葉見ず花見ず
如月 凉
~緋く染まる~
目の前に広がっていたのは赤く、紅く、緋いモノだった。それは血管であったり、筋肉であったり。腑から中のモノが飛び出していたりもした。
そしてそれらを囲んでいたのも同じく赤い花であった。
彼岸花……。
「アーニャ……。」
僕の大切な人。僕が一生仕えるはずだった人。今、目の前に朽ちている人。
彼女はこの国の王族だった。そして僕はその王族に仕える身であった。
彼女は下の身分である僕にも敬語を使ったり、また雑談をしたり。他の者にだってそうだった。彼女は王族でありながら国民への敬意を忘れなかった。優しい王族の女の子だった。
思い出す。いつか彼女と花畑へ行ったことを。
『彼岸花って綺麗ですよね。だけど毒を持っている。美しいモノには毒があるんです。民草も同じなのでしょうね。』
『そうでしょうか? 僕にはわかりません。』
あぁ、本当にそうだと思う。あの時、僕は君の考えを否定したが今ならわかる。国民は美しいだろうが毒のある存在だ。だって君を殺したのは国民だ。君をこんな姿にしたのは国民だ。
君が何をした。君は国民を想い、慕っていたではないか。その最期がこれなのか。
僕は今、国民を憎んでいる。怨んでいる。今すぐにでも地獄の業火で焼いてやりたい。いや、君を除くこの世の全てが憎い。自分も含めて。だというのに君の声が僕の脳に響いて離れてくれない。君は僕が右手に構えた銃を国民に向けることを良しとしない。
『貴方が民草を守るのです。そして私達、王族が貴方達を含めた民草全員の象徴となるのです。貴方が守るのは私ではない、決して。』
『いいえ、僕は貴方を守ります。』
彼女の美しくも儚い声が僕の脳髄を優しく撫でる。
守れなかった。
『たとえ民草が私を殺しても、犯しても、穢しても、貴方は怒らないでくださいね。そしてやっぱり、貴方は民草を守るのです。』
『僕は、アーニャ……、君を守りたい。』
どうしてそんなに君は優しいんだ。どうして君は自分のことを考えない。どうして自分の欲を口にしない。
『貴方は優しい人ですね。私なんかを想ってくれる。もし、私が王族でなければ貴方だけを想い、慕い、愛していたでしょう。』
彼女はそう言っていた。赤く放射状に咲いた彼岸花に囲まれて。まるで自身も彼岸花である、と言わんばかりに。
僕を蝕んでいく毒。君の毒。僕に対する君の一言一言が僕を蝕む毒と化していく。君が殺されたことも忘れ、国民を憎む気持ちも忘れ、思考が生前の君に染められていく。
心地良い、ただ心地良い。僕が君の色に染まる。元から染まっていた僕の心から全身へ、君の毒が廻っていく。
『私は貴方だけを想うことはできない。だからせめて、貴方だけは私だけを想っていただけませんか。それだけで私は報われる。民草のために死ぬことさえ出来る。それも喜んで。』
君は涙を拭いながら言っていた。
ねぇ、本当に君は悔いなく死ねたのかな。僕は不安だよ。君の本心がわからない。僕が君だけを想っているのかすらわからない。自分を維持することもできなくなっていきそうだよ。
でも、それでも、こんな状態でも僕は生きていかなければならないんだ。君の死を無駄にしないために。君の意思を無駄にしないために。
さぁ、行こう。悲しむのはここまでだ。僕は君を、僕より先に逝ってしまった君だけを想って進もう。
*
アーニャの国は革命に呑まれた。戦争を終わらせるため、そして労働者のための革命だった。
だが、革命後にできた国家は独裁国家と化し、戦争に手を出した。それと同時に私は軍を抜けた。国は違っても国民は同じだ。だからアーニャが好きだった国民を守ろうとした。だが戦争を仕掛けた。
アーニャの死んだ意味とは何だ?
なぜアーニャを殺した国民を守る?
