父の髪

鳴神楓

父の髪

 俺が小学生の頃に男を作って家を出て行った母は器用な人で、父と俺の髪はいつも母が庭で切っていた。

 母が出て行った後、気付けば父の髪は見苦しいくらいに伸びていた。

 当時の父は母のことがショックで身なりに気を使うどころではなかったのかもしれないし、母以外の誰かに髪を切ってもらう気にならなかったのかもしれない。

 そんな父を子どもながらに見かねた俺が「僕がお父さんの髪の毛を切ってあげる」と言うと、父は驚いた顔になって、それから息子に気を使わせてしまったことを悔やむような顔をして、それからいつもの優しい微笑みを浮かべて「それじゃあ、お願いしようかな」と答えた。


 いつもの椅子を使うと俺の手が届かないので、庭にレジャーシートを敷いた上に直接座ってもらい、母が使っていたスキバサミで父の伸びた髪を切った。


 母が切っているのを見ていると簡単そうに見えたのに、いざ自分でやってみると難しくて、仕上がりはギザギザのガタガタで、さっきまでの伸びた髪の方がまだ見苦しくなかったんじゃないかというくらいに酷いものだった。

 それでも父は嬉しそうな顔で「ありがとう」と言ってくれて、髪が伸びるまでギザギザの頭のままで毎日会社に行っていた。

 そんな父を見ながら俺は「お父さんはこんなに優しい人なのに、どうしてお母さんはお父さんを置いて出て行ったんだろう」と不思議に思っていた。



 ──────────────


 ハサミが軽い音をたてて父の髪を整えていく。

 初めて父の髪を切った時は俺の身長が足りなくて地面に座ってもらったけれども、今ではちゃんと庭に椅子を出して座ってもらっている。


 俺の身長が伸びたのと同じように、父にもそれなりの年月が降り積もっている。

 俺が子どもの頃よりも髪は細くなってきたし、少し白髪も混じり始めた。

 薄くなる家系でないのは救いだけれど、俺が就職したら店で売り上げのノルマがあるとか何とか言って、サロン専売の髪に良いシャンプーやトリートメントを買ってきて使ってもらった方がいいかもしれない。


「後ろ、長さこれくらいでいい?」


 確認のために鏡を見てもらおうとすると、父は「見なくてもいいよ」と言った。


「まかせるよ。

 俺があれこれ言わなくても、いつも似合う髪型にしてくれるから、信用してる」


 父の言葉を嬉しく思いながらも、俺はそれを態度に出すことをせずに、「そう?」とだけ言って再び髪を切り始める。


「俺の髪をギザギザにしてたお前が、今や美容師さんの卵だもんね。

 時の経つのは早いものだね。

 きっと何年かしたら、こんなふうにしてお嫁さんや子どもの髪も切ってやるようになるんだろうなあ」


 そんな父の言葉に、心の中で『嫁さんも子どももいらないよ。俺には父さんだけいればいい』と思いながら、そう言えば父が悲しみ悩むだろうことはわかっていたので、無難に「そうかもしれないね」と答えておく。


「……もしそうなっても、父さんの髪はずっと切ってあげるから安心していいよ」


 俺がそう言うと、父は少し笑って、「うん、頼りにしてるよ」と言った。

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父の髪 鳴神楓 @narukami_kaede

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