夜明けの恋心

賢者テラ

夜明けの恋心

 びっくりした。

 十分寝ていない体に、その音は心臓に悪かった。

 大あわてで目覚まし時計を止める。時刻は朝の5時ジャスト。まだ冬から春になりかけの時期だから、当然外は真っ暗だ。



 ……家族は、大丈夫かな?



 しばらく息を潜めたが、「こんな朝早くに、何事だ?」などと起き出してくる気配もない。とりあえず安堵のため息をつき胸をなで下ろしながら、僕は部屋の明かりをつけずに、何とか服を着替えた。

 両親も兄ちゃんもまだスーピーと熟睡しているのを確認してから、そっとマンションの家のドアを開けて、外へ出た。



 え、そんな早朝にお前一体何やってるの、って?

 うーん、説明が難しいなぁ。みんなはさ、小さい頃に夜遅くまで起きれなかったこと、悔しかったりしなかった? 例えば、まだサンタを信じていた頃。

 えっ、最初から信じてなかった、って? 何それ、夢がないなぁ。

直人なおとが寝ている間にね、サンタさんが枕元にプレゼントを置いといてくれるのよ。きっと起きてられなくて寝ちゃうから、見れるのは明日の朝ね」

 母は、そう言った。だから僕は絶対にサンタの姿を見てやろうと決意して、頑張って目を開けていたんだけど気がついたらもうすでに朝になっていて、頭の上には見事にプレゼントがデン、と置かれていたよ。見事にしてやられたわけだ。

 めっちゃ、悔しかったね。

 来年こそは……なんて頑張っては失敗しているうちにサンタは親、という現実を知ってしまい、そんなことどうでもよくなったけど。



 今、僕は小学校5年生。ちょっとは、体に無理がきくようになってきた。

 ある日のこと、岸田というクラスでもお調子者の男子がこう言いだした。

「なぁ、集まれるやつだけでさ、まだ暗いうちに集まって夜明けを見て遊ばない?」

 いつも起きたらすでに朝明るいから、夜明けなんてまず見ない。確かに、夜更かししたりそういう時刻に起きていたりすると、何だか大人、って感じもするし。僕は、いいねぇって言って参加することにした。

 一応、男子は4名・女子は3名が集まることになった。



 僕はエレベーターでマンションの一階へ降り、街へ続く路地へ出た。

 真っ暗な上に、人っ子一人歩いていない。辺りはシーン……と静まり返っている。

 ちょっと、気味が悪かった。

 世界がまだ眠っている。僕の少ない語彙で言うと、そんな感じだ。

 でも、一方で説明しにくいワクワク感はあったよ。何だか、ヒミツのことしてるっていう高揚感。確かにちょっと眠たかったけど、冒険してるみたいでウレシイ。



 集合場所は、近所の大型スーパーの横にある自動販売機コーナー。

 くの字型にジュースやら食べ物やらの販売機が立ち並んでいて、ご丁寧に屋根付き。そしてくの字に囲まれた四角のスペースの中央には、道路に向かってベンチがひとつ、置かれている。

 腕時計を見ると、約束の5時10分まであと五分——



 ……もう誰かいるかな?



 スーパーの前まで来た。

 シャッターが下りていて、真っ暗だ。左の角まで行けば、自動販売機コーナーが見えてくる。

 そこだけが、今の時間周囲で唯一明るい空間だった。コーナーの屋根には蛍光灯が取り付けられているし、販売機から漏れる明かりも結構まばゆかったからね。

 ベンチに誰か一人、不安そうに座っていた。

 見ると、クラスの女子の篠原亜紀だ。

「武田くん?」

 僕に気付くと、それまで不安気に曇っていた彼女の顔が、パッと明るくなった。

 そりゃそうだろう。最近では怖い事件も多いから、親には内緒の今度の計画もやめようか、って言ってたくらいだ。それでも好奇心には勝てず実行となったけど、特に女子とかには、ずっと一人では恐怖だろう。

「おはよう。何だ、言いだしっぺの岸田とかまだ来てないのかよ?」



 ……ヘンだな。あいつ、結構時間にはきっちりしてるやつなんだけどな。



「とりあえず、座ったら?」

 篠原にそう言われて、僕はちょっと迷った。

 この年頃の男女って、ビミョーなんだよな。そこは、察してくれ。

 もし僕らが二人、並んで座っているところを見られでもしたら——

  


「す・わ・れ」

 有無を言わさず、篠原は僕の腕をグイと引いてきた。

「うわっ」

 予想しない攻撃に、僕はよろけた。ドシン、と彼女の横のスペースにお尻を着地させることになった。

 ベンチの端と端に座れば、体二つ分くらいは離れられるというのに! これじゃあ、お互いの肘がくっつくくらい近いじゃないか!

