想像のシュークリーム

伴美砂都

想像のシュークリーム

 美桜子みおことは、よく、想像をして遊んだ。

 美桜子とわたしは2年生から5年生まで同じクラスだった。2年生の春、20分休みにドッチボールをするのがいやで裏庭でさぼっていたら、寄ってきたのが美桜子だった。ふたりで花壇のふちに腰掛けて、空を眺めた。

 今日の5時間目は、体育の予定だった。わたしは体育も嫌いで、だから雨が降りますようにと強く願っていたのだけれど、空は無情にも晴れていて、その真ん中に、ひとつだけ真っ白なもこもこした雲が浮いていた。もう桜の花は散りかけていたけれど、まだ上のほうにはいくつか花の塊があった。美桜子のスカートは桜ではない大きな花柄が褪せていて、少し短くてウエストがきつそうだった。

 ねえ、と美桜子が言った。なれなれしい口調だった。


 「シュークリームみたいだよね」

 「あー、そうだね」


 その雲は見れば見るほどシュークリームに見えた。ときどき母が買ってくる、お気に入りのケーキ屋さんのシュークリームのカスタードの味を思い出して、口の中にじゅわっとつばが湧いた。

 カスタードかな、ホイップかな、と言うと、美桜子はキャキャッと高い声をあげて笑った。


 「ホイップ、ぜったいホイップ!」

 「たぶん、どっちも入ってるんだよ、ダブルだよ」

 「フルーツも入ってる」

 「みかんと、りんごと、キウイと……」

 「ぶどう!」

 「ぶどうは、タネがあるからだめだよ」

 「たねなしぶどうだよ!」

 「あの桜の花もちょっとシュークリームみたいじゃない?」

 「じゃあね、あれはね、いちご味!」


 それから休み時間のたびに、美桜子はわたしのところへ来るようになった。教室の窓から空を見上げながら、シュークリームやアイスクリームやケーキの形に似た雲を見つけては、味を想像して遊んだ。

 曇りや雨の日には、わたしの自由帳にお菓子の国の絵を描いた。わたしは体育は苦手だったが、絵は得意だった。美桜子は、字も、絵も、下手だった。筆圧が強い美桜子の描くシュークリームはいつも、下手なマンガのふきだしみたいな形だった。


 美桜子のことを少しだけ迷惑だと思い始めたのは、美桜子が、皆に嫌われていることを知ったからだった。美桜子が学校を休んだ日、クラスの女の子たち数人に、由那ゆなちゃんはやさしいから美桜子ちゃんと仲良くしてあげてるんだよね、えらいよね、と言われて気付いた。

 曖昧に笑って頷きながら、わたしは、美桜子の汚い字と下手な絵が描かれた自由帳をそっと机の奥に押し込んだ。美桜子はいつも自分の自由帳を持って来ず、わたしのばかりに描いていた。

 美桜子はたしかにわがままで幼く、粗暴だった。勉強も運動もできなくて、なにより、汚かった。学年が上がるにつれて、美桜子とまともに話すのは、わたしだけになってしまった。わたしには美桜子以外に何人か友達がいたけれど、美桜子には、いなかった。わたしは、このまま美桜子と仲良くしていたら、わたしまでほかの友達に嫌われてしまうのではないかと思った。

 同じクラスになるたびがっかりしながらも、話しかけられれば、あからさまに冷たくしたり無視をすることはできなかった。なんで美桜子は、わたしにばっかり話しかけるんだろう、と思った。美桜子が風邪で休んだ日は、内心ほっとしながら一日を過ごした。

 それでも、ときどきは遊んだ。外で遊ぶより、わたしの家に美桜子が来て遊ぶことが多かった。家の中でなら、ほかの友達に見られる心配もない。美桜子のわがままにさえ目をつぶれば、楽しく遊ぶことができたし、わたしの家では、主導権はわたしにあった。

 わたしも、高学年になるにつれて友達が減っていった。母もそれを知っていたのか、家にだれか来るのは喜ばしいようで、いつも、おやつをお盆に載せて部屋まで運んでくれた。部屋の小さなテーブルにお盆を載せて、美桜子と一緒にシュークリームを食べた。美桜子の首のよれたTシャツの胸もとに、今食べたシュークリームの中身ではない茶色の染みがあるのを見つけて、わたしはそっと目を逸らした。


