エルナの不安

 それから、幾日が経った。

 タチアナも白晶城の務めに大分慣れてきた。一応住み込み扱いだが領内のモルファ村の出身なので週末は実家へ帰してもらえた。

 実家に帰ると父も母も急に優しくしてくれるようになった。

”誰もいじめたりしないのかい?”

”大丈夫”

 そう答えた。数ギニーのちからは大きいようだ。

 実家のベッドと食卓の椅子はすぐ下の弟のラッドが横取りしていたので

 

「どけ」


 と一応警告したあと直後に暴力を使って排除した。

 ラッドが大泣きしたので少しかわいそうに思い、城務めに出ている日だけは使ってよいことにしてやった。

  

 城では、こき使われている部類に入るだろうが、寝るところと食事と与えてもらって給金まででては、実家でこき使われていたときと大変な違いだ。

 白晶城では、女性給仕は四、五人でベッドこそ別だが、同部屋で暮らす。

 孕まされて辞めた前任者と違い、わりとしっかり働くと思われたのか料理長のエルナに


「あんたの部屋はこっちだよ」


 と同部屋にされてしまった。しかし、これもちょっとした災難だとすぐに分かった。

 エルナはひょっとしたらタチアナの母と同い年かもしれない。

 だが城務めが長いせいか、よくわからないが、暗がりが怖いらしい。二十四時間体制であかりが付き誰かがなにがしら起きてたりする城の生活にすっかり順応してしまったらしい。

 エルナとタチアナの部屋の大腹豚おおはらぶたの樹脂の蝋燭の火を消す前にエルナはベッドに入りぴっちり毛布を被っていないといけないらしく。


「消しとくれ」


 というエルナの指示を毎日待たないといけない。

 タチアナを蝋燭の火消し係にするために同部屋にしたのかもしれない。

 これも、まだよいほうだった。それにどうってことはない。仕事が多いのはタチアナのほうで待っているのはエルナのほうが多かった。

 本当の災難は別にあった。

 エルナが夜中に起きたときである。

 エルナはものすごい大音量のいびきをかいて眠っているのだが、途中で小用トイレやなにかで眠れないと暗闇の中極度の恐怖に襲われるらしい。

 眠っているタチアナを露骨に起こして 


「ちょっとタチアナ、そこまで見てきておくれ」


 とエルナ自身がトイレに行く前に先遣隊と護衛として廊下で待機を促される。


 が、とある晩。

 

「タチアナ、タチアナ、、、、」

 

 誰かがタチアナに呼びかけ、肩をゆする。寝起きでぼやーっとしたなか起きると不思議ともう蝋燭がついている。

 エルナのかぼちゃに似た大きな顔がドアップだ。


「うわっ」


 こっちがびっくりだ。


「なんですか、親方マスター

「タチアナ、タチアナ、聞こえるんだよ、、、、、、」

「何がですか?」

「わかんないけど、すすり泣くような、笛のような、かすかな音がずーっと」

「わかりました。そこまで見てきます」


 タチアナとしては早く済ませた方が長い間眠れる。さっさと起きて済ませようとすると。


「あんた、馬鹿言うんじゃないよ」


 引き止められた。


「なんでしょう?」

「この城は出るんだよ、、。色々と良くない噂がいっぱいあるんだよ」

「どうすれば良いんでしょう?」

「わからないから、あんたを起こしたんだよ」

 

 と大きな顔と大きな胴体のままいい歳して怯えるエルナ。

 このまま朝日が登るまで一緒に起きてておくれ、といわれるのだけは勘弁してほしい。

 