「誰も来ないし、寒いし……」

 暦は春とはいえ、さすがに夜から早朝にかけては肌寒い。篠原が、肩をこちらにピッタリくっつけてきた。服の生地ごしとはいえ、ドギマギする。

 彼女は髪の長い、ほっそりとした子だった。

 グリーンのチェックのスカートに白のセーター。その上に黒のハーフコート。

 いつもは悪口を言い合い対立する仲なのだが、この時は何だか別人に見えた。

 寒さと不安で震える彼女が、守ってあげないといけない『姫』のように思えた。



 もう5時半になったが、誰も来ない。

 僕らは温まるために、持って来た小銭でカップ麺を買った。自販機にお湯を入れられる機能があるから、その場で食べられるのだ。

 ラーメンもいいが、僕の一押しは「赤いきつね」だ。美味しいおつゆをたっぷり吸ったお揚げさんをガブッと噛む瞬間がたまらない。

「武田君はそっち派なんだ。じゃあ私は——」

 そう言って篠原が選んだのは「緑のたぬき」。ふたり並んで赤いきつねと緑のたぬきを食べている光景って、ちょっと面白いかも。

 温かい缶コーヒーも欲しくなったが、二人合わせてもそんなに持ち合わせがなかったから、それぞれにカップ麺を買ってしまうと一本しか買うお金がない。そこでどうしたかというと——

 これは、絶対他のヤツらに見せられない。

 缶コーヒーは、一本を回し飲み。いわゆる『間接キス』というやつに当たるのだが、それは、まだ序の口。

 何の運命のいたずらか、備え付けの箸がひとつだけしかなかった。箸置きにはフタがあり、前もって開けて確認しておかなかったのは失敗だった。結局、数口ごとに箸を貸し合うしかなかった。



 ……ちゃんっと補充しとけ、っつーの。



 極めつけは、コレだ。面白半分に篠原のヤツが、「ほら、口を開けなさいっ。ア~ン」なんて言いやがる。



 ……ウソだろ!?



 拒否しようとしたが、篠原の目を見て断る気が萎えた。

 目を、異様にウルウルさせてこちらを見つめているんだよ。

 結局僕は、ままごとの人形みたいに何口も麺を口に運ばれているうちに、とうとう夜明けを迎えた。



「……キレイ」

 篠原のヤツ、絶対におかしい。

 夜明けの美しさに感動するのはいい。でも何で……僕と腕を組むのさ?

 説明してくれ! いや、やっぱりいい。

 聞いたらこっちが爆発するような言葉を耳にすることになったら、僕はどう反応したらいいか分からなくなるから。

 


 街が、動き出す。

 藍色の空を、ゆっくりと突き刺すオレンジの光線。

 上の茜の世界と、下の黒の世界に世界が二分されている。

 新聞配達のバイクが、走り去っていく。

 少しずつ、少しずつ街に命の息吹が吹き込まれていく。



 僕たちは、そんな夜明けのドラマに目を奪われながら——

 寄り添って、長いこと街が眠りから覚めるまでを見届けた。

 やがて、出勤する大人がちらほら現れる6時過ぎになって、我に返った僕たち二人は赤くなって体を離した。

「君たち、朝早いんだねぇ」

 帰りがけに出会ったヤクルトのおばちゃんが、ヤクルトをプレゼントしてくれて、その場で飲んだ。

 結局、他のヤツは来なかったけど、楽しい時間だった。

 ん、ドギマギした時間の間違いか?



「……お前ら、人の話ゼンゼンッ聞いてねぇな。『明日』なんて言ってないぞ。あさって、って言ったじゃん! まさかお前ら二人、今朝集まったのか?」

 どうやら、僕と篠原の二人だけの勘違いだったらしい。

 クラスメイトから、散々冷やかされるハメになった。

 篠原のヤツはケロッとしていて、冷やかしもどこ吹く風だった。

「そそっかしい者同士、これからも仲良くしようねっ」



 ……おいおい、仲良くするって一体何をどうやるんだよ?




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 


「どうだ、うまく書けてるだろ?」

 妻は、PCのモニター上に打ち出された僕の書いた文章を見て、うなった。

「う~ん、悪くはないけど、盛り上がりに欠けるなぁ」

 何だか、不服そうだ。

「だってお前、ウソ書くわけにはいかんだろ。それとも何か、犯罪者とか怪獣とか登場させろ、ってか?」

 妻の亜紀はため息をついたが、目は懐かしそうに笑っていた。

「ま、別にプロになろうってわけじゃなさそうだし。ブログで体験を小説に書くくらいなら、それでいいでしょ——」

 僕も、思い出しながら懐かしかったよ。

 まさか、あの時の出会いがすべての始まりになるなんてね。

 一緒に夜明けを見た篠原が、僕の奥さんになるなんてね——。 



 小学3年生になる僕の娘は、マセたことに初めっからサンタを信じていない。

 僕はそういう風に育ててないのだが、さすがは情報化社会。どっかから吹き込まれてきたらしい。

「真っ暗なうちに起きて、友達と夜明けを見るのも楽しいよ~?」

 などと僕が言っても——

「ヤダ。何で眠いのにそんなことしないといけないわけ? 昨日も、小学生が誘拐されて殺人、なんてニュースあったでしょ? 娘にそんなこと勧めるなんて、父さんばっかじゃないの?」

 う~ん。そう言われると弱い。



 寂しいなぁ。

 あんな冒険のドキドキは、今の時代じゃもう味わえないのかなぁ。

 夜明けを見ながら赤いきつね食べるのって、うまいのに。(妻は緑のたぬき派だけど!)まぁ後にも先にも、そんなことをしたのはあの時だけだけど。

 僕は、思わず妻に言った。

「今度夜明け前に起きて、久しぶりに食べてみよっか?」

 フン、と鼻で笑った妻は僕にこう一言。



「……ヤダ」

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