青春グレイ。 2
「待って、灰島くん!」
足の長さの差だろうか。悠然と歩いている彼にやっと追いついて、ブレザーの裾を引く。
迷惑そうに振り向いた彼は、わたしの手を払った。
「あれはなんなの? あなたは、一体……」
朝から走ってばっかりで、息は切れるし、足も疲れて力が上手く入らない。
そんなわたしを気遣ってくれたのか、灰島くんは立ち止まってくれた。
「質問が多いな」
「触れるなってことは、校庭のあれがなんなのか知っているんでしょう?」
「……そうだな。知ってる」
「あなたが描いたの? あなた宇宙人なの?」
一呼吸の沈黙のあと、盛大に溜息を吐かれた。
「単純思考」
思わぬ一言に固まったわたしを放り出して、彼は昇降口へ向かい、いつの間にか溢れている生徒の群れに紛れてしまった。
一体なにを知っているんだろう。
振り返った校庭には、もう影も形もない。
生徒達のざわめきが遠のいていく。
チャイムが鳴る前に教室に向かわねば。
それから通常通りの授業が始まった。彼とは視線が合う度に逸らされる。休み時間に話しかけようとすれば、席を立ってどこか行ってしまう。
結局、声をかけるタイミングを失ったまま、景色はオレンジ色に染まっていった。
校舎から見下ろす校庭。
運動部が走り回る中にまたぼんやりとミステリーサークルが浮かび上がる。
「あんたの目には、あれがミステリーサークルに見えるのか」
窓一枚分空けて、灰島くんが校庭を見下ろしている。
その美しい横顔からは、表情は読み取れない。
「俺には闇が
「や、闇?」
「……俺は宇宙人じゃない。人体を元に機械で作られたサイボーグだ。あんたを守るために、異世界の未来からやってきた」
彼の話す言葉の一つ一つに脳が混乱していく。
とても現実的ではない。アニメかSF小説の世界の話だ。
「え? えっと、異世界? 未来? サイボーグ?」
「信じなくていい。行くぞ」
「え、ちょっと!」
窓を開けると、わたしを俵のように肩に担いで、三階から飛び降りた。
耳に風のごうごうという音が響き、地面が一気に迫ってくる。
怖くて目を瞑ると、地面を降り立った衝撃はないまま、風の抵抗が無くなった。
おかしい。目を開けると、地面がすぐそこにある。
三階から、しかもわたしを抱えて飛び降りたのだ。普通なら怪我とかしても……ああ、彼は、サイボーグだったっけ。
彼は平然と、校庭の中心へ駆け出した。
「待って! 運動部が……!」
しかし、わたしの懸念はどこへやら。
先ほどまでトラックを駆けていた陸上部も、バッティングの練習をしていた野球部も誰一人見当たらない。
がらんとした校庭に、灰島くんと彼に担がれているわたしだけ。
「ねぇ、何が起こってるの? なんでわたしは守られないといけないの?」
「……あんたの孫は偉大な科学者となり、時間と時空という壁を壊してしまった。
人類にとっては偉大な研究だったが、均衡を壊された世界は彼を憎んでいる」
「わたしの、孫?」
「そうだ。だから、世界があんたを消そうとしている。
孫であるケイトが生まれないために。
俺はケイトにより作られて、あんたを守るためにこの世界に来た」
彼と同じ名前。
結婚もまだ先の話なのに、孫なんて言われても。
謎は深まるばかりだが、それよりも、わたしを消そうとしているって――。
「じゃあ、あのミステリーサークルは……闇っていうのは……」
「あんたを殺そうとする世界の意思だ」
光を放っていたミステリーサークル――だと思っていたものから、闇が広がる。
中心から風が勢いよく吹き付けてくる。
彼はわたしをゆっくり下ろすと、闇の中心へと歩きだした。
「待って! 危ないよ!」
彼は聞こえていないとでもいうかのように、風に向かって進み、振り返りもしない。
そして、闇へ向かって、拳を叩き下ろした。
あの真っ暗な中になにがあったのかわからないけれど、彼は確かになにかを破壊したらしい。
一瞬風が止んだあと、爆発が起きて、わたしは地面に張り付くようにして身を伏せた。
そうでもしないと、転がってしまいそうだった。
――灰島くんは?
爆風が止んでから顔を上げると、灰島くんは変わらずそこに仁王立ちしていた。
周囲にざわめきが戻っていく。
校庭の中心は、隕石でも落ちてきたかのようにクレーターが出来ていた。
人の声、悲鳴に、やっと現実に戻ってきたことを実感した。
「灰島くん!」
人の壁をこじ開けて駆け寄ると、彼の頬はざっくり切られていて、そこから人体にはないであろう灰色のパーツが見える。
「だ、大丈夫?」
「ああ」
彼は大きく裂けた頬を押さえる。
その横顔を見ていて、初めて出会ったときのことを思い出す。
――俺、あんたのことを絶対好きになんてならないから。
彼の一言が、胸に痛みを起こす。
二人で視線から逃げるようにして校庭を離れた。
人気のない校舎の隅で、彼は窓ガラスを鏡代わりに裂けた頬の様子を見ている。
「ねぇ、昨日、なんで初対面のわたしに好きにならないって言ったの? サイボーグだから?」
「サイボーグだから、というのもある。
……俺は、あんたを助けるために、色んな世界線を渡った。でも、どこの世界線でも、あんたは俺に恋をした。
もう泣いて欲しくないから先に言ったんだ」
灰島くんと視線が合う。
グレーの瞳が、今はとても優しく輝いている。
「俺は、あんたを守るために生まれた存在だ。
恋人にはなれない」
彼の憂いを湛えた笑みに、胸が締めつけられる。
胸の痛みの理由がわかってから、さらに感情が溢れてくるように感じる。
初めて彼を見た瞬間には、きっともう――。
「安心しろ。あんたは絶対に守るから」
好きって言えた、他の世界のわたしを羨む。
彼のグレーの瞳が、目蓋の裏に焼き付いて離れない。
始まることすらなく、終わってしまった恋を、わたしは大切に胸にしまった。
泣かないように、無理矢理頬を引き上げる。
「よろしくね、灰島くん」
きのう、失恋した。
終
青春グレイ。 美澄 そら @sora_msm
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