狂愛

虹音 ゆいが

愛は盲目

 俺には娘がいる。少し前に高校2年生となった可愛い娘、深雪みゆきが。


 小学校の時に母親、つまり俺の妻が事故で転落死して父子家庭になってしまったが、それを感じさせない天真爛漫な子に育ってくれた。それでいて父親である俺への気遣いも忘れない、優しい子でもある。


 IT企業でそれなりの地位に就いている俺は、収入は人並み以上だと自負しているけれど、その分仕事で家を空ける事が多かった。だから、母親が死んでからは会社に頼み、極力家で仕事をできるようにして貰った。


 深雪は俺の事を過保護だと言うけれど、子を想う親の気持ち、っていうのはこんなものだろう? こんな物騒な世の中じゃ、心配はし過ぎてもし過ぎる事はない。


 ただでさえ深雪は母親の遺伝子が色濃く出ているのか、近所でも評判の美人だ。良からぬ事を企む輩がいてもおかしくない。だから、学校への送り迎えは俺が責任をもってやっている。


 だけど、さすがに学校の中まではついていけない。俺が不審者扱いされかねないからな。深雪も学校の事をあまり話さないので、担任教師から聞いた話で何となく想像する事しかできなかった……だが、


「初めまして」


 ある日、深雪が唐突に1人の男子生徒を我が家に連れてきた。


「お父さん、紹介するね。同じクラスの卓也たくや君。今、私がつ、付き合ってる人」

「……お、おぉ」


 突然の事にそう返すのが精いっぱいだった。彼……卓也君、だったか? 俺をまっすぐ見ていた彼が相好を崩した。


「深雪さんとお付き合いをさせて頂いてます。よろしくお願い……は少し違うかな。えぇと、すみません。緊張しちゃって」


 困ったように言う彼の人となりは、この少しのやりとりだけでも何となく分かる。顔立ちも整っていて立ち居振る舞いも礼儀正しい。さすが、深雪が付き合おうと思えた男だ。そんな事を思う。


「ああ、いや。こちらこそ緊張させてしまってすまない。深雪が彼氏を連れてくるのは初めてでね。ちょっと驚いていただけだ」

「お父さんは結構強面だからね~。もうちょっと笑う練習しなよ」


 場の空気を和ませるためか、深雪が悪戯っぽく笑う。彼もつられて笑った。


「はは、そんな事……えっと、すみません。僕はあなたをどうお呼びすればいいでしょうか?」

「呼ぶ……ああ、そうだな。おじさん、とでも呼んでくれ」


 彼としては、お父さん、と呼んでいいのかと訊きたかったのだろう。


 分かりました、おじさん。彼ははきはきした声でそう言い、深雪に連れられて帰っていった。どうやら深雪にとっては顔合わせだけが目的で、深く話すつもりはなかったようだ。


 まぁあの感じだと、これから先家に招待する機会が増えるからね、と言われてるようなものだ。私はリビングのソファーにどさりと体重を預け、ぼんやりと頭に焼き付いている彼の顔を思い返す。


