大航海

マスカレード

第1話

 急激に沸き上がった黒雲と、マストをバタバタ揺らす強い風に、船員たちは不安な顔を隠せないでいた。


 他国の商船を襲ったばかりで宝物が満載の船体は、船足が遅く、大きな嵐から逃げるのは容易でない。

 海賊船に乗る怖いも知らずのの強者と言えど、この時ばかりは先をあんじずにはいられなかった。


「帆をたため」

「アイ、アイ、キャプテン!」


 風にバタバタとはためく横帆を下げるため、船員たちが帆を支えるための縄梯子型のシュラウドを次々とよじ登り、檣楼やヤードから横帆一枚を数人がかりで下ろしていく。


 急激に風向きが変わり、へこんでいた帆がバンと膨らんだ衝撃で、一人が弾き飛ばされた。

 咄嗟に横にいた仲間が、宙に浮いた身体を抱き込み事なきを得たが、もう一瞬でも仲間の判断が遅かったら、その船員は甲板に叩きつけられて即死か、荒れ狂う海に落ち、高浪に飲まれて魚の餌食になっていただろう。


 船員たちの緊張感が高まる中、船室でもオルソン船長とマルセル操舵士が進路を見極めるべく海図を覗き込んでいた。

 窓の先に見える船首は、波に持ち上げられては急激に落下するのを繰り返し、海図もしっかり押さえていなければテーブルから滑り落ちそうだ。二人の足元には、船が傾く度に何かが転がっていくが、今はそれを確かめたり拾い上げたりする暇はない。


 上下する船室の床をしっかりと踏みしめて立ったオルソン船長は、しきりにあごひげを撫でながら逃避先を考えていた。

 やがて覚悟を決めて頷くと、操舵士に命令を下す。


「3時の方向へ面舵一杯」


 マルセル操舵士は、驚いた面持ちでオルソン船長の顔を見た。

 聞き間違いではないかと確認するが、船長は前を見据えたままで進路の変更をしない。

 マルセル操舵士の舵輪を持つ手が震えた。だが、オルソン船長の命令は絶対だ。

 舵輪を回し、3時の方向へと船首をむけた。


 嵐の足は速く、帆船を飲み込むかのように、どこまでも大きく強く発達していく。

 後ろから追ってくる嵐と目の前の魔の海域とでは、いったいどちらが恐ろしいのだろうか。

 マルセル操舵士は胃の痛む思いをしながら、荒れ狂う波をかいくぐって、船を進めた。


 すると、その水域に入った途端に白い靄に覆われ、羅針盤が狂ったように回転し始める。グルグル動きを止めない羅針盤に、マルセル操舵士の心は千々に乱れていた。不安が膨れ上がり、胸の動悸が嵐の音に負けないほど大きくなっている。


 ところが、羅針盤の激しい動きとは反対に、船が進むにつれ周囲の嵐の激しい風も波も凪いでいく。

 その様子はさっきまでいた海域とは別世界で、まるで見えない扉の向こうに入り込んでしまったようだった。


「やっぱりここは、噂の通り、魔の海域なんだ!」


 バミューダ海域に入ったと同時に、嵐から遮断された不思議な出来事を目の当たりにして、船員たちがざわめいた。

 次に起きる未知の出来事に備えて剣を手にする者、恐々周囲を見回す者、腰が抜けたのか甲板に座り込む者など、行動がバラバラだ。


 噂によると、バミューダ海域に入った数多くの船が消息を絶っているらしい。

 探してもなんの手掛かりもなく、何十年も経って忘れられたころに、行方を絶ったはずの船がふらりと現れたこともあるという。

 バミューダ海域は、説明のつかない怪奇現象が起きる魔のトライアングルとして、船乗りたちに恐れられていた。


 その理由を解き明かしたものはおらず、たった今その悪名高い魔の扉をくぐったかもしれないという恐怖で、冬なのにも関わらず、オルソン船長から下級船員までもが、背中や脇にじっとりと嫌な汗をかいていた。


 突然、乗組員たちは身体が浮くような浮遊感にみまわれた。

 次の瞬間、船ごと身体が落下し始めたことに気が付き、肝が縮み上がる。

 船は垂直に落ちるだけではなく、高速でスピンを始め、景色の形が見分けられないほどがブンブン回る。

 眩暈と吐き気。キーンと耳の奥を刺すような耳鳴りで、全員が甲板や船室の床にうずくまり、目を瞑って耳を覆い、恐ろしさに打ち震えた。


 一体どうなってしまうのだろうという恐怖に駆られ、パニックに陥って叫び出す船員もいる一方で、怖さで声もでない他の者たちは、死を覚悟して祈っている。と、その時、地獄の門が開いたのか、ゴ~ンという聞きなれない鐘の音が聞こえて来た。