「見てきます」


 タチアナが断固として言うと、エルナは太い腕でタチアナを引き留めようとしたが豚も絞め殺せると言われている総料理長のエルナにしては力が入っていない。

 エルナは日頃みたことのない速度で自身のベッドに飛び込むと毛布を被った。

そしてくぐもった声で言った。


「蝋燭の火はそのままにしておいておくれ」

「はい、親方マスター


 そうタチアナは返事すると、毛布を肩に掛け女給部屋をずんずん出て廊下に出た。

 廊下には不審番の蝋燭の小さなあかりがついている。

 タチアナは一発大きなあくびをした。

 廊下で数分すごせば、エルナは寝てしまうだろう。

 そうすれば、ベッドに戻れば良い。

 こういうのは、小さな妹や弟の面倒を見てきたタチアナにとっても経験済みだ。

 ダナも、アインもよ妖精フェアリーを見たとか、子鬼インプを見たとか言ってタチアナを煩わせたものだ。


『寒っ』


 まだ刈り取り前の秋とはいえ、城内の廊下の夜は冬だ。

 しばしばした眼で廊下を左右首を振り見る。考えれば騎士やら兵士やら雑仕スチュワードまで沢山の人間がこの白晶城はくしょうじょうにはいるのだ、敵さえつくらなければ逆にこんな安全な場所はないだろう。だからハスラム公一家も安心して暮らしているのだ。

 

『寒っ』

  

 タチアナは腰をかがめ肩に掛けた毛布を更にしっかり前で重ね合わせる。


『もう幾分経ったかな?』


 もう親方マスタ-への徒弟としての義理は果たしたであろう。  

 タチアナが部屋の戻ろうとしたその時だった。


 ひゅぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううううううう。


 なにか聞こえた。

 本当に聞こえた。

 タチアナの全身の毛が逆立った。

 耳鳴りにしてはきっちり方向までわかっている。

 おかしい。

 が、今は聞こえない。


 ひゅぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううううううう。


 耳鳴りではない。本当に聞こえている。

 女性の高い鳴き声?。悲鳴?。かすれ声?。いや小さな笛の音か?、、。犬の遠吠え?。

 方角は白晶城の尖塔の方向だ。

 音の感じからして、この東館レフトウィングではない。

 部屋に戻りベッドに戻るのが一番賢明だろう。

 しかし、それでは、何かを聞いたと自分に訴えた親方マスターに嘘をついたことにはならないか?変な良心と罪悪感の戦いが生まれてきた。

 