 深雪の彼氏か。見る限り、素晴らしい好青年だ。親バカかもしれんが、深雪に釣り合っていると言っていいだろう。


「……けど、な」


 それじゃあ困るんだよ、卓也君。




「あの、お邪魔します。深雪さんに呼ばれて来ました」


 インターホンから聞こえたその声に、私は1つ深呼吸。


「卓也君か!? 深雪は……いや、直接話そう! 中に入ってくれ!」


 俺は焦った声でそう言い、早足で玄関へと向かう。そこには、困惑した様子の彼が突っ立っていた。


「ど、どうかしたんですか? おじさん」


 何かが違う、と彼は直感したのだろう。それも仕方ない。これまで10回以上はこの家に訪問してきたはずだが、俺があんな調子でインターホンに出るのはこれが初めての事だ。


「あ、あぁ。すまない、今から出るんだ。君も来てくれ!」

「え? あ、あの、僕は深雪さんに」

「深雪は……ここにはいない。俺は今から、深雪に会いに行くんだ」


 え? と聞き返す彼の腕を取り外へ。ガレージの車に乗り込みつつ、呆然としている彼に助手席に乗るように促す。


「急いでくれ! 君も深雪に会いたいんだろう!?」

「ま、待ってください! おじさん、落ち着いて。深雪に、一体何が……!」

「そ、そうだな……」


 俺は一度言葉を切り、彼をまっすぐに見ながら言った。


「深雪が、事故に遭ったらしい。今、病院に運ばれたそうだ」




 私の車が国道を走る間、彼は終始無言で俯きながら助手席のシートベルトを握り締めていた。


「すまない、俺のせいだ。俺が深雪に買い物を頼まなければこんな事には……!」

「……いえ。おじさんのせいじゃないです、謝らないでください」


 掠れた声。俺は信号が赤になった間に後部座席に手をやった。


「いきなりの事で混乱しただろう。極度の混乱や緊張は喉を乾かすと聞いたことがある。昨日買ったもので温くなってしまっているが、よければ飲んでくれ」

「……ありがとう、ございます。いただきます」


 俺からペットボトルを受け取った彼は、震える手でふたを開けてジュースを飲んだ。それを確認し、俺は再び運転に集中する。


 それから数分後。横にいる彼が安らかな寝息を立て始めた。


 が、効いてきたのだろう。


「……さて、楽しいドライブをしようじゃないか。卓也君」


 俺はそう呟き、国道から脇道へと逸れた。




 走れば走るほど、行き交う車の量が少なくなる。まだ昼間だと言うのにここまで交通量が少なくなるのは、この街が少々田舎めいた土地である事以外にも理由がある事を、俺は知っている。


「君は悪くないよ。何せ、深雪が選んだ男だ。悪いはずがない」


 俺は寝ている彼に向かって、あるいは独白のように呟く。


「でもね、深雪は俺のモノなんだ。俺だけのモノじゃなきゃダメなんだ」


 あの笑顔も、あの泣き顔も、あの手料理も。全て、全てだ。


「だから、邪魔なモノは消さなきゃならない。これは、そう、深雪の為だから」


 俺だけが、深雪を幸せに出来る。俺以外のヤツには、無理だ。


 そう、それだけの話。


「……ほぉら、着いたよ。卓也君」


 そこは、とある山の中腹。


 鳥のさえずりがそこかしこから聞こえる反面、人や車の気配が微塵も感じられない。それもそのはず。ここはちゃんとした整備された道路がなく、昔から事故が多発している場所だから。


 どこどこへと繋がる裏道、のような需要も皆無に近く、故に人も寄り付かない。そんな場所だ。


「懐かしいな。数年ぶりだ、ここは」


 俺は眠った卓也君の体を引きずり出す。熟睡している男子高校生ともなるとかなりの重さだったが、多少引きずっても問題ない。むしろ、その方がリアルに見えるだろう。


「君が家に来て過ごす日々は、楽しかったよ。俺に息子がいたらこんな感じなのかと思ったし、もし深雪が君と結婚したらこんな感じなのかとも思った。本当に、楽しかった」


 でも、その楽しさは俺の求めるモノじゃなかった。


「おかしいと思うかい? ああ、おかしいだろうね。それでいいよ。俺には深雪さえいてくれたら、それでいい」


 彼を引きずり続けて、ようやく目的地にたどり着く。


 切り立った崖を見下ろす、道路の端っこ。下を見下ろすも、靄が掛かった様にはっきりとせず下まで見通せない。


 彼の体をその縁に座らせ、その体を支える。あとは、俺が手から力を抜くだけで…………。


「ああ、言い忘れてたね。深雪は無事だよ。今頃、ぐっすりとベッドの上で寝ているさ」


 彼の到着を今か今かと待ちわびる深雪に、睡眠薬入りのココアを飲んでもらった。しばらく起きない事は実証済みだ。

 

 とは言え、もう少ししたら起きる可能性がある。さっさと終わらせてしまおう。


「さて、それじゃあこの辺りでお別れだ。その薬は強力だ。きっと起きる事なく天国へと行けるさ。それじゃあ、さようなら」

「ええ、さようなら」


 な…………?


