宇宙を漂いながら
救命船での生活は思ったよりも快適だ。食事も運動も睡眠も全て活動プログラムが管理してくれる。それに従って時を過ごしていればいい。
「地球を出て103日目か。まだ昨日の出来事のような気がするな」
出発の日を思い出す。宇宙空港のゲートで手を振る両親の姿。見送りに来てくれた南さんの最後の言葉――元気でね、北斗君――それはまるで永遠の別れを思わせるような響きだった。
「磁極混乱か。今でも原因はわからないんだろうな」
遠足の最中、突如発生した異常現象。それは富士高原だけで起きたのではなかった。コロニーで、国中で、そして最終的には地球的規模で発生した厄災だと解明された。
「地磁気が混乱しています。しかし安心してください。磁極反転は地球の歴史上、何度も起きているありふれた現象にすぎません。皆様の生活にどのような影響があるのか確かなことはわかりませんが、何があっても落ち着いて行動してください」
管理局からのメッセージはずっと同じだった。それがかえって人々の不安を煽った。なにより発生しているのは磁極が反転するだけというような単純なものではなかった。
「おい、今日は赤道上にN極が来ているらしいぞ」
「S極は南極のままか。こちらは1週間動きなしだな」
磁極の変動は支離滅裂だった。毎日何度も変化することもあれば数日間動きがないこともあった。同じ経線上、緯線上に両極が出現することもあれば、まったく同じ場所に出現することもあった。その時はS極とN極が打ち消しあって地球上の地磁気は完全に消滅した。理論上、考えられないような変動の仕方だった。
「この無秩序さは、まるでスクランブルエッグだな」
「いや、乱雑さという点ではスクランブル交差点だろう」
やがてこの現象はSNS――Scrambled North-Southと呼ばれるようになった。その呼称が浸透し始めた頃から人々の不安は日増しに大きくなっていった。体の不調や精神の不安定さを訴える者が続出し始めたのだ。
地磁気は大気や重力などと同じく地球環境のひとつである。これまでの地磁気に順応していた人類の生体が環境の劇的な変化によって変調をきたすのは至極自然なことだった。
「本日は地磁気が消滅しています。外出はなるべく控えてください」
N極とS極が同地点に出現して地磁気が消滅した時は、さらに顕著な現象が起きた。地球に絶えず降り注いでいる太陽風や宇宙放射線は、磁極が作る磁場によって地表への到達を妨げられている。地磁気が消滅するとこれらがダイレクトに降り注ぐことになる。
世界のあらゆる場所で昼夜を問わずオーロラが観測された。それが人々の不安をさらに掻き立てた。大気による減衰とコロニーの遮蔽ドームによって実際に地表へ到達する量は僅かなものであると説明しても人々の動揺は高まる一方だった。
「位置情報がおかしいぞ。壊れているのか」
「天気予報、外れてばかりだな」
地磁気センサーを利用したGPSは完全に機能を停止した。磁気圏と密接に関係している電離層も影響を受け電波障害が多発した。電離層の変動は大気運動にも影響を与え天気予報の的中率は激減した。激しく変動する地磁気によって電子機器の故障が頻発した。
最初は軽微な支障に過ぎなかったSNSの厄災は時の経過とともにその影響力を強め、1ヶ月も経たないうちにコロニーの管理システムにまでトラブルを発生させるに至った。人々の不安は恐怖に変わった。
「地球はもう終わりなのではないか」
「このままでは人類が滅亡する」
SNS発生から2ヶ月後、ついに地球管理局は全人類の地球外移住を決定した。超光速航法によって飛躍的に活動領域を拡大した人類は、この数百年間のうちに銀河系内に生存可能な惑星を幾つも発見し移住していた。それらの中には人的生産力を欲している星々も存在していた。たとえ移住を強行したとしても歓迎されこそすれ拒否される恐れはないはずだった。
「北斗、おまえの出発、1週間後に決まったよ」
父からそう告げられた時、地球を離れる悲しさはほとんど感じなかった。それはボクだけの感情ではなかったはずだ。この数百年間のうちに地球の人口は10分の1になっていた。これ以上地球にしがみついていても仕方がない、誰もがそう思っていたのだ。
ただ肉親や友人、特に南さんとの別れだけはつらかった。移住者は無作為に決定されるのだが20才前後の若者が優先された。一番近い移住先でも15光年離れている。超光速航法を使っても1年半以上かかる。長旅による疲労と移住先での生活を考慮すれば、若者が優先されるのは当然の結果だった。
――摂取シテクダサイ。
抑揚のない人工音声と共に口元へ樹脂管が伸びてきた。それをくわえて朝食ドリンクを胃の中へ流し込む。不味くはないが美味くもない。ここでは全てがそんな具合だ。暑くはないが寒くもない。痛くはないが爽快ではない。無重力状態における物体と同じく全てが宙ぶらりんだ。
「本当に地球を出ることが正しい選択だったのだろうか」
