最終話 ラストナンバーを君に


 気が付くと俺は最上階の床に横たわっていた。


 身体の周囲には俺を包んでいた液体が大きな水溜まりを作っており、少し離れた床の上に円筒形の容器が転がっていた。


 顔を上げると視線の先に、あらゆるものから切り離された『ノーバディ』の骸があった。


「終わったのか……?」


 俺が呟くと、来た時と同様に輝く球体が周囲に現れた。球体は俺ごとゆっくり床に沈むと、音もなく降下を始めた。球体が動きを止めたのは、俺たちの『家』がある一階のフロアだった。


 周囲から光が消えると、俺は壁際に停まっているトレーラーハウスに向かった。入り口のドアを開け、中に足を踏み入れるとソファに座っていた人影が立ってこちらを見た。


「お帰りなさい……終わったのね」


 俺たちを出迎えたのは『夜叉』と『阿修羅』だった。


「ああ、全部終わったよ。『ノーバディ』もいなくなった」


 俺は王の『本体』をトレーラーハウスのコンソールにセットすると、リビングに戻って『夜叉』たちに「『サンクチュアリ』を出るまでここでゆっくりしててくれ」と言った。


「もうここで知りたいことはないのね」


 『夜叉』はそう言うと、やっと肩の荷が降りたとでもいうように笑みを浮かべた。


 俺はトレーラーハウスから黄色い車の方へ移動すると、キャサリンとレディオマンの『本体』を車にセットした。


「終わったぜ、キャサリン。早く俺たちの街に戻ろう」


「こうして帰ってこれたのもあなたのお蔭よ、ピート」


 『自宅』に戻ったキャサリンの声には、心なしか落ちつきを得た柔らかな響きがあった。


「いいねえ、ひと仕事終えた後のこの解放感。どうだい、身も心もまるで羽が生えたかのように軽やかじゃないか。それじゃあここで曲のギフトと行こうか。ルイ・アームストロングで『この素晴らしき世界』だ」


 包みこむように歌声が流れる中、俺は「さあ帰るぞ、俺たちの家へ。……王、『夜叉』と『阿修羅』をよろしく頼む」と任務の完了を告げた。


「これでまたおいしい料理をたくさん作れるね、旦那。お二人のことは任せていいよ」


「よし、出発だ」


 膝の上で黒猫が「にゃっ」と鳴き、俺は車のエンジンを回した。ハンドルを握り、アクセルを踏みこもうとした瞬間、ふいにキャサリンが言葉を発した。


「ピート、仕事で疲れてるでしょ。帰りは私が運転していくわ」


「……そうかい、じゃあ久しぶりに君に全部、任せてみようか」


 ビルのシャッターが開き、外の陽が射しこむと車はゆっくりと動き始めた。俺たちの車両はそのままメインストリートを走り抜け、やがて運河に渡された橋の上に出た。


「……そうだレディオマン、今回の騒動じゃキャサリンが一番、大変な思いをしたから彼女に一曲、何か素敵なプレゼントを頼むよ」


 俺がリクエストをねだると、レディオマンの「オーケー、お安い御用だ」という軽快な返事が聞こえた。しばらくすると落ちついた男性歌手の歌声がスピーカーから流れ始めた。


「これは何て曲だい、レディオマン」


「おっと、紹介を忘れてた。曲はナットキング・コールで『アンフォゲッタブル』だ」


 俺は運河に振り注ぐ陽射しを見つめながら、シートに身体を預けた。


「どうだいキャサリン、こんなドライブは」


「素敵ね。いつもこんな風だと……あっ、ピート、ゲートの向こうを見て」


 ふいにキャサリンが何かを告げ、橋の終点に目を遣るとゲートの脇に車両と人影が小さく見えた。


「あれは……」


 よく目を凝らすと車両は二台あり、一台の傍にはルシファーが、もう一台の傍らにはジーナが立っていた。


「ルシファー……ジーナ、無事だったのか。……よかった」


 俺がゲート越しに見える懐かしい街に思わず涙ぐみそうになった、その時だった。ふいに体が浮きあがるような感覚を覚えたかと思うと、目の前の風景が白くかすみ始めた。


「これは……なんだ?」


「どうしたの、ピート」


 キャサリンが俺を気づかうように尋ね、隣のシートで仔猫が「にゃっ?」と訝しんだ。


「わからない、何かが俺に……」


 そう言いかけた瞬間、視界全体が急激に薄れてゆき、やがて何もかもが真っ白になった。


「キャサリン……」


                  ※


 気が付くと、俺は砂浜に立っていた。


 すぐ近くにはキャサリンと思しき女性が寝そべっており、車もトレーラーも見当たらなかった。


 キャサリン、と声をかけようとした瞬間、背後から「ボス、ここにいたの」という声が俺を呼んだ。振り返ると、猫のような目をした癖っ毛の少女が駆けてくるところだった。


「あっちでパパがバーべキューの準備をしてるよ。行こう」


 そう言って俺の手を取った少女に俺は思わず「姑娘?」と問いかけていた。


「うん、そうだよ。……そっか、この姿を見るのは初めてだね。……どこかおかしい?」


 俺はいや、と頭を振った。たしかに『姑娘』が人間の姿をしているのを見るのは初めてだった。でも……なぜ?