 一度だけ、美桜子の家に行ったことがあった。美桜子の家は、二軒つながった長屋のような家が、いくつか並んだうちのひとつだった。玄関をあがると廊下はなくすぐ部屋で、ぜんぶ畳だった。畳は、うちの和室よりふかふかした踏み心地で、よく見ると、隅のほうがいろんな色の丸いピンでとめてあった。美桜子は部屋の奥に乱雑に積み重ねられたいろいろなものの中から、お気に入りのアイドルの雑誌の切り抜きを何枚か出して見せてくれた。

 美桜子はあんなに学校で嫌われているのに、美桜子のお母さんはふつうのおばさんだった。うちの母より歳をとっているように見えたのは、白髪を染めずにひとつに束ねた髪型のせいだろうか。玄関脇の、洗濯もの干しのところで、近所の人らしきおばさんと楽しそうに立ち話をしていた。

 帰り際に、美桜子と仲良くしてやってね、と言われ、私は、はいともいいえとも言えず、えへへ、とただ笑いながら、美桜子にはあんなに友達がいないのに、美桜子のお母さんには友達がいるんだな、と思っていた。


 5年生のおわり、美桜子と、ちょっとしたことで喧嘩をした。些細なことで、もう原因は、おぼえていない。美桜子は5年生になってから、男の子たちに「バイキン」扱いされるようになっていた。

 中庭の掃除当番だったことだけおぼえている。掃除の時間、男子たちを避けるように校舎の影になるほうを掃除しながら、美桜子と言い合いをして、美桜子はわたしに、絶交だよ、と言った。美桜子は、だれかと喧嘩をするごとに、すぐ、絶交だよ、と言うのだった。

 数日後、美桜子はわたしに手紙を渡してきた。仲直りしたい、という手紙で、何年もまえに流行ったマンガのキャラクターのついた便箋に、いつもの汚い字で書かれていた。わたしはそれを持って美桜子の席に行き、自分から絶交って言ったのに、仲良くしたいなんて、ダメだと思うよ、と言った。怒ったような顔をしてそう言いながらわたしは、やっと、美桜子と離れられる、と思っていた。


 6年生になって、クラスもやっと美桜子と離れた。クラスでのわたしのポジションは、目立たない、さえない女の子だったが、美桜子という目立って嫌われる存在が近くにいなくなったぶん、毎日はずっと平穏になった。

 わたしは、美桜子のことが嫌いだったんだ、と思った。そう。嫌われているからとかじゃなくて、ふつうに、嫌いだったんだ。そう、思い込もうとしていた。



 美桜子がいきなり家に来たのは、6年生の秋のはじめだった。日曜日の昼間。自分の部屋で、図書館で借りた本を読んでいると下から、あら、美桜子ちゃん、という母の声が聞こえた。どきんとする。そっと階段を降りて、玄関からギリギリ見えない角度で耳を澄ました。

 どうしたの、転んだの、血が出てるわ、ちょっと待ってて、と言って、母がこちらへ来ようとする足音が聞こえた。わたしは急いで階段を上がり、部屋のベッドにあがって布団を頭からかぶった。しばらく階下から、ごとごとと何か動く音や、おそらく、母と美桜子が話す声が聞こえた。それが止んだのを見計らってもう一度階下に降りると、玄関の上がりかまちに、こちらに背を向けて、美桜子が座っているのが見えた。

 美桜子を見て、はっとする。彼女が履いているスカートに、見覚えがあった。


 「あ、由那、美桜子ちゃんね、ちょっと服、汚れちゃってたから、由那がまえ履いてたスカート、あげてもいいでしょ?」


 わたしは、黙って頷いた。そのスカートは一昨年ぐらいに買ってもらったけど、最近はもう子どもっぽく感じて履いていないものだった。母は、おそらく美桜子の汚れた服を入れたのだろう紙袋を腕に提げていて、そして、シュークリームとジュースの載ったお盆を持っていた。


 「美桜子ちゃん、よかったら食べて行ってね、由那も食べる?」

 「いらない」


 え、と母は、少しショックを受けたような顔をした。あ、と思って、あとで食べるね、と言い直す。母が玄関に座った美桜子の隣にお盆を置くと、美桜子はすぐシュークリームを掴んで勢いよく頬張った。クリームがぼとっと胸もとに落ちる。母は結局、わたしの古くなったTシャツも持ってきて、美桜子にあげた。