『ちょっとだけ見てこよう』


 そう親方マスターにも言ったではないか。

 ほんとうにちょっとだけ。

 好奇心も少しあった。

 タチアナは毛布を肩にかけ直すと廊下の小さな蝋燭の小皿の明かりを手に取り進みだした。

 目指すは音の発生元だが、ちょこっと見るだけでいい。ほんのちょこっと。あとは兵士か騎士の仕事だ。

 女給部屋は料理室と同じ階にある。このまま白晶城の尖塔を目指すと城内の園庭に出ることになる。

 それはまずい。園庭には衛兵がいる可能性があった。いつも夜は疲れ切って眠っているので確かめたことはないが日中は必ず園庭に衛兵は居る。

 タチアナは二階に上がることにした。

 この階は下男、男性給仕の部屋が多い。いびきがすごい。それと中年男性の体臭が。

 二階には尖塔への渡り廊下があった。

 音はまだ聞こえる。しかし、いびきのせいか、二階に上がると小さくなった気がする。

 音は尖塔の一階からするのか?、、。

 タチアナは渡り廊下を目指す。廊下のあかりが消えている場所も多い。男性は女性に比べ面倒くさがりなものだ。

 渡り廊下の近くは青い光で明るかった。

 月光だ。月のあかりだ。タチアナは暦のことはよく知らないが今は秋で満月なのだ。

 これは助かる。

 ばーっと早足で渡り廊下まで駆ける。

 視界が開け少し丸みを帯びて作られた尖塔への渡り廊下が見える。

 そこに細い樺の木が一本たっている。

 おかしい。領内一の大工が作った太鼓橋の渡り廊下の筈だ。木が立っているはずがない。

 思わずタチアナは声を上げそうになった。 

 渡り廊下に生えている細い樺の木は、よく見ると細い人影だった。

 自分の手で口を抑え悲鳴を殺す。

 月光の影で黒く細い人影はゆっくり振り向いた。


『リリック・ザ・バスタードだぁ』


 リリックはタチアナと違い寝間着にガウンと毛布姿ではなく、きっちり襟を立てたダブレットを着ている。

 タチアナはもう一度悲鳴を上げそうになった。

 リリックの足元にもう一人、跪きフードを被った黒い影が居た。


「それでは、殿下これにて」


 その黒い影はそう言うと、立ち上がることなくしゃがんだままで渡り廊下から飛び降り城壁の弱い月光の影の消え去った。不思議なことに音が全然しなかった。


「大変なものを見てしまったねぇ、タチアナだったっけ」


 リリックがゆっくりタチアナに向かって歩いてきた。冷たい夜風のせいでも純潔を守るためでもなくタチアナはガウンの前を更に大きく引き締め重ねた。

 立っているリリックは給仕をしたときと違い、<爪楊枝公>とは名ばかりに背が高かった。

 ただただ怖かった。

 

「晩餐の借りとここまで知ってしまった借り二つでちょっと付き合ってもらおうかな?」


 リリックはタチアナと一定の距離を取ったままそういった。

 タチアナは悲鳴を上げるという方法も思いついたが、リリックがゴルドベルク製の小刀を鞘ごとベルトに挟んでいるのことに、もう気付いていた。

 ましてや、この二階に通じる渡り廊下からタチアナを突き飛ばせば済むことだろう。

 夜中に慣れぬ城の中、迷子になり寝ぼけて渡り廊下から落ちる下女はそう少なくないだろう。


「ついてきたまえ、タチアナ。いやレディ・ファーストが良いかな?」


 リリックはそういうや、さっと踵を返しさっさと尖塔のほうに歩ゆみだした。

 リリックはタチアナに危害を加えるつもりはないらしい。


「私は平民の出です。レディではありません」

「僕もバスタード、父の落とし子だ。下っ端したっぱ同士仲良くしよう」


 半分冗談で言ったらしく、性的な意味は全然感じられなかった。タチアナは自分が村でもそんなに器量が良い方でないことは知っている。

 二人は尖塔の中に入った。

 タチアナは政務や軍務、男性の仕事が主に行われる尖塔の中はほとんど入ったことがなかった。ただリリックについていくしかない。

 タチアナが働き、ハスラム一家が普段暮らすレフト・ウィングと違い、尖塔はすべて領内の北部でしか取れない正確に切り出した硬い峻豪岩しゅんごうがんを組み合わせて出来ている。木の梁とモルタルで出来ているレフトウィングと違い入っただけで寒いし中は暗い。

 リリックは慣れているらしく、さっさと歩く。

 階段を上がり下がりして進んでいくがなんとなく尖塔の中心部に向かっていることはタチアナにもわかる。

 時折、衛兵が立っているのかと思いびくっとすると、組んで立たせてあるだけの板金鎧だったりする。

 突然、大広間に出た。


「ここが領主の謁見の間」


 リリックが説明する。尖塔は最重要軍事用砦なので窓が小さい。


「あそこの椅子が領主の椅子。豪華だろう、親父が領主になって欧国都の最高級椅子職人が創った豪奢ごうしゃな椅子に買い替えたんだ」


 と言われても、数段あがった段の上に椅子らしきものがぼんやり暗がりの中見えるだけだ。タチアナが数歩その領主の椅子に数歩近づくとリリックに戒められた。


「悪いがこっちだ」


 なにが悪いのかもわからない。別に椅子になんぞ興味はない。

 謁見の間の隅にリリックが向かっていく。これまた暗くてよくわからないが



 


  

  

 

 


 





 

 

 

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女給仕・タチアナ・モルファ 美作為朝 @qww

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