺しました。」

と江藤は自供した。

 江藤が逮捕されその後行われた取り調べで事件の全貌が明らかになった。

 江藤は須藤、綿貫と大学の同期で大学時代から綿貫に行為を寄せていた。しかし大学卒業後に須藤と綿貫が交際してしまい江藤はただ指を加えてみることしか出来なかった。それから数年して江藤は綿貫と再会し、須藤と一緒にいるのが辛くなってきたという愚痴を聞き交際をするということになった。しかしまだ綿貫と須藤の関係が終わっていたわけではなかった。綿貫は別れようと話をずっとしていたのだが須藤は綿貫と江藤の関係に気付いて逆に離れようとしなかった。江藤は須藤が承諾してくれないから綿貫と正式な関係になれないのだと思ってきていたのである。それは綿貫も同じで殺してしまえば良いのではないかと思っていた。また江藤は強引でも終わらせない綿貫にも嫌気が差してきており綿貫が殺そうとしていたのも知っていたのでそれを利用しようと考えた。

 殺人の計画は事件当日の一週間くらい前からされた。須藤が美容のために普段から食酢を持ち歩いているのは江藤も知っていてそれを利用して殺害できないかと考えたのである。自らが働いている会社でシアン化物という世間的にも有名な毒物があり酸と反応すると毒性のガスが発生するという彼女のなかでの好条件の殺し方と言えた。江藤が描いた須藤の死に方は何らかの形で持っている酢を青酸カリが混ざった雪に溢すことによって青酸ガスを発生させてそれを吸うことによって死ぬというものだった。ここで一番重要なのはどのように酢を雪に溢すのかということだと江藤は思った。ここで江藤は綿貫の存在に気付いたのである、本人が気付かないような協力をさせるのだ。今日こそはといつも以上に強く言って押し倒すようなことをすればバックにある酢のビンが割れることは確実である。

 下準備はそれほど難しくなかった。会社から青酸カリをくすね、それを須藤と綿貫が話をする辺りにバラバラと埋めて綿貫に今日こそは終わらせるんだと念を押してあとは流れに任せることのみだった。さすがにそのまま放置で見に行かないということはなく様子を陰から見て須藤が死んでいくのを見ていた。そして無事に死んだと分かり、綿貫が逃げるように去ったあとゆっくりと現場に近づいて証拠となりうる酢の瓶の欠片を離れた場所に埋め、酢が付いたバックは持ち帰る他なく瓶の欠片を埋めたときに遺体があった場所を除雪機が通ったのである。

 事件の数日後に綿貫が出頭すると話を持ちかけてきた。江藤はそれを止めることなく、綿貫の意思に任せる形としたが毒殺だったために犯人ではないということで釈放された。それから二日後の今日に江藤自身が逮捕されたのである。

 江藤の話の通り、江藤の家からは須藤のバックとその中身が発見された。

 武田は取調室のすりガラスから江藤の話しているのを聞いてこう思ったのである。雪の色である白を見て真実という白に殺人という名の黒のグラデーションに違和感を持たなかったのか、白は何色にでも塗れるが、黒は完璧に他の色に変えることは不可能であるから、と。

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見え方と真実 キザなRye @yosukew1616

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