 何が起きたのか、分からなかった。


 いや、ホントは分かってる。ただ、理解が追い付かなくてその事実を認めたくなかっただけ。


 寝ている彼の体から手を放そうとしたその瞬間、彼が俺の手を強く引いたのだ。


「う、うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」


 ふわりと浮く体、足掻こうにも空を掻くばかりの腕、天地の判別すら出来ずに回転する視界。


 数秒、あるいは十数秒か。無限にも一瞬にも思える時間を掛け、俺は靄へと吸い込まれていく。





 ここは、どこだ?


 体が痛い。冷たい。熱い。いや、それらが全部消えて、ひたすら何も感じなくなる。


 土の味。いや、血の味? どっちにせよ好きになれないそれらから逃げようと顔を逸らそうとしても、まったく動いてくれない。


「あ、いたいた。結構崖にぶつかったはずなのに、あの高さから落ちても意外と原型残るものなんだなぁ、人の体って。血塗れで悲惨だけど」


 と、落ち葉を踏みしめる音に混じって、澄んだ声が聞こえる。聞き覚えのあるそれに、俺は全精力を振り絞って視線を上げた。


「あれ? 生きてるんですか、おじさん。線が細いのに意外とタフなんですね」


 何でもないように語り掛けてくる彼に、俺はからからに乾いた口を動かした。


「どう……して……」

「どうして? それってどれに対するどうして、ですか?」


 それに答えるだけの気力はない。と、彼はそのまま二の句を継いだ。


「どうして僕が起きてたのか、って事なら、あのジュースは飲んだフリをしてただけ、ですよ。アニメとかドラマでもよくあるでしょう?」


 実際やってみると難しいですね、と彼の笑い声が耳元で霞む。


「それとも、どうしてこんな事をされても驚いていないのか、ですかね。なら、おじさんが僕を殺そうとするならこの山だろうな、って予想をしてたからです」

「……っ」


 ひゅー、ひゅー、と掠れた息が漏れる。ジュースの方の小細工はともかく、それを予想されているのは全く想定していなかったから。


「だってほら、奥さん……深雪のお母さんですね。彼女が転落死したのもこの山でしょう? もしかして、落下場所もこの辺りだったりします?」


 その通り、だった。それもそのはず。彼女は、俺と同じ場所から落ちたのだ。


「図書館で地方新聞の過去記事に当たれば、これくらい分かりますって。人通りが少なくて発見が遅れやすく事故死に見せかけやすいからって、同じやり方で深雪と近しい人間が何度も死んだら疑われちゃいますよ? おじさん」


 全てを見透かしたような言葉を、俺はただただ聞き続けるしかなかった。


「さて、と。その痛そうな姿を見てると、いっそ僕の手で楽にしてあげるのも人情かな、って思うんですけど、やっぱり明らかな他殺の跡を残すのは良くないですよね。事故死が一番後が楽だろうし」


 ざっ、ざっ、と足音が遠ざかっていく。俺は、動けない。


「って、おじさんはおじさんで深雪と近しい人間なんだから、どのみち変な噂は立っちゃうなぁ。深雪の負担にならないように気を配らないと……って、深雪からだ。ここ電波届くんだね」


 電話、のようだ。彼はすぐさまそれに出た。


「はい、もしもし…………あはは、やっぱり寝ちゃってたんだ。何度か呼び鈴鳴らしたんだけど誰も出てこないから、帰っちゃったよ」


 いつも深雪と話す時と何ら変わらない声のトーン。私はこの時、思い知った。ああ、彼も同類だったのか、と。


「いいよ、謝らなくて。ゆっくり休んでね……え? おじさん? いや、会ってないけど……うん、分かった。それじゃ、また明日学校で」


 通話を終え、彼は歩みを再開した。が、すぐに彼は立ち止まり、


「おじさん。深雪はが責任を以て幸せにするよ。だって、俺にしか深雪を幸せに出来ないんだから」


 今までお疲れさまでした、おじさん。残酷なまでに慈愛に満ちたその言葉が最後だった。私の意識は限りない闇の奥底へと沈んでいく。




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狂愛 虹音 ゆいが @asumia

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