恐怖から始まった扉の向こうで騙されて失った恋は……第一話

沢田和早

 

恐怖はSNSからはじまった

遠足の日の出来事

 草地を歩きながら晴れた空を見上げる。

 降り注ぐ陽光がまぶしい。

 今日は高校に入学して最初の本格的なイベント、野外体験学習。

 幼稚園の頃から毎年必ず実施されてきた行事とあって、参加している同級生たちも少々飽きがきている様子だ。


「行先はまた富士高原か。たまには別の場所を歩いてみたいぜ」

「ないものねだりはやめろよ。日帰りできる野外地がここしかないんだから仕方ないだろ」


 聞こえてくる会話に無言で頷く。遠足の場所は毎年同じ、富士高原だ。この国にはもうここにしか自然の風景は残っていない。


 超光速航行によって銀河系内の星々に移住が始まったのは数百年前。ボクらの文明は飛躍的に発達した。だが、それはまた地球の自然を奪うことと同義だった。

 人類によって搾取されつくされた結果、海も山も河も平地も完全に死地と化してしまった。

 とても信じられないが、数千年前までは海で泳いだり、そこに生息する魚や海藻を食したりしていたそうだ。今、そんな行為に及べば間違いなく命を落とすだろう。自然と切り離されたドーム内コロニー、そこが今を生きる人類の安住の場所だ。


「やっぱりここは何度来ても気持ちがいいわ。北斗ほくと君もそう思うでしょう」

「えっ、あ、ああ」


 いきなり話しかけられて心拍数が跳ね上がる。

 少し離れて歩いているみなみさんは幼稚園の頃から知っている数少ない女子のひとりだ。

 教育制度は数千年前からほとんど変わっていない。幼稚園、小学校、中学校、高校。彼女とはずっと一緒だった。


 初めはただの顔見知りにすぎなかった南さんが特別の存在として感じられ始めたのはいつの頃からだったろうか。中学の時、人工砂浜で初めてビキニの水着姿を見た時だろうか。それとも3D打ち上げ花火映像の迫力に驚いて、思わず手を握り合った夏休みのあの夜だろうか。


「こんなに大きくなっても南はお外にお出掛けするのが好きなのね。太古の人類が飼っていた犬っていう動物みたい。雪が降っても大はしゃぎで野原を駆け回っていたらしいわよ」

「やだ、からかわないでよ。でも犬と一緒に青空の下を歩けたら楽しいかもしれないわね」


 こちらからは口を出さず女子トークに耳を傾ける。南さんの野外好きは幼稚園の頃から変わらない。暇さえあればかつて存在した地球の風景を映像ライブラリーで楽しんでいる。見ていると眠たくなってくる退屈なシーンばかりなのだが、彼女にとっては何より癒されるひと時のようだ。


「ねえ、北斗君。これ、何かわかる」


 今度はすぐ近くから聞こえてきた。ボクの心拍数が再び急上昇する。いつの間に近寄って来たんだろう。離れて歩いていたはずの南さんがすぐ横にいる。手には丸いものを持っている。


「それは……ひょっとして磁石?」

「正解! 小学校最初の野外学習でもらった方位磁石。昨日収納ボックスを整理していたら偶然見つけたの。懐かしくなって持って来たんだ」


 GPSのなかった太古の人類が方角を知るために用いた道具。今となっては使い道のない無用のガラクタだ。


「ふむふむ、北はこっちね。つまりあたしたちは南東に向かって歩いているってわけね」

「そんなの、モバイルでマップを見ればすぐにわかるだろう」

「それはそうだけど、こんな単純な仕掛けで方角がわかるなんて何だか嬉しいじゃない」


 にっこりと笑う南さん。幼稚園の頃から変わらない屈託のない笑顔。見ているこちらまで恥ずかしくなってくる。


「単純なのは君も同じだな」

「えっ、どういう意味よ、それ」


 答えずに足を速める。それほど速度を上げたわけではないのに心臓は激しく脈打っていた。



「よーし、全員整列!」


 引率の教師が指示を出した。目的地の富士茶屋に到着だ。ここで昼食を取りしばらく自由時間を楽しんで帰途に就くのがいつものパターンだ。


「さあ、入ってください」


 施設の管理人に招かれて中へ入る。ここは野外観察者向けの施設で、休憩場所と簡単な飲食物を提供している。この国に唯一残された自然の景観が楽しめる場所とあって、国内だけでなく海外からも観察者がたくさん訪れる。


「今日は何を飲ませてくれるのかな」


 まるで当たり前のようにボクと同じテーブルについた南さんは、すでにウエルカムドリンクのことで頭がいっぱいのようだ。コロニーで口にするのは全て人工的に合成されたものだが、この茶屋では古代の農法によって製造された飲食物が提供されている。富士高原一帯は数千年前の農業を復活させる試験場でもあるのだ。


「どうせ去年と同じでまた緑茶だよ」

「えー、そうとも限らないでしょ。だって今年は高校生なんだから」


 遠足でここへ来るたびに提供される飲み物は学年が上がるにつれて変わっていった。

 幼稚園の時は冷たい水だった。小学生では麦茶という香ばしい風味のお茶。中学生になると苦みのある緑茶になった。高校生になったのだから別の飲み物に変わるかもしれないという南さんの意見もあながち間違いとは言えないだろう。


「どうぞ。ポットから注いでお飲みください」


 職員が大きなポットと人数分のコップをテーブルに置いていく。中身を注ぐと茶色の液体がコップを満たした。明らかに緑茶ではない。と言って麦茶でもない。香りが全然違う。南さんの表情が一気に喜びへ変わる。


「ふふふ。あたしの予想が当たったわね」

「みんな、準備はできたか。それではいただきますの合図で……」


 引率の教師の言葉はそこで遮られた。茶屋の内部で一斉に警告音が鳴り出したからだ。


「な、なんだ!」

「何が起こったの」


 騒然とする生徒たち。誰もが自分のモバイル端末を手にしている。警告音はそこから発せられているのだ。


「見て、北斗君」


 南さんが右手を差し出した。そこにのっているのは方位磁石だ。


「なんだよ、こんな時に」

「おかしいのよ。さっきまで入り口が北だったに今は南になっている」

「見間違いじゃないのかい。それよりもモバイルの心配をしろよ。君の端末も警告音を出しているんだろう」

「この音、もしかしたら磁気の変化と関係あるんじゃ……」


 ああ、そうだな、南さん。君の予想はいつも当たっていた。

 茶屋の中に鳴り響く警告音はますます大きくなっていく。耳を塞いでも容赦なく鼓膜を振動させる。

 あまりの大音量に我慢できなくなったボクは目を開けた。仄かな船内灯に照らされた金属光沢の壁面が見える。船内に鳴り響く起床時刻の目覚まし音。ダボダボの宇宙服。宙に浮いたままの体。それが今のボクの現実。


「またあの夢を見ていたのか」


 就寝する時は必ず着用するヘルメットを外してため息をつく。そう、今にして思えばあの遠足での警告音が全ての幕開けだった。後にSNS――Scrambled North-Southと名付けられた大災厄は、まさにあの時始まったのだ。

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