番外編 ゆだる。



 人は余暇で温泉地に泊まるらしい。


「当たりました!温泉旅行のペアチケット!行きましょう静真さん!」


 商店街の抽選会とやらで当選したというそれを陽毬が嬉しげに持ってきたために、静真は山間にある旅館の一つに泊まりに来る事になった。

 風呂に入ってると温まるのが娯楽、と言われても正直良くわからなった。

 だが陽毬は準備の段階から上機嫌だったため、まあいいか、と静真はつれられるまま山間にあるそこへやってきのだ。


「わああ……雰囲気のあるいいお部屋ですね」


 静真にとっては見慣れた和室だったが、陽毬いわく「かなり良い部屋」らしい。

 陽毬は歓声を上げながら部屋を確認すると、うきうきと荷解きをして洗面用具をかかえる。


「私は今から大浴場行ってきますけど、静真さんはどうします?」

「……不特定多数がいる場だろう、危険ではないか」


 静真がぐっと眉を寄せて言ったが、陽毬は朗らかに笑った。


「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。……と言っても静真さんは気になるでしょうから、じゃん!」


 言うなり彼女は、室内にある扉の一つを開けた。


「個人露天風呂がある部屋なんです! 静真さんはこっちで羽根を伸ばしてくださいね!」


 にこにこ笑う陽毬は、では! と着替え一式を持つと、意気揚々と大浴場とやらに出かけていった。


「……」


 危険ではないかというのは陽毬自身のことも含めてだったのだが、言いそびれた。

 それに頭ではわかっている。人界はあそことは違い驚くほど平和で、危険などないことくらい。

 ただ、陽毬がいなくなったことでほんのりと寒々しさを覚えたくらいで。


 ひとまず、最低限の安全確認だけ終えた静真は、しばらく部屋に座して待っていたが、ふと、このまま入らずにいるのもどうなのでは? と考え始めた。


 彼女はきっと静真に風呂の感想を求めるだろう。

 好きなのか嫌いなのか、静真が感じたことを聞きたがるから。


 もし入らなかったときでも、そうでしたかとあっさり言うだろうが、静真を付き合わせてしまったとしょんぼりするのではないだろうか。

 陽毬の一連の反応が見事に想像できてしまった静真は、ぎゅっと眉を寄せた。

 湯に入ることに、特に興味はない。

 とはいえ、このままでは手持ち無沙汰打でもある。

 静真は陽毬に示された露天風呂に向き直った。



 はっと静真が我に返った時には、随分と時間が経っていた。

 いつの間にかしまっていた翼まで伸ばしているのに、少々決まり悪さを覚えたが、今更しまうのもどうかと思い、そのままにする。

 結論を言うと、風呂はなかなか良かった。

 警戒する対象が少なくてすむため、家をほどではなくとも気を緩めることができたのだ。

 そうしたら、湯からかすかに立ち上る硫黄の匂いと、なんとも言えずじんわりと温まる感覚が心地よく感じられて、気がつけば時を忘れていたのだ。

 風呂に入る良さを陽毬に力説された理由がほんのちょっぴりわかった静真だったが、そろそろ逆上せそうだ。

 いい加減陽毬も帰って来てしまうだろう。

 いそいそと湯から上がった静真は、ざっと濡れ髪を拭いた後、備え付けてあった浴衣を引っ掛けようとする。

 が。


「……あつい」


 のぼせる寸前だったらしい。翼を引っ込めるのも億劫だった。

 すでに鍵がかかる部屋で、その鍵は陽毬が持っていっている。

 つまりは見咎められることもない。

 悩んだのはほんの数瞬。

 まあいいか、と静真は翼を出したまま浴衣を着た。

 心地よく火照る体を冷まそうと、窓辺に片膝を立てて座りこむ。少し窓を開けると、冷気が入ってきた。冷蔵庫に入っていた水を飲むと、体に染み入った。

 髪が首筋に張り付くのがうっとうしいが、今更タオルを取りに行くのも面倒だ。

 そのままぼんやりと窓の外を眺めていると、部屋のベルと同時に陽毬の声が響いた。


「静真さーん! 遅くなってすみませんっ。どうでした……か……!?」


 鍵を開けて戻ってきた陽毬は、静真の姿を見つけた途端、ぴしりと固まった。

 静真もまた彼女の姿に目を見張る。

 陽毬は、洋装でも持っていった浴衣でもなく、きちんとした和装を身に着けていた。

 幾分省略しているようだが、いつもとは違う艶やかな姿に、静真は引いていた気がした熱が少しぶり返すのを覚えた。


「その格好はどうした」

「あのあの、この旅館のサービスらしくてですね。その私が恋人と来てると言ったら、街歩きにどうぞって着付けてくれまして…」


 気恥ずかしげにもじもじとしている陽毬は、ごまかすように声を張り上げた。


「えっと静真さんも! その様子だとお風呂楽しんでくださったみたいですけど翼出しっぱなしなんて珍しいですね!」

「暑かった」

「な、なるほど……で、でももしかして髪、まだ濡れてませんか。おろし髪が色っぽ……じゃなくて、すぐに湯冷めすると体に良くないですし乾かしましょ」

「陽毬」


 静真が呼んで手招きすると、陽毬はびくっとしながらも恐る恐る近づいてくる。

 なんとなくじれったくなった静真は、そばまできた陽毬の腕を引いて、自分の腕に納めた。

 いつも彼女が使っているシャンプーの香りと知らない洗剤の匂いがして、不思議だった。

 しかし自分がまだ暑いせいか、陽毬に熱がうつって行く。

 ちゃんといる。

 静真がほっと息をつくと、腕の中の陽毬が目に見えて動揺している。


「きゅ、きゅうにどうしました?」

「お前か確かめた。いつもと違うが、ちゃんとお前だ」

「???」


 陽毬がますます疑問符を顔に浮かべているため、静真は自分の言葉が足りないことを理解する。

 こういう感情をなんていうのか。まだふわふわする頭で静真は考えた。


「いつもと違う服装で驚いた」

「不愉快、でしたか」

「いいや。ただ、それで外には行かせたくない。俺だけが見たい」


 すると、こちらを見上げていた陽毬の顔が目に見えて赤くなる。


「どうした、逆上せているようには見えなかったが」

「……今静真さんの言葉でのぼせました」

「む、そうか」


 静真にはよくわからなかったが、陽毬のこの表情も自分だけが見ていたいと思ったため、わずかに彼女の腹に回す腕を強くした。

 その変化に気付いたのかいないのか、陽毬がそっとこちらを上目遣いに見上げてくる。


「でも、あとで街歩きしませんか?」

「……」


「あの……ひゃっ首に擦り寄るのはっ。静真さんとのちょっと街歩き、楽しみにしてたんですよ静真さんも着物着て、おそろいとか!」

「……おそろい」

「はい。男物もあるって言ってたので。静真さんの和装見てみたいですし、髪乾かしたら行きましょ?」


 静真は、しぶしぶ陽毬に回していた腕を緩める。

 だかしかし、ほっと息をついて腕から出て行こうとする陽毬の耳にそっと囁いた。


「では、続きはあとだ」


 意味が、わかったのだろう。

 また真っ赤になった陽毬に静真は満足して、ドライヤーを取りに行ったのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

片翼の天狗は陽だまりを知らない 道草家守 @mitikusa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