「ボス、やっと機械になったんだね。これでみんなと、ずっと同じ姿のまま一緒にいられるね」


 『姑娘』の言葉に俺は素直に「ああそうか」と思った。俺はついに機械になったのか。だから『姑娘』も『キャサリン』も人間の姿をしているのだ。


 俺が『姑娘』に手を引かれて砂の上を歩いてゆくと、やがてバーべキュー台を囲んでいる二つの人影が見えた。一人は太った中年男性で、もう一人はクラシックなラジオを手にした長身の男性だった。


 俺はこちらを見て笑いかけた二人に向かって、手を上げた。尋ねなくても俺には二人が『王』と『レディオマン』であることがすぐにわかった。


「こんな風に君たちと触れ合える日が来るとは、思ってもいなかった」


 俺は二人の前に立つと、しみじみと言葉を漏らした。


「さあ、エネルギーミートがほどよく焼けてるよ。ボスから味見してみるといいね」


 王に薦められ、肉の刺さった串に俺が手を伸ばしかけた、その時だった。


「ピート」


 ふいに背後から名を呼ばれ、振り返るとなぜか険しい表情をしたキャサリンが立っていた。


「どうしたんだ、キャサリン」


「ピート、やっぱりあなたはここにいてはいけないわ」


「どういうことだい?」


「あなたにはあなたのいるべき場所がある。……寂しいけどそれが一番、自然な事よ」


 キャサリンの瞳に何とも言えない哀しみの色が過ぎり、俺は柄にもなく狼狽えた。


「いやだ、キャサリン。なぜここにいさせてくれない?せっかくみんなと同じ機械になれたってのに」


 俺がそう問いを放った瞬間、急にキャサリンの姿が俺から遠ざかり始めた。


「――キャサリン!」


 俺が駆け出すと、まるでそれに合わせるかのようにキャサリンの姿もまた、どんどん遠ざかっていった。


 ――待ってくれキャサリン、君がいなければ俺は、俺は……


 一瞬、強い光が目の前を白く染めたかと思うと、次の瞬間、俺の意識は音も光もない闇の中へと吸い込まれていった。


                 終章


 どこかで軽快なジャズナンバーが奏でられているのが、小さく聞こえてきた。


 ふと気が付くと、俺は車のハンドルに凭れるような格好で運転席に座っていた。


 身体を起こしてフロントガラス越しの景色を見ると、大きく右にカーブを描いている道路と水平線が見えた。


 変だな、と俺は思った。たしかゼロボーン・シティには海はないはずだが。


 何とも言えない違和感に不安を掻き立てられた俺は、思わずキャサリンの名を呼んだ。


「キャサリン!……キャサリン?」


 だが何度呼びかけても、キャサリンからの返答はなかった。おかしい、と俺は思った。


 見たところ車は見慣れたいつもの愛車だ。俺は試しにレディオマンの名も呼んでみた。


「レディオマン!……聞こえたら返事をしてくれ、レディオマン」


 俺は二人の名を何度となく呼んだ。……が、結果は同じだった。俺は見覚えのない、それでいてどこか懐かしさも感じる風景を見ながらエンジンを回した。


 カーラジオから聞こえてくる男性パーソナリティの声は、俺には全く耳なじみのない物だった。車を走らせながらふと、隣のシートを見ると黒猫のぬいぐるみが無造作に置かれているのが見えた。


 俺は言いようのない寂しさを覚えるとともに、ある残酷な可能性に思い当たった。


 ――まさか、ここは……俺が『もといた世界』なのか。


「レディオマン、王、姑娘!……キャサリン!」


 俺はなりふり構わず、狂ったように『ファイブ・ギア』の仲間たちを呼んだ。しかしいくら名前を呼んでも返事が返ってくることはなかった。


 なんてこった、……おそらく俺が『向こうの世界』での役目を終えたと判断した未知の力が、再び俺を同じ質量の生き物と『交換』し、元のあるべき状態に戻しちまったのに違いない。


 俺は水平線に向けてありったけの恨みごとをぶつけた。畜生、こんな残酷な仕打ちがあっていいのか。もう二度と『家族』に会えないなんて……


 俺は懐かしい『故郷』に戻ってきたにもかかわらず、ハンドルを握ったまま号泣していた。


 自分でもどうしようもない悲しみが途切れることなくこみ上げ、嗚咽が止まらなかった。


 ――でも。


 俺はふと、胸のうちに灯ったある考えに、希望に似た物を覚えた。


 もしかするといつの日か、それもさほど遠くない未来にまた『向こうの街』で俺の力が必要となる事件が起きるかもしれない。


 その時はすべてを放り出してでも駆けつけよう、と俺は思った。誰よりも早く、どんなに悪い条件の仕事だとしても――そう、俺は『運び屋ピート』なのだから。


 ――王。姑娘、レディオマン。そして……キャサリン。


 すまないが『ファイブ・ギア』のみんな、それまで『ゼロボーン・シティ』をよろしく頼む。俺はどこにいても、君たちと一緒だ。


 水平線の向こうに一瞬『サンクチュアリ』の幻を見たように思いながら、俺は「いつかあそこに戻ってみせる」と呟いた。


 その時まで――そうレディオマン、みんなが寂しくならないよう、何か素敵な曲でも流しながら待っていてくれないか。


 彼女に――俺の素敵な秘書によく似合う、とびっきりの曲を。


              〈FIN〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幻界急走トランスギア 五速 梁 @run_doc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