乗り込んだ移住船の定員は100名。詳しいことはわからないが光速を超えるために要するエネルギーと失敗率は、対象とする物体の質量が増えると指数関数的に増大するらしい。巨大船1隻より小型船100隻のほうが簡便に安全に航行できるため、このような定員で運行されているようだ。
「最初の超光速航行、開始します」
太陽系を離れてから11日目にボクらの船は最初の跳躍を試みた。だがそれは失敗に終わったらしい。跳躍開始と同時に意識を失ったボクが目覚めた時にはすでにこの救命船の中にいた。
移住船には人数分の救命船が装備されている。それはまた各自の居住空間も兼ねていてほとんどの時間をそこで過ごす。跳躍開始時、ボクはそこにいた。跳躍終了時もそこにいた。そして今もそこにいる。移住船から切り離され、宇宙を漂うだけのゴミのような存在となった救命船内の空間、それが今のボクに残された世界だ。
何が起きたのかはわからない。救命船にも過去の記録は残っていない。ただ、母船を捨てねばならないほどの重大なトラブルが発生したことだけは間違いないようだった。ひょっとすると地球を襲ったSNSと何らかの関係があるのかもしれない。
「生命維持に関する機能が無事だったのは不幸中の幸いだったな」
救命船は損傷していた。位置情報および通信設備、そしてメイン推進機関の損傷が特にひどかった。が、その他の機能、特に宇宙背景輻射発電システムが正常に稼働しているのは大きかった。これでエネルギーに関する心配はしなくて済む。
酸素、水、必須栄養素の備蓄量は100年かかっても尽きないほどだ。たとえ救助が来なくても、生存可能な星にたどりつけなくても、大きな事故が起きない限り平均寿命までは余裕で生きられるだろう。
――生体チェック終了シマシタ。
ディスプレイに「異常なし」が表示されている。毎朝の日課である健康診断が終わればしばらく自由時間だ。
「今日は何を観ようかな」
3次元ディスプレイを操作してCG映像を空間に投影させる。ヒーリング効果のある楽曲が船内に流れる。自由時間が終われば身体トレーニング、栄養補給、自由時間、簡単な情報処理テスト、栄養補給、自由時間、睡眠。そして一日が終わる。毎日がこの繰り返しだ。
「考えてみれば誰もが宇宙を漂って生きているんだよな」
現在の自分の境遇が空虚であるとは思わない。地球にいた時と救命船にいる今とどれほどの違いがあると言うのだろう。ボクたちは地球という小さな星にしがみついて、太陽と一緒に銀河系を漂うちっぽけな存在にすぎなかった。今と同じじゃないか。想像を超える広さを持つ宇宙から見れば、地球の大きさも救命船の大きさもほとんど同じなのだから。
「それに太古の人間の中には好んでこんな暮らしをしていた者もいたらしいからなあ」
一日中10㎡ほどの部屋で暮らし、ディスプレイを眺めて一生を終える古代人がかつて存在したらしい。「ひきこもり」と称されていたようだ。彼らの生活を考えれば現在の住環境に不満は言えない。救命船の居住空間は200㎡もあるのだから。
「みんなはどうしているんだろう」
ひとつだけ心残りがあるとすれば南さんだった。移住が決まってから出発までの1週間、ボクは迷いに迷っていた。このまま自分の気持ちを伝えずに別れたら絶対に悔いが残る。直接言うだけの勇気がないならメールで伝えるという手もある。そして実際に言葉を打ち込んだり、紙と筆記具という古典的伝達方法で文字を書き記したりもした。が、結局それらは廃棄してしまった。南さんと再会できる可能性が極めて低かったからだ。
「肉親さえも別々の星に送られているんだ。赤の他人と同じ星に行ける確率なんてゼロに近い」
そんな考えがボクの弱気に拍車をかけた。南さんのほうからも何も言ってくれなかった。「北斗君、元気でね……」それが彼女から聞いた最後の言葉だ。
「やっぱりこれでよかったんだろうな」
ボクの帰還は絶望的だ。通信設備が完全にやられて救難信号すら発信できない現状を考えると、ボクの生存を信じている者など一人もいないはずだ。南さんに余計なことを言わなくてよかった。きっと彼女は少しの未練も感じることなくボクを忘れ、新しい星で暮らしていってくれるだろう。
「今日もあの星が見えるのか」
窓の外に広がる暗黒の中にひときわ明るく輝く星があった。位置情報システムが破損しているため星の情報は得られていない。銀河系内の星かどうかもわからない。数日前からずっと見えている点から類推すれば、救命船があの星の重力場に捕らえられた可能性もある。このまま引き寄せられて燃え尽きてしまうのも面白いかもしれないな……
SNSから始まった恐怖はもう少しも残っていなかった。ただ他人事のように自分の人生を眺めて楽しむ自分だけが残っていた。
恐怖から始まった扉の向こうで騙されて失った恋は……第一話 沢田和早 @123456789
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