途端に私の心の中に数多の疑問が発生した。嵐のように舞い、吹雪のように白く、私の頭を覆っていった。
それと同時に薄れていたアーニャとの記憶が鮮明にフラッシュバックしてくる。アーニャが楽しそうに話していたこと、悲しそうに話していたこと、怒って話していたこと。
もうあれから30年が経つのか。
アーニャが生きていれば40歳が近くなるくらいか。彼女の子供の面倒もみてみたかったな。出来ることなら彼女の夫などは見たくないが。
「ふっ。」
思わず笑みがこぼれる。
彼女との記憶が蘇る度に母親に心を包み込まれるような感覚に陥る。
彼女は私の母親でもなければ、誰かの母親にも慣れなかったというのに。
母親ではなく姉であれば納得がいくのだが、弟も彼女と共に殺されてしまったからな。
吐息が白く、景色も白く目に映る。
何もかもが赤かったいつか。
アーニャと同じ場所に立てば私も昔のように国民を愛せるだろうか。
*
儂は何十年もかけてアーニャと同じ地位に至った。
国のトップ。
だが彼女の立場とは少し違う。違うのは国の象徴ではないこと。国政も行う、外交も行う、政策も行う、国民とも話す。だが象徴ではないのだ。
儂のような小心者に国の象徴などという大役は務まらないしアーニャ以外に適任はいないと思うから好都合なのだが。
壇上に上がり、マイクのスイッチを入れる。声を届ける相手は国民だ。
「儂は本日を以てこの職を下りる。最初に一つ。後任は儂の政策通り選挙で決めるようにして欲しい。では本題に。まず4年間、儂のような人間に付いてきてくれて本当にありがとう。国民、一人一人の賛成意見、反対意見があったからこそ今の儂と国があると思う。国民だけでなく、儂の意見に賛同してくれた各国首脳陣にも感謝したい。儂のような年寄りの話は早々に切り上げよう。国民諸君、儂は諸君らのような立派な人間とともにあれたことを誇りに思う。単にトップに付き従うのではなく反対意見を臆せずに言えることは誇るべき点だと思っている。だから諸君らもそのことを誇りに思って生きて欲しい。そんな諸君らとは今日でお別れだ。儂はあるべきところへ帰る。したいことはした。今、この場で悔いはない。素晴らしい国民の姿を見ることも出来た。儂は満足だ。最後にもう一度。儂と共にあってくれてありがとう。以上、終わります。本当にありがとう。」
マイクを切り、降壇する。眼下にあるのはたくさんの愛しの花たち。
彼岸花……。
彼岸花の花言葉は『独立』。
彼らは儂がいなくとも生前のアーニャのように元気に生きるだろう。
儂は彼女が死んだ花畑に来ていた。
彼女が好きだった彼岸花が辺り一面に咲き誇っている。あのときと同じように。
彼岸花のもう一つの花言葉『思うはあなた一人』。
儂はアーニャ……、君を、君だけを愛せていただろうか。いや、儂は君と同じ立場に立ったとき、国民を君と同じように愛してしまった。それを君は許してくれるだろうか。
でも儂は頑張ったと思う。自分で言うのも何だが。
国民に寄り添って政治をした。また君のような子が死ななくて良いように海外にも呼びかけをして平和への道を猛進した。
貧困にあえぐ国家の小さな子供達を訪問して、開発援助をして、守れた命はそれほど多くはないかもしれないけれど、君に誇れる事をしたつもりだ。
だがそれでも、儂の心は……、君に何もしてやれなかったことに縛られている。だから最期くらいは我が儘を許して欲しい。
「やはり儂は……、いや僕は……。」
いくら国民を愛そうと。
いくら国民を憎もうと。
いくらこの世を愛そうと。
いくらこの世を憎もうと。
いくら時が流れようと。
いくら記憶が薄れようと。
「アーニャ、君だけを、本当の意味で愛している。」
僕はあの日以来、ずっと身につけていた拳銃を抜き、安全装置を外し……。
自らの頭に銃口を突きつけ、少し過去を巡って、引き金を引いた。
葉見ず花見ず 如月 凉 @kisaragi_suzu
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