 「ねえ、嫌だよ、なんでそんなことするの?」


 お皿を下げに行った台所へ追いかけてそう言うと、いいでしょ、と母はめずらしくきつい口調で言った。ふてくされて下を向いたわたしを置いて、また玄関先へ戻って行く。仕方なく、母を追った。


 美桜子が帰るのを玄関の前から見届けてから部屋に戻ると母は、そこまで一緒に行ってこなかったの、と少し咎めるように行った。頷くと、あのね、と表情を曇らせる。


 「美桜子ちゃん、生理が来ちゃってたのよ、外でなっちゃって困ってうちに来たのね、スカートが汚れちゃってたから、あげたのよ」

 「……」

 「ね、美桜子ちゃんね、脚にいくつもアザがあったの……もしかしたらね、お父さんとか、お母さんに、叩かれたんじゃないかしら、由那、なにか知らない?あなた、友達でしょ?」


 わたしは、まだ初潮を迎えていなかった。さっき立ち上がった美桜子のひざの裏に、黒い染みのようなあとがあったのを思い出した。


 「ちがう、だって友達じゃないもん、知らない、わたし、なにも」

 

 そう、と言って、母はそれ以上、何も問おうとしなかった。



 美桜子は四月生まれだったのだろうと思う。美しい桜、という字は美桜子に似合っていなかった。正しい日付は知らない。だれも美桜子に、お誕生日おめでとうとは言わなかった。



 中学校の入学式は桜が満開に咲いていた。式を終えると付き添いの保護者は帰り、あとは教室でホームルームがある。コンクリートの渡り廊下をぞろぞろと移動しながら、周りの子たちがもう、それぞれに会話を交わしたり、笑い合っている気配を感じた。どうしよう、と思う。わたしはまだ、誰とも話せていなかった。横を向くと、空は晴れわたり、きれぎれの雲がいくつか浮いている。

 ふと見ると、美桜子がすぐ前を歩いていた。中学校は8クラスもある。わたしは6組で、美桜子は5組だった。歩調をゆるめる間もなく、美桜子が振り向いた。わたしたちは黙って、少しの間、並んで歩いた。

 美桜子が空を見て、あっ、あの雲と桜、シュークリームだよ、中身何入ってるのかな、と大きな声で言った。ねっ、とわざとらしく振り向くようにして、こちらを見る。美桜子は高学年から太り始めていて、制服もきつそうだった。唐突に、いやだ、すごくいやだ、と思った。周りの子たちに、美桜子と仲良くしているところを見られたくない、と思った。


 「ぜ、絶交だって、言ったじゃん」


 できるだけ小さな声で言うと美桜子は不思議そうな顔をした。忘れているんだ。でも、でも、わたしは悪くない。悪いのは、美桜子なんだ。


 「もう、しないよ、そんな、想像して遊ぶのなんて、子どもっぽいし」


 言うと、美桜子は足を止めた。後ろを歩いていた男の子が、うぅわ、と小さな声で、心底嫌そうな声で言って、美桜子と、わたしを、避けていった。美桜子は、こちらを見て、そして言った。


 「由那ちゃんち、想像しなくても、あるもんね、シュークリーム」


 いつもの、語尾が上擦るような変な声ではなく、静かな声だった。セーラー服の下にちらっと見えたピンク色のTシャツは、たぶん、母が美桜子にあげた、わたしのものだった。首のパイピングが少しほつれているのが見えた。

 立ち止まったままのわたしを残して、美桜子は渡り廊下を歩き去った。美桜子のスカートはベルトの留め方が変なのか、右側だけ変なふうに上がっていて、お尻のところの布がてかてかとしていた。

 春の、あたたかな風が横から吹いた。俯いたままわたしも歩き出す。クラスの列からはずいぶん遅れてしまっていた。桜の花びらが渡り廊下の隅に積もって茶色に変色している。

 これからずっと、春になって青い空に白い小さな雲が浮かび、桜の色が映えるとき、わたしはこの嫌な気持ちとともに、美桜子のことを思い出してしまうだろうと思った。それは、想像ではなく確信だった。

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