 スピンする速度はみるみる落ち、開転がピタリと止まった次の瞬間、海賊船はバシャ~ンと大きな波しぶきを上げながら海に落ちた。


 落ちる間も、ゴ~ンという音は続いている。

 バミューダ海域に入った時は、まだ昼間で明るかったはずなのに、現在辺りは真っ暗だ。


 夜の闇を震わすように、ゴ~ンとまた鐘が鳴る。

 いつ地獄の使者が船に現れるのかと、船員たちは海賊という立場も忘れ、お互いに身を寄せ合って震えている。

 すると、悪魔の声なのか、地獄の使者なのか、訳の分からない叫び声があちこちから上がる。船の周りを沢山の子船が取り囲み、ロープが投げられ、次々と地獄の使役たちが上がって来た。

 

 弔いの鐘は、まだゴ~ンと鳴り続けている。

 もし、地獄の使者に逆らえば、生きたまま火であぶられるのだろうか?

 それとも鉄の棘がついた鞭で打たれるのだろうか?

 船員たちは船に乗り込んできた地獄の使者を恐る恐る見た。


 小さい! それが、船員たちが地獄の使役に抱いた印象だった。

 だが、きっととんでもない魔力を持っていて、逆らう者を粉々に砕くに違いない。

 顔は今までみたこともないような平ぺったい顔で、目も口も小さかった。

 

 恐怖と高速スピンで戦力を失った船員達は、他の使役たちよりも少しガタイの大きいボス風の男が、下級の使役に指図して船倉へと向かわせるのを、黙って見送った。


 何人もの使役が船倉を調べ終わって戻る頃には、オルソン船長と操舵士も悪魔の使役たちに囲まれて甲板に降りた。

 オルソン船長は、床にうずくまった船員たちに大丈夫かと声をかけ、無事を確認してほっとしたが、今から他船を襲って宝を奪ったことへの裁きと罰が与えられるのだろうかと緊張で身体が強張る。

 嵐と魔の海域から逃れたと言っても安心はできなかった。


 己の海賊行為で奪った命に見合う罪は何だろう?

 極刑であることには違いないと考えた時、小柄な使役たちの中ではガタイのいい男が、オルソン船長の前に立った。

 いよいよかと覚悟を決めた時、その男はオルソン船長に向かって身体を倒してきた。

 思わず後ろに飛びのいたオルソン船長は、その男が訝し気に首を傾げるのを見て、攻撃ではないことを悟って唖然とする。

 だが、場数を踏んでいるオルソン船長は、すぐに自分にも敵意がないことを知らせるために、男の真似をして軽く頭を下げた。それを見て頷いた男が、言葉と思われるものを発した。


「年越し早々、宝船がやってくるとは、何という素晴らしい吉兆の年なのだろう。あなたがたを歓迎致す。日本にようこそ参られた」


 海賊たちは言葉が分からないながらも、相手に敵意がなく自分たちが受け入れられたのを感じて、安堵の吐息を漏らし、仲間と顔を見合わせた。

 オルソン船長が耳に片手をあて、鐘を鳴らす素振りをしながら、鳴り響いている鐘は何だと日本人に訊ねる。

 すると、日本人も身振り手振りを添えながら、大晦日に鳴らす除夜の鐘だと返す。

 いまいち意味を飲み込めない海賊たちの前で、懐から巻紙を取り出した日本人が、絵を描いて説明した。

 弔いの鐘で無いことを知って、海賊全員がほっと胸を撫でおろしたのは言うまでもない。


 こうして海賊たちは、悪魔の使いだと勘違いしていた小さく善良な人々にもてなされ、居心地の良いその国に住み着くことになる。

 オルソン船長が住居を与えてもらったお礼として、その時代に国を治めていた鎌倉幕府に宝のおすそ分けをすると、幸運なことに珍しい宝に気をよくした幕府の信頼を得ることができた。


 ところが荒くれ男の集まりである海賊たちは、陸に上がったままではだんだん落ち着かなくなり始め、オルソン船長とマルセル操舵士が相談して、日明貿易の遣明船を警護する役割を買って出ることにした。

 元々血気盛んで海で生きていた海賊たちは、こうして自分たちの力を発揮すると共に、この国のために役立つ方法を見つけた。


 嘘か誠かは定かではないが、新年が明けるころ、宝を積んでやってきた頼りになる海賊たちは、年月が経つにつれ、宝船に乗った福をもたらす七福神へと置き換えられていき、縁起物として愛でられるようになったということだ。


 魔の海域の見えない扉をくぐった海賊船は、正月になればあなたの家にも出没するかもしれない。


